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5/8

恋人と同じ大学を目指すのは、アリかナシか

 §高校三年・春§


「佐伯と御影って、やっぱり同じ大学を目指すの?」


 三年生になって最初の進路希望調査が配られた日の放課後。


 前の席の女子が、なんでもないことのように尋ねてきた。


 その瞬間、教室に残っていたクラスメイトたちの視線が、一斉に俺たちへ集まった。


 俺と冬華が付き合っていることは、すでにクラス全員が知っている。


 昼休みには一緒に弁当を食べ、放課後には一緒に帰り、休日に二人で歩いているところも何度か目撃されている。


 交際を隠そうとしたことはない。

 かといって、わざわざ報告したこともなかった。


 それでも毎日のように顔を突き合わせて、


「ホワイトチョコレートをチョコレートと呼ぶのは適切か」


「エスカレーターで歩く人間のために片側を空ける文化は存続させるべきか」


「恋人のプリンを一口もらった場合、それは窃盗に該当するか」


 などと議論していれば、嫌でも関係は伝わる。


 なにしろ最後の議題については、俺が冬華のプリンを食べたことが発端だった。


 クラスでは、俺たちが恋人同士であることより、くだらない議論をしていることの方が有名になりつつある。


「恋人と一緒に同じ大学を目指すのは、ナシだと思うわ」


 冬華が答えた。


 教室が静まり返った。


「えっ」


 質問した女子の顔が引きつる。


「ちょっと待て」


 俺も思わず冬華を見た。


「それは、俺と同じ大学には行きたくないという意味か?」


「まだ立場を表明しただけよ」


「なんの立場だよ」


「ディベートの」


 冬華は鞄から、見慣れたノートを取り出した。


 表紙には、『文哉くんとの議論』と書かれている。


「議題は、『恋人と一緒に同じ大学を目指すのは、アリかナシか』。私はナシの立場を担当するわ」


「いま始めるのか?」


「ちょうど進路希望調査も配られたでしょう?」


「私は普通に質問しただけなんだけど……」


 前の席の女子が困惑している。


 冬華は気にせず、ノートの新しいページに議題を書いた。


「文哉くんは、アリの立場でいい?」


「いいけど、本心と立場は同じなのか?」


「それは議論が終わってから判断して」


「一番気になるところを保留にするな」


「ディベート中に、相手の本心を推測するのは不適切よ。提示された主張に反論して」


 相変わらず面倒な彼女だった。


 そして、そこが好きなのだから仕方がない。


「勝敗はどうやって決めるんだ?」


「教室に残っている人たちの多数決で」


「俺たちも参加するの?」


 クラスメイトの一人が尋ねた。


「公正な判定をお願いするわ」


「帰りたいんだけど」


「人の進路がかかっているのよ」


「お前らの惚気に付き合わされるだけじゃない?」


「惚気ではなく、将来に関わる真剣な議論よ」


 冬華は黒板に、大きく二つの言葉を書いた。


 アリ。

 ナシ。


「敗者は、自分の第一志望を先に公開する」


「つまり、冬華はまだ俺に志望校を教えてくれないのか?」


「文哉くんも教えてくれていないでしょう?」


「お互いの選択に影響を与えないように、一度自分で考えてから話そうって決めただろ」


「ええ。二人とも、もう決めたはずよ」


 俺の鞄には、記入済みの進路希望調査が入っている。


 第一志望から第三志望まで、何度も書き直して決めた。


 冬華がどの大学を志望しているのかは、まだ知らない。


 彼女も、俺の志望校を知らないはずである。


「わかった。始めよう」


「それでは、私から」


 冬華は黒板の「ナシ」に下線を引いた。


「大学は、将来の進路へ大きな影響を与える場所よ。学びたい分野、取得できる資格、卒業後の就職先、学費、通学時間。さまざまな条件を比較して、自分に合った大学を選ぶ必要がある」


「異論はない」


「高校時代の恋人と一緒にいたいという理由で、その選択を変えるべきではないわ」


「どうして?」


「交際関係が、卒業まで続く保証はないから」


 教室の空気が、わずかに重くなった。


「御影さん、もう少し手加減してあげたら?」


 前の席の女子が心配そうに言う。


「一般論よ」


「一般論でも、彼氏の前で言う?」


「文哉くんなら、感情と論理を分けて考えられるわ」


 冬華が、俺を見る。


「できるでしょう?」


「努力はする」


 できるとは言い切れなかった。


「恋人と同じ大学へ行くために、本来の第一志望を諦めたとする。その後に別れてしまったら、大学を選んだことまで後悔する可能性があるわ」


「別れないかもしれない」


「もちろん。でも、未来のことは誰にもわからないでしょう?」


「それは、恋愛以外の理由にも言える」


 俺は黒板の「アリ」に線を引いた。


「将来やりたい仕事が変わるかもしれない。入りたかった研究室の教授が異動するかもしれない。大学の環境が、入学後に変わることだってある。未来が不確定だからという理由だけで、現在の希望を判断材料から外すことはできない」


「でも、恋人の存在は学問と関係がないわ」


「大学を選ぶ理由は、学問だけじゃない。家から通いやすい、学費が安い、街の雰囲気が好き。そういう条件だって判断材料になる」


「恋人も、立地条件と同じ?」


「冬華を駅からの近さと同列には扱ってない」


「では、なにと同じなの?」


「……重要な人間関係」


「急に率直な言葉を選ぶのは卑怯よ」


「恋人との話なんだから仕方ないだろ」


 冬華が目をそらした。

 耳が少しだけ赤くなっている。


 教室の後ろから、


「やっぱり惚気じゃん」


 という声が聞こえた。


「静粛に」


 冬華が言った。


「裁判じゃないぞ」


「では、文哉くんに質問するわ」


 冬華は俺へ向き直った。


「私が、文哉くんの志望校とは別の大学を第一志望にしていたら、自分の志望校を変える?」


「変えない」


「ずいぶん即答ね」


「そのために、お互いの志望校を教えずに決めたんだろ」


「では、私が『どうしても同じ大学に行きたい』と頼んだら?」


「まず、どうして同じ大学に行きたいのかを聞く」


「好きだから離れたくない、と答えたら?」


 教室に残っている全員が、息を潜めていた。


 もはや審判というより、観客である。


「うれしいとは思う」


「それで?」


「でも、冬華の志望を変えてほしいとは言わない。俺も変えない」


「それでは、『同じ大学を目指すのはアリ』という主張と矛盾するでしょう?」


「矛盾しない。俺がアリだと言っているのは、恋人と一緒にいたいという気持ちを、大学選びの理由に含めることだ」


「最優先にはしない?」


「しない」


「恋人と同じ大学へ行くために、学びたいことを諦めるのは?」


「ナシ」


「自分の学力に合わない大学へ、無理に志望を変えるのは?」


「ナシ」


「学費や通学の負担を無視するのは?」


「ナシ」


「ナシばかりね」


「条件を極端にするからだ」


 俺は黒板に書かれた議題を指した。


「議題は、恋人と同じ大学を目指すこと自体がアリかナシかだろ。『恋人以外のすべてを犠牲にして』とは書かれていない」


「言葉の隙を突くのね」


「57をスーパー素数と呼んだ人に言われたくない」


「昔の話を持ち出すのは反則よ」


「あれからまだ一年も経ってないぞ」


 57は素数ではない。


 そのどうでもいい事実をきっかけに、俺たちは話すようになった。

 そして三年生の春を迎えたいま、同じ大学へ進むべきかどうかを議論している。


 まさか、あの数字がここまで俺の人生へ影響を与えるとは思わなかった。


「では、こちらから質問する」


 今度は俺が冬華へ向き直った。


「同じくらい学びたいことが学べて、学費も難易度もほとんど同じ大学が二つあったとする」


「ええ」


「片方には恋人がいて、もう片方にはいない。それでも、恋人がいる方を選ぶのはナシか?」


「ほかの条件が完全に同じなら、恋人がいる方を選ぶことは不合理ではないわ」


「認めるのか?」


「ただし、現実に条件が完全に同じ大学なんて存在しない」


「でも、すべての条件に順位をつけることはできないだろ。学べる内容はこっちが少し上。でも、立地や設備はあっちがいい。そういうとき、最後の判断材料として恋人の存在を加えるのは?」


「……それだけなら、否定はしない」


「だったらアリじゃないか」


「恋人と同じ大学へ行くことを目的にするのは、ナシだと言っているの」


「俺は、理由の一つにするのはアリだと言っている」


 冬華が黙った。

 俺たちの主張は、最初から微妙にずれている。

 冬華は、恋人のために自分の進路を曲げることへ反対している。

 俺は、自分の進路を考える際に、恋人の存在を無視する必要はないと主張している。

「二人とも言ってること、ほとんど同じじゃない?」


 審判役のクラスメイトが言った。


「違うわ」


 冬華が即座に否定する。


「文哉くんは、恋人を大学選びの加点要素にしている。私は、まず恋人と無関係に進路を決めるべきだと主張しているの」


「決めたあと、偶然同じ大学だった場合は?」


「それなら問題ないわ」


「第一志望は違うけど、第二志望が同じだった場合は?」


「合否の結果によるでしょうね」


「片方だけが第一志望に合格して、もう片方が落ちたら?」


「合格した方は、自分の第一志望へ行くべきよ」


「落ちた方が、一緒に行くために浪人すると言ったら?」


「本当にその大学で学びたいなら止めない。でも、恋人を追うことだけが理由なら反対する」


「俺も同じ意見だ」


「だから、同じこと言ってるじゃん」


 クラスメイトの声に、冬華は不満そうな顔をした。


「細部が違うわ」


「カップ焼きそばが焼きそばかどうかより、細かい違いだと思う」


「あれは重要な議論よ」


「重要じゃないよ」


 教室に残っていた生徒たちが、次々に帰り支度を始めた。


「判定は?」


 冬華が尋ねる。


「引き分け。二人とも、恋人だけを理由に進路を決めるのはナシ。でも、条件の一つにするのはアリ。それでいいでしょ」


「多数決を取っていないわ」


「早く帰りたいから、全員それに賛成ってことで」


 審判たちは、俺たちを残して教室を出ていった。


 最後の一人が扉を閉める直前、


「どうせ志望校も同じなんだろ」


 と言い残した。


「そんなわけないでしょう」


 冬華が反論する。


 扉が閉まった。

 教室には、俺たち二人だけが残された。


 春の夕日が、窓から斜めに差し込んでいる。


「それで、引き分けの場合はどうする?」


 俺は尋ねた。


「両方が同時に第一志望を公開する」


「そんなルールだったか?」


「いま決めたわ」


 冬華は鞄から、四つ折りにした進路希望調査を取り出した。


 俺も自分の用紙を出す。


「せーので開く?」


「幼稚ね」


「じゃあ、冬華から」


「それでは私の負けになってしまうでしょう」


「一緒に開くしかないじゃないか」


「仕方ないわね」


 二枚の紙を、机の上へ伏せる。


「せーの」


 同時に表へ返した。


 第一志望の欄には、同じ大学名が書かれていた。


 学部は違う。


 俺は文学部。

 冬華は法学部。

 だが、大学は同じだった。


「…………」

「…………」


 しばらく、どちらも話さなかった。


「同じだな」


 先に口を開いたのは俺だった。


「そうね」


「偶然?」


「私は、法学を学ぶならここが一番いいと思ったの。文哉くんがどこを志望しているかは知らなかった」


「俺も、文学部の授業内容と、図書館の蔵書で決めた。冬華が志望してるとは知らなかった」


「では、恋人とは無関係に決めた結果、同じ大学になったのね」


「そういうことになる」


 冬華は、自分の進路希望調査を見つめている。


「安心した?」


 俺は尋ねた。


「なにが?」


「俺が、冬華に合わせて大学を選んでいなかったこと」


 彼女は答えなかった。

 けれど、その沈黙だけで十分だった。


「冬華がナシの立場を選んだのは、俺の進路を変えたくなかったからか?」


「立場と本心は同じとは限らないと言ったでしょう」


「違うのか?」


「完全には否定しないわ」


 冬華は、少しだけ視線を下げた。


「文哉くんが、私と同じ大学へ行くためだけに、自分の志望を変えていたら嫌だったの」


「どうして?」


「いつか後悔したとき、私のせいにしてほしくないから」


「冬華のせいにはしない」


「いまは、そう言えるでしょう。でも、大学は四年間ある。その先の人生にも影響する。私たちの関係が、これからも必ず続くとは――」


「冬華」


 名前を呼ぶと、彼女が言葉を止めた。


「必ず続くとは、俺にも言えない」


「そうでしょう?」


「でも、続けたいとは思ってる」


 冬華が顔を上げる。


「大学を選ぶ理由が、冬華だけだったら危ないと思う。でも、冬華の存在が理由に含まれていることまで否定したくない」


「私は、まだ文哉くんの理由に含まれていなかったはずよ。志望校を知らなかったもの」


「大学を決めるとき、この大学なら冬華と離れることになっても、きちんと通いたいと思えるかは考えた」


「離れる前提で考えたの?」


「逆だ。離れても選べる大学なら、同じだったときにはもっといいと思った」


「……そう」


「それに、同じ大学なら、これまでみたいに議論を続けられる」


「別の大学でも議論はできるわ」


「毎日は難しいだろ」


「毎日するつもりなの?」


「嫌なのか?」


「嫌とは言っていないわ」


 冬華は進路希望調査を持ち上げ、俺の用紙の隣へ並べた。

 同じ大学名。

 別々の学部。

 独立して選んだはずの二つの進路が、偶然、同じ場所へ伸びている。


「同じ大学を目指すことにはなったわね」


「ああ」


「でも、まだ合格したわけではない」


「これから勉強しないとな」


「もし、片方だけが合格したら?」


「合格した方は、その大学へ行く」


「落ちた方は?」


「自分のために、次の進路を決める」


「恋人のためではなく?」


「恋人のことも考えながら、自分で決める」


 冬華が、かすかに笑った。


「やっぱり、完全には意見が一致しないわね」


「その方がいいだろ」


「どうして?」


「同じ意見しか持ってなかったら、ディベートができない」


「それは困るわ」


「困るのか」


「文哉くんと話す理由が、一つ減ってしまうもの」


「恋人なんだから、議論しなくても話せばいいだろ」


「なにを?」


「今日あったこととか、読んだ本とか、行きたい場所とか」


「それを議題にするの?」


「普通に話すんだよ」


「難しそうね」


「ディベートより簡単だろ」


 俺たちは進路希望調査を鞄へしまい、教室を出た。


 昇降口へ向かう途中、冬華が俺の制服の袖をつかむ。


 付き合い始めたころは、手をつなぐだけでも合理的な理由を要求していた。


 最近では、理由を聞かなくても、こうして近くに来るようになった。


「明日から、放課後は図書室で勉強しましょう」


「受験勉強か」


「同じ大学を目指すのでしょう?」


「それ、恋人と同じ大学へ行くことを目的にしてないか?」


「違うわ。恋人と一緒に、互いの第一志望を目指すの」


「言い方の問題じゃないか?」


「重要な違いよ」


 冬華は俺の袖をつかんだまま、少し考えた。


「ところで、恋人同士が一緒に勉強する場合、それは勉強会とデートのどちらに分類されると思う?」


「勉強を目的に集まるなら、勉強会だろ」


「私は、デートに含まれると思うわ」


「また始めるのか?」


「大学に合格するまでには、結論を出したいでしょう?」


 恋人と一緒に同じ大学を目指すのは、アリかナシか。


 結局、その問いに明確な答えは出なかった。


 ただ、翌日から俺たちは、放課後の図書室で同じ大学の過去問を開くようになった。


 それが受験勉強だったのか、デートだったのか。


 たぶん、どちらでもよかった。


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