第10話 アレンの父親
「だ、大事な話って……?」
いつになく真剣な母の眼差しに、少し萎縮しながらもアレンは答える。
嘘も全て見透かされそうな視線に、アレンは息を呑んだ。
「あなたが昨日渡してくれた、あの薬はいったい何?」
あれは天女の泉です。はい
「ありえないのよ。今もそうだけど、『霊力裂孔』が治っているわ。しかも、前より動きがいい」
アンジェはそっと人差し指を目の前に掲げ、その指先に小さく輝く青い炎を灯した。
母さんによると、その病気は厳密には怪我の部類に入るらしい。
魔法を使う際に霊力を出し入れするための穴が、体の中にはある。それを開いたり閉じたりすることで、魔法を発動するのだ。しかし、あまりにも大きな霊力を長時間使い続けると、その穴が裂けてしまうことがある。
そうなると、常に自身の霊力が漏れ出し、体力が削られていくそうだ。
しかも、この霊力を出す穴は目に見えないらしく、通常の薬や手術では治せないとされている。
「普通じゃ絶対にありえないのよ。一口、二口飲んで寝たら治るなんて。一体あれは何だったの?」
アンジェの圧に押され、負けそうになるアレンだったが、黙って首を横に振った。
「ニャ? プレスのことかニャ?」
!!?
会話に割り込んできたナナに、アンジェは指先の炎を消し、体をそちらに向けた。
「ナナちゃん、知ってるの? あれはいったい何? どこで、どうやって手に入れたの?」
「ニャー。あれは吾輩のプレスニャ。人間にわかりやすく言うと、おしっ……」
アレンは慌ててナナの口を手で塞ぎ、そのまま抱え込んだ。
「おし? なぁに? ナナちゃんが喋ってるのを邪魔しないで、アレン」
アンジェは立ち上がり、アレンを見つめた。
「おしっ、おしえたら悪い人間たちがナナを奪いにくるから、い、言えないニャぁ~」
なぜか妙なナナ口調で、アレンはアンジェに答えた。
アンジェは「なるほど、それもそうね」と納得してくれたようだ。
「実際、ナナはとんでもなく強いけど、もしその話が広まって、例えば色んな国の軍隊とかに狙われたりしたら、リンに危険が及ぶかもしれないだろ。だから、その薬のことは誰にも言っちゃダメなんだよ」
ナナとリンにもそう説明すると、どうやら二人とも納得してくれたようだった。
夕飯を食べ終えた母さんとリンは、二人で湯に浸かりに外へ出ていった。
アレンが食器を片付けていると、ナナが椅子にちょこんと座った。
「アレン、ありがとうニャ。吾輩だけニャら大丈夫でも、やっぱり一番大事ニャのはリンを守ることだニャ」
珍しくしおらしいナナを見て、アレンはうんうんと頷いた。
「確かにアレンの言う通り、吾輩が戦ってる間にリンが狙われたら、守りきれニャいかもしれニャいニャ」
アレンは食器を拭きながら、とりあえずこれで爆弾発言は回避されたな、と安堵した。
「そこでニャ。吾輩がアレンをビシバシ鍛えて、リンを守れるくらいにしたらいいってことニャ」
「はい?」
アレンが振り向くと、いつの間にか足元に来ていたナナが、アレンの足をポンポンと叩いた。
「アレンの母さんにも、後で『ユダの心臓』の話をするついでに許可をもらうニャ。リンを守るためって言ったら、たぶん大丈夫ニャ」
そう言って、ナナは窓から外へ出ていった。
「え? えええー?」
それから一時間ほど過ぎた頃、母さんたちが湯から上がって帰ってきた。
湯上がりのリンも、やはり天使だった。
そんな天使の後ろで、母さんが片手で風魔法を器用に使い、リンの髪を乾かしながらアレンに話しかける。
「アレン、あなた私が教えた初級魔法は一通り使えるわよね?」
母さん、まさかあのクソ猫に言いくるめられたりしてないよな。
アレンは少し緊張しながらも
「はい……」
と答えた。
「明日からナナちゃんがアレンを鍛えてくれるらしいから。アレン、頑張りなさいね」
本気か? いや、もう片方の手に持った櫛で鼻歌を歌いながらリンの髪をとかしている場合じゃないよ?
ナナなんぞに鍛えてもらったら、あなたの大事な息子がどんな目に遭うか。
代わりはいないんですよ?
代わりは……。
アレンは、髪をとかしてもらって上機嫌なリンと目が合った。
「アレン! 頑張ってね!」
リンは両手で拳をぐっと握りしめ、眩しい笑顔でアレンを応援した。
それはもう、やるしかない。
やってやるさ。
この笑顔、俺が守るしかないだろう。
「まかせとけ」
「ニャ!」
……ナナさん、ほどほどにお願いしますね。
ナナはそんな思いをまったく気にせず、体を震わせて水気を取っていた。
「それで、ナナちゃん。さっきの話の続きなんだけど、あの赤い宝石の前の持ち主よね?」
アンジェは今度は自分の髪を器用にとかしながら、ナナに話しかけた。
「なんでもいいニャ。知ってることを教えて欲しいニャ」
ナナは定位置とばかりに、椅子に座るリンの膝の上に乗ってアンジェと向き合った。
「あれは……そうね、アレンの父親からもらったのよ。昔ね」
アレンは生まれた時から父親を知らない。どんな人だったのかも、アンジェから聞かされていなかった。
先日、形見の装備をアンジェから譲り受けた時に、冒険者か何かをやっていたのかな、と想像したくらいだった。
それくらい、アンジェの口から今まで父親の話を聞いたことはなかった。
「そのアンジェのつがいは、どうやってそれを手に入れたニャ? 今どこにいるんだニャ?」
ナナがそう聞くと、アンジェは深いため息を一つついた。
「つがい? 違うわよ。あのクソ男……あら、失礼。ウォーレンは女癖も酒癖も悪くて、借金持ちでギャンブル好きの、どうしようもない男だったわよ。結婚なんかするわけないでしょ? 私が霊力裂孔になったら、すぐに紙切れ一枚置いてどこかへ消えていったわ。今どこにいるかなんて知らないし、知りたくもないわよ」
アンジェの気迫に、リンは固まり、ナナをぎゅっと抱きしめた。ナナはガタガタと震えていた。
……父さん。父さんの形見のような装備って……死んでなかったのかよ。
アレンたちは、なんだか聞いてはいけない、開けてはいけない呪いの箱を開けてしまったような気分だった。
「……まあ、でも、どうしても知りたいなら一応ツテはあるわよ。当時の冒険者仲間で、今もたまにこの村に来る魔法士の『ルシアン・レインハート』。彼なら知っているかもね」
そう言って、アンジェはまた深いため息をついた。だが、ふとハッとしたように顔を上げる。
その目に映ったリンは、今にも泣き出しそうだった。
「リンちゃん! ごめんね! お姉ちゃんが怖がらせちゃったわね。大丈夫よ! もうその話はしないから」
慌ててそう言うと、アンジェはリンを両手で抱きしめた。
……お、お姉ちゃん……だと?
アレンは、このたった数日で、今まで抱いていた両親の人物像がガラガラと崩れていくような、そんな気がした。
そんな中、リンに抱きしめられたまま、ひょっこりと顔を出してこちらを見るナナと目が合った。
そして二人は深く、何度も頷いた。
その夜も、母さんはリンと一緒に寝室へ向かった。
涙を堪えながら、母さんにしがみついたまま眠るリンを抱きかかえて。
眠ったリンの腕からするりと抜け出したナナが、アレンに寄り添う。
「やっぱり今まで食ったどの肉より怖いニャ」
アレンはもう何も考えず、とりあえず寝ようとベッドに入った。
翌朝、また瞼が重い。
そして、息苦しくて暖かい。
アレンはソレを摘まみ、枕元に置いた。
慣れって怖いな、と思いながら朝食の準備をしようとすると、すでに母さんとリンが料理をしていた。
「おはよう、アレン」
眩しい。朝日よりも眩しい笑顔だ。
「アンジェお姉ちゃんにお願いして、料理を習うことにしたの。あんまり美味しくなかったらごめんね?」
ピンク色のエプロンをした天使が作った料理なら、生野菜だろうが炭になった肉だろうが、美味い以外にないだろう。
そう思いながら、アレンは笑顔で答えた。
「大丈夫だよ。頑張ってね」
そう言って顔を洗いに外へ出ようとすると、アンジェがアレンに声をかけた。
「じゃあ、朝食まで時間があるから、朝の修練に行ってらっしゃい」
「……え?」
振り向くと、部屋の奥から金色の眼をした悪魔が、こちらへ歩いてくるのが見えた。




