第9話 アレンの平穏な1日
朝の光が窓からこぼれ始める。
日差しが頬を照らし、温もりを与えて眠りから呼び起こす。
……
頬よりも顔全体が暖かい……?
アレンが瞼を開けると、真っ黒いモフモフが顔の上に鎮座していた。
アレンは右手でソレを摘まみ、ベッドの脇に移動させた。
……意外と軽いんだな。
移動させてもまだ眠っているナナを横目に、アレンは部屋を出る。
すぐ隣の母さんの部屋では、リンが母さんに抱きしめられながらスヤスヤと眠っているのが見えた。
昨日の夜、遅くまで物置部屋を片付けてリンの部屋を作らされたのだが、
「アンジェお姉ちゃんと一緒に寝ちゃだめ?」
の一言で、今に至る。
まあ、あんな元気そうな母さんを見るのは久しぶりだから良しとするか……。
そう思いながら静かにドアを開け、家の外にある水場で顔を洗う。
外では静かに風が吹き、ゆっくりと明るくなっていく。
「さて、朝食でも作るか」
そう言って、アレンは軽く体を伸ばしてから家に戻り、朝食の用意を始めた。
朝食にベーコンを焼いていると、後ろに気配がする。
「ニャー」
さすが、食い物に敏感なヤツだ。
「もうちょっと待ってろ。っても、ナナの食いたい量は出せないけどな」
コイツに腹いっぱい食わせようとしたら、村が潰れるな。
ナナはテーブルの脚に頭を擦り付けたあと、椅子に飛び乗る。
「吾輩の食い扶持は吾輩が狩ってくるニャ。アレンの作る食い物は、人間でいう『嗜好品』みたいなものニャ」
ああ、コイツにとってはお菓子みたいなものか。
アレンはなんだか納得しながら、朝食を皿に盛り付けていく。
振り返ると、テーブルの向こうに母さんとリンが立っていた。
「おはよう。アレン、ナナ」
リンがいつもの天使の笑顔で微笑む。その後ろには、いつになく真剣な眼差しの母さんがいた。
「アレン、そいつ今、喋ったわよね……。まさか、上級……いや、そこまでスラスラ喋るヤツなら、もしや特級……!」
母さんはリンを自分の後ろに隠すようにして素早く呪文を唱えると、奥の部屋から魔法杖が飛んできた。それを左手で受け取り、目はナナを見据えたまま、右手はすでに別の魔法の発動体勢に入っている。
「アンタ、特級魔族だな? 真の姿を見せろ!」
母さんは今まで見たことがないほどの霊力を溢れ出させ、ナナに向ける。ナナはその目を金色に変え、低い姿勢を取って母さんと対峙する。
一触即発の中、母さんの後ろからリンが走り出した。
「アンジェお姉ちゃん! 待って。ナナは喋る猫なの。ナナは私の友達なの! 大丈夫だから!」
リンは母さんの前に飛び出し、両手を広げて制止する。
数秒間、空気が震えるような緊張が続いたあと、アンジェは目を閉じ、両手に溜めた魔法を消し去った。
ナナも黒い目に戻り、その場の緊張が解けた。
「リンちゃん。大丈夫? 怖かったねぇ、ごめんね」
母さんはそう言ってしゃがみ、リンを抱きしめた。
ナナはアレンの傍に来て、足をポンポンと叩く。
「アレンの母さん、怖いニャ。今まで出会ったどの肉より強いかもしれニャいニャ」
え? コイツの言う『肉』って……。
アレンはそう思ったが、それ以上は怖くて考えるのをやめた。
リンはアンジェに、ナナが昔から一緒にいる、元から喋る猫であることや、危険はなく、自分を守ってくれていることを話した。
アンジェはリンの言葉を聞きながら、何度も謝ってぎゅっと抱きしめる。
「あのー。そろそろ朝食にしませんかー?」
なんだか一人、蚊帳の外にいるアレンがそう言うと、それぞれ椅子に座り、何事もなかったかのように朝食をとり始めた。
朝食を食べながら、アレンもナナとリンのことについてアンジェに話す。
無意識のうちに、一部を除いて。
「じゃあ、ナナちゃんは動く状態の『旧世界の遺物』なわけね? 動く状態のものって、あんまり聞かないけどね」
アンジェは珍しそうにナナを見る。
「まあ、それでいうとリンもそうなるのかな」
アレンがそう言うと、アンジェから何だか殺気をひしひしと感じる声が返ってきた。
「何言ってるの? リンちゃんはうちの子よ? それ以上でもそれ以下でもないわよ?」
「ハイソウデス」
「ニ゛ャ!」
これ以上この話をするのはやめようと、アレンとナナは目配せして頷いた。
朝食をとったあと、アンジェはリンと買い物に出かけていった。
リンの服や靴のほか、生活用品を買うらしい。
おかしい。
うちにそんな余裕はないはずだ。
アレンが一日薬草を摘んで、大体六千フィートくらい。銀貨六枚だ。
食料品を二人分買うと、大体一日二千~三千フィート。
新品の服なら、安くても三千~五千フィートくらいがこの村での相場だ。
二人で倹約しながら暮らしてきたから、少しは蓄えがあったのだろうか……。
そんなことを考えていると、足をポンポンと叩かれる。
「なんだよ、ナナ」
そう言うと、ナナはスタスタとドアの方へ向かう。
「あんまり肉は大きくないほうが都合がいいのだニャ?」
どうやら、住ませてもらうお礼をしたいみたいだ。確かに、肉を持ってきてもらえると助かる。
「ああ、あまり大きくないほうが助かるよ」
アレンがそう言うと、
「わかったニャ! まかせるニャ」
そう言って走っていき、みるみるうちに見えなくなっていった。
昼を過ぎた頃、ドアが軋む音がした。
なぜかエリックが、大きなシーツで包んだ山のような荷物を持って入ってきた。
「よ、よう、アレン」
よろよろとしながら入ってきたエリックは、食卓の上に荷物を下ろした。
「エリック、なんだよ、これは?」
見ると、色々な箱や袋がたくさん入っている。
「いや、村の雑貨屋でアンジェさんとリンちゃんにばったり会ってな」
ああ、そういうことか。
まあ、困ったことがあったら何でも言ってくれ、みたいなことを言っていたしな。仕方ないな。
アレンはその場にへたり込むエリックを見て、コップに注いだ水を手渡した。
「それで、二人はどこへ?」
アレンが聞くと、エリックは水を一気に飲み干し、アレンにコップを返した。
「昼ごはんを食べに行ったあと、ケーキを食べに行くって言ってた。それで俺は荷物を頼まれた」
アレンはエリックに、もう一杯水を渡す。
エリックはそれも飲み干したあと、ゆっくりと立ち上がった。
「でも、笑顔で挨拶してくれるリンちゃんと、あんなに元気そうで楽しそうなアンジェさんを見ちゃったら、少し俺も無理しちまったよ」
爽やかに笑うエリックを見て、これがモテる男の秘訣というやつか、とアレンは思った。
エリックが帰っていったあと、食卓の上の荷物を昨晩片付けた部屋に運び込んでいると、窓から何やらデカい鹿がこちらへ飛んでくるのが見えた。
アレンは深呼吸をひとつして、家の外でその鹿を咥えて飛んでくる猫を待ち構えた。
「ニャー」
ナナが運んできた『肉』。おそらく、ここからかなり離れた森に生息するデスバンビーではなかろうか。
体長は、だいたい五メートルくらいってところだろうか。
うん。
普通の人はこれを見て『大きい』って言うと思うんだが。
「ナナ、ちなみにこれは?」
「これは『まあまあ柔らかい肉』ニャ」
……
まあ、食うけどさ。
アレンは、ナナにその鹿を家の裏手に持ってこさせ、肉の処理と晩ご飯の仕込みを始めた。
夕飯が出来上がりそうになる頃、母さんとリンが帰ってきた。
リンは白いワンピースに赤い靴を履いている。
控えめに言って、天使だ。
そんな眼福を頂きながら、晩ご飯を運ぶ。今日はデスバンビーのシチューだ。
全員揃って夕食を始める。
食事をしながら、母さんがニコニコと話している。
今度は一緒に遠出して街まで買い物に行こう、甘いお菓子を食べようなどという話を、リンと楽しそうにしている。リンも笑顔を輝かせ、二人はすごく楽しそうだ。
俺は一人、黙々とシチューを食べる。
うまい。
別に寂しくなんかないさ。
そう思っていると、肩をポンポンと叩かれる。
慰めはいらないぜ、とナナを見ると、お皿をこちらに向けている。
「ニャ」
アレンは肩を落としながらも、ナナのおかわりをよそう。
大盛りのシチューをナナに渡していると、アンジェがリンとの話を止めてアレンに問いかけた。
「アレン。少し大事な話がある」
母さんは真剣な眼差しでアレンを見ていた。




