カップ焼きそばは焼きそばなんだよ
§高校二年・夏§
「カップ焼きそばは、焼きそばではないわ」
御影冬華は、俺の昼食を一目見るなり、そう断言した。
「カップ焼きそばは焼きそばなんだよ」
思わず強い口調で反論してしまった。
べつに、カップ焼きそばに特別な思い入れがあるわけではない。
だが、昼休みの空腹を満たそうとしている人間に向かって、その食べ物の存在そのものを否定するのは、あまりにも礼を失している。
「焼いていないのに?」
御影が首をかしげた。
腰まで伸びた黒髪が、さらりと揺れる。
「お湯を注いで、三分待って、お湯を捨てただけでしょう?」
「最後にソースを混ぜた」
「焼いていないわ」
「青のりもかけた」
「焼いていないわ」
「マヨネーズもかけたぞ」
「どれだけ付属品を充実させても、焼いていない事実は変わらない」
前回、57は素数であるという珍説を唱えた女とは思えないほど、正論だった。
あの一件以来、俺と御影は、ときどき昼休みや放課後に話すようになっていた。
とはいえ、教室で雑談をするような関係ではない。
0.999……は本当に1と等しいのか。
犬と猫ではどちらが人類の支配者にふさわしいのか。
ショートケーキのイチゴは最初に食べるべきか、最後まで残すべきか。
そんな、人生にまったく影響を与えない議題について、ひたすら互いの主張をぶつけ合う関係である。
そして今日の議題は、俺が昼食として持ち込んだカップ焼きそばだった。
「では、ディベートを始めましょう」
御影は弁当箱を机の端へ寄せ、ノートを開いた。
彼女の弁当には、卵焼きとブロッコリー、それから焼きそばが入っていた。
俺の目の前にあるカップ焼きそばとは違い、見るからにフライパンで炒められた、本物らしい焼きそばである。
「立場は、私が『カップ焼きそばは焼きそばではない』。佐伯くんが『カップ焼きそばは焼きそばである』」
「異議なし」
「負けた方は、相手にデザートを一つ渡す」
「ちょっと待て。俺はデザートなんて持ってないぞ」
「では、負けたら購買でプリンを買ってきて」
「自分がプリンを食べたいだけじゃないのか?」
「ディベートに私情を持ち込むのはやめて」
「私情しかない条件をつけた本人が言うな」
御影は俺の抗議を無視し、ノートに大きく「焼いていない」と書いた。
「焼きそばとは、文字どおり焼いたそばのことよ。しかし、カップ焼きそばの調理工程に焼くという行為は存在しない。使うのは熱湯だけ。よってこれは、ソース味の湯戻し麺と呼ぶべきものよ」
「名前が絶望的にまずそうだな」
「名前で味は変わらないわ」
「食欲は変わるよ」
俺は割り箸を置き、反論を考える。
「たしかに、俺はこの麺を焼いていない」
「認めるのね?」
「でも、完成した料理の名前は、いま行っている動作だけで決まるわけじゃない。焼き魚は、食べている最中には焼かれていないだろ」
「すでに焼かれているもの」
「冷めた焼き魚は?」
「焼き魚よ」
「昨日焼いて、冷蔵庫に入れた焼き魚は?」
「焼き魚ね」
「つまり、食べる瞬間に焼いている必要はない」
「カップ焼きそばは、佐伯くんが食べる以前にも焼かれていないわ」
「工場で油を使って作られている」
「それは揚げ麺でしょう。油で揚げたことを焼いたと主張するなら、フライドポテトも焼き芋になってしまう」
「強いな」
今回の御影は、明らかに前回より手ごわかった。
57を素数と主張したときは、最初から負けるつもりで詭弁を並べていた。
しかし、カップ焼きそばが焼きそばかどうかについては、絶対的な正解が存在しない。
俺は容器に書かれた商品名を指さした。
「ここに焼きそばと書いてある」
「製造会社の自己申告ね」
「自己申告でも名前は名前だ」
「では、メロンパンには必ずメロンが入っているの?」
「入っていないものもある」
「たい焼きには鯛が入っている?」
「入っていたら怖いな」
「きつねうどんには?」
「油揚げだ」
「つまり、食べ物の名前と実態は一致するとは限らない」
「待て。それは俺の主張にも使えるぞ」
俺は御影のノートを指さした。
「焼きそばという名前だからといって、焼くという工程が必須とは限らない。いま、自分で証明したじゃないか」
御影の手が止まった。
「……これは私の論拠よ」
「俺の味方になった」
「論拠にも裏切る自由はあるわ」
「そんな自由を認めるな」
御影は小さく咳払いをした。
「では、名称ではなく、料理としての本質から考えましょう」
「焼きそばの本質とは?」
「蒸した中華麺を、肉や野菜と一緒に鉄板やフライパンで炒め、ソースなどで味をつけた料理」
御影は自分の弁当箱をこちらへ向けた。
「これが焼きそばよ」
豚肉。
キャベツ。
ニンジン。
少し焦げた麺。
紅ショウガまで添えられている。
非の打ち所がない。
一方、俺のカップ焼きそばには、申し訳程度のキャベツしか入っていなかった。
「比べる相手が強すぎないか?」
「同じ焼きそばだと主張するなら、比較される覚悟を持つべきね」
「具材の量で料理の種類は変わらないだろ。肉なしの焼きそばだって焼きそばだ」
「でも、炒めていない」
「電子レンジで温める冷凍焼きそばは?」
「製造段階で炒められているはずよ」
「フライパンを使わず、電子レンジだけで最初から作った焼きそばは?」
「それは……電子レンジで作った、焼いていない焼きそば風の麺料理ね」
「意地でも認めないな」
「言葉を正確に使っているだけよ」
ならば、別の角度から攻めるしかない。
「カップラーメンは、ラーメンだと思うか?」
「カップラーメンね」
「ラーメンかどうかを聞いている」
「広義ではラーメンに含まれるでしょう」
「店の厨房でスープを煮込んでいないのに?」
「ラーメンの本質は、スープと中華麺の組み合わせにあるもの。調理方法の違いは本質ではないわ」
「だったら、カップ焼きそばも同じだ。中華麺とソースという組み合わせが本質であって、焼くかどうかは重要じゃない」
「焼きそばには、『焼き』と入っているでしょう」
「ラーメンには、『ラー』が入っているぞ」
「ラーは調理工程ではないわ」
「何者なんだ、ラーは」
「少なくとも、焼くという意味ではない」
御影は冷静だった。
俺は少し考え、教室を見回した。
「じゃあ、電子書籍は本じゃないのか?」
「突然、なに?」
「電子書籍には紙がない。表紙もページも、実物としては存在しない。それでも俺たちは本と呼んでいる」
「情報のまとまりとしては、本と同じ役割を果たすからでしょう」
「そう。大事なのは、どう作られたかじゃなくて、どう扱われているかだ」
俺は目の前の容器を持ち上げた。
「カップ焼きそばは、焼きそばと同じように昼食として食べられている。ソース味の麺で、青のりや紅ショウガが合う。スーパーでもコンビニでも、みんな焼きそばの一種として認識している。なら、これは焼きそばだ」
「役割が同じなら、同じものになるの?」
「少なくとも、同じ分類には入る」
「代用肉は肉?」
「難しいところを突いてくるな」
「ノンアルコールビールはビール?」
「名前にはビールと入ってる」
「飛べない紙飛行機は飛行機?」
「飛ばそうとして作られている」
「では、空を飛べる鳥は飛行機?」
「飛行機ではない」
「ほら。役割が似ているだけでは、同じものにはならない」
「でも、カップ焼きそばは誰が見ても焼きそばだろ」
「焼きそばのようなもの、とは認識されているでしょうね」
「それを世間では焼きそばと呼ぶんだよ」
「では、佐伯くんのお母様から『今日の夕飯は焼きそばよ』と連絡が来て、帰宅したら食卓にカップ焼きそばが置かれていた場合、納得できる?」
「…………」
すぐには答えられなかった。
「どうなの?」
「母親が体調を崩していたなら、心配する」
「健康だった場合」
「なにか急用があったのかと思う」
「一日中、暇だった場合」
「カップ焼きそばが無性に食べたかったのかもしれない」
「質問から逃げないで」
「カップ焼きそばを夕飯に出す母親の事情を、勝手に限定するな」
「事情を考慮しなければ焼きそばと認められない時点で、佐伯くんも違うものだと思っている証拠よ」
痛いところを突かれた。
たしかに、焼きそばを期待してカップ焼きそばが出てきたら、少し違うと思う。
だが、それを認めれば敗北である。
御影にプリンをおごらなければならない。
「カップ焼きそばは、焼きそばの下位分類なんだ」
「下位分類?」
「犬に対するチワワみたいなものだ。単に焼きそばと言われれば、普通は鉄板で炒めたものを想像する。でも、カップ焼きそばも広い意味では焼きそばに含まれる」
「それなら、なぜわざわざ『カップ』とつけるの?」
「種類を区別するためだ。電気自動車に電気とつけても、自動車であることは変わらない」
「カニ風味かまぼこは、カニ?」
「かまぼこだ」
「焼きそば風カップ麺は、焼きそば?」
「商品には焼きそばと書いてある」
「また自己申告へ戻ったわね」
「言葉の意味は、多くの人がどう使っているかで決まる。前に御影も言ってただろ」
「57を素数にするための詭弁としてね」
「今回は俺が使う」
「私の詭弁を勝手に再利用しないで」
「議論にも資源の再利用が必要なんだ」
御影は腕を組んだ。
「では、最後の質問よ」
「なんだ?」
「友人から『昼に焼きそばを食べた』と聞いたあと、それがカップ焼きそばだったと判明した場合、嘘をつかれたと思う?」
「思わない」
「本当に?」
「カップ焼きそばを食べたんだから、焼きそばを食べたで正しい」
「では、『昼に焼きそばを作った』と言われた場合は?」
「お湯を入れて作ったんだから、間違いではない」
「料理をしたと思うでしょう?」
「カップ焼きそばを作ることだって調理だ」
「お湯を注いだだけなのに?」
「三分を正確に計った。湯切りもした。ソースも混ぜた」
「胸を張るほどの工程ではないわ」
「油断すると、湯切り口から麺が脱走するんだぞ」
「それは調理技術ではなく、不注意の問題よ」
「俺は一度も落としたことがない」
「偉業のように言わないで」
「積み重ねてきた経験の成果だ」
「虚無の経験値ね」
昼休みの終了を知らせる予鈴が鳴った。
結局、どちらも相手の主張を完全には崩せていない。
俺は途中から放置していたカップ焼きそばへ箸を伸ばした。
すっかり冷めている。
「御影のせいで、俺の焼きそばがまずくなった」
「カップ麺でしょう?」
「カップ焼きそばだ」
「焼いていないわ」
「カップ焼きそばは焼きそばなんだよ」
「では、私の弁当に入っているものは?」
「焼きそば」
「同じもの?」
「種類が違うだけで、両方とも焼きそばだ」
「味も食感も作り方も違うのに?」
「そんなことを言ったら、店ごとに別の料理になるだろ」
御影は弁当箱に残っていた焼きそばを見た。
それから、俺のカップ焼きそばを見る。
「食べ比べてみる?」
「いいのか?」
「同じ料理だと主張するなら、どれほど似ているか確かめる必要があるでしょう」
御影が自分の箸で焼きそばをつまみ、弁当箱の蓋へ載せた。
代わりに、俺のカップ焼きそばを少し取る。
交換した焼きそばを食べてみる。
麺にはしっかりとソースが絡み、キャベツには歯応えが残っている。豚肉の脂と紅ショウガの酸味もよく合っていた。
「おいしい」
「そう」
御影は無表情を装っていたが、声がわずかに弾んでいる。
「御影が作ったのか?」
「ええ。昨日の夕食が焼きそばだったから、残りを詰めてきただけよ」
「ちゃんと焼きそばだな」
「『ちゃんと』とは、どういう意味?」
「……カップ焼きそばも、ちゃんとしてる」
「いま、区別したでしょう?」
「してない」
「無意識に、こちらを本物だと認めたのではなくて?」
「手作りという意味だ」
「カップ焼きそばは手作りではない?」
「お湯を入れたのは俺だけど、麺を製造したのは工場だ」
「私だって、麺から作ったわけではないわ」
「細かいな」
「ディベートだもの」
御影は、俺のカップ焼きそばをもう一口食べた。
「それで、どちらがおいしい?」
「御影の焼きそば」
即答すると、御影の箸が止まった。
「いまは、どちらが焼きそばにふさわしいかを議論しているのだけれど」
「どっちも焼きそばだ。でも、御影の方がおいしい」
「論点をすり替えないで」
「感想を聞いたのは御影だろ」
「……そうだったかしら」
彼女は目をそらし、残っていた焼きそばをすべて弁当箱の蓋へ移した。
「食べていいのか?」
「カップ焼きそばと交換よ」
「割合が釣り合ってないぞ。俺の方が得してる」
「味はともかく、同じ焼きそばなのでしょう?」
「そうだけど」
「なら、問題ないわ」
結局、ディベートの勝敗はつかなかった。
カップ焼きそばが焼きそばなのか、焼きそばに似た別の料理なのかも決まらなかった。
ただ、昼休みが終わるころには、二人分あった焼きそばは、どちらも半分ずつなくなっていた。
「次の議題を考えたわ」
弁当箱を片づけながら、御影が言った。
「今度はなんだ?」
「他人の唐揚げに、無断でレモンをかけることは許されるのか」
「許されない」
「私は、一定の条件下では許される側を担当するわ」
「どんな条件だよ」
「それは明日の昼休みに」
御影は、空になった弁当箱を包みながら、かすかに笑った。
「唐揚げ、持ってくるから」
どうやら明日も、決して人生の役には立たない議論が始まるらしい。
そして俺はたぶん、その唐揚げにレモンをかけられないよう警戒しながら、彼女が来るのを待つのだろう。




