第3話 アレン空を飛ぶ
アレンは辺りを見回す。
自分の他には、誰もいる気配はない。
となると、今の会話はこの猫ということになりそうだが。
「おまえ、もしかしてしゃべれるのか?」
平静を装いつつも、少し声が上ずり、鼓動が高鳴る。
動物、魔物、精霊、悪魔。歳を重ねて霊力を高めたそれらが、稀にしゃべることがあるらしい。ギルドでそう聞いたことがある。それも、叫びや片言よりも、普通に会話ができるものの方が、より強い力を持っているという。
冷たい汗がアレンの背中を伝っていく。
頭の中をいろいろな可能性がぐるぐる回る。どれも悪い方に考えてしまう。
ほんの数秒が、とてつもなく長く感じた。
だが、猫はそんなことはまったく気にせず、すっと二本足で立ち上がり、アレンに歩み寄ってくる。
その目は、獲物を捉えた捕食者のそれだ。
若干、笑っているかのようにも見える。
アレンは一歩、二歩と後ろへ下がる。
そして、背中が壁に触れ、逃げ場がないことに気づく。
ゴクリ。
アレンは唾を飲み込み、最善策を考える。
そんなアレンをよそに、
「よこすニャ」
猫は前足をアレンに向ける。
「え?」
「だから肉をよこすニャ!」
前足を両方そろえて突き出し、上下に振る。
あ……肉の催促だ、これ。
「あ、ああ。少し待ってな」
アレンは荷物袋から乾燥肉を二つ取り出す。
「これのことか?」
「ふたつあるニャら、ふたつよこすニャ」
「わかった。やるよ」
アレンは二つとも猫に渡す。
猫は乾燥肉を受け取ると、勢いよくかぶりついた。
「うまいニャ! おまえ、やっぱりいいやつだニャ!」
がっつく猫の横に座り、水筒の水で渇いた喉を潤す。
一体なんなんだ、コイツは。
アレンはそう思いながらも、幸せそうに前足をなめる猫を見て、少し警戒心が和らいでいく。
「うまかったニャ」
そう言って猫はトコトコと歩き、アレンの少し前で向き合うように座った。
「で、おまえはニャにものニャんだニャ?」
「あ、こ、この山のふもとの村に住むアレンです」
おまえの方が何者だよ、と思いながらも、アレンは答える。
「で、普通の人間ニャのか?」
アレンは首をかしげる。
「ごく普通の村の人間ですが?」
そう答えると、猫はアレンに近づいた。
「そうか。でも、おまえからは、すごく強い何か、得体のしれない何かを感じるんだがニャ」
猫はそう言いながら、前足で顔をこする。
「まあ、普通の人間ニャら喰っても仕方ないニャ。じゃあ、吾輩は用事があるので行くニャ」
猫はトコトコと外に出て行ったかと思うと、そのまま風のように消えた。
外には銀世界が広がっていた。
そして、そこには一つの足跡もなかった。
アレンは呆然としながらも、水筒に口をつけた。さっきよりも喉の渇きが増していた。
「普通の人間なら喰わない?」
言葉の意味を理解できないまま、残る恐怖を振り払うように、無心で支度をする。
「考えても無駄だな。俺は山神様に会って、湧水をもらって帰る。それだけを考えよう」
アレンの足が一歩進みかけて、止まる。
いや、待てよ……。さっきの猫は、もしかしたら山神について知っているかもしれない。
アレンは今まで聞いた山神の話を思い返す。
山神は、強個体の魔物を一撃で仕留める強さがある。
強いやつを感じ取れるあの猫なら、何か知っているかもしれない!
アレンはそう思って猫を探すことにしたが、
「足跡が、ない」
周りの木々まで二十メートルは離れている開けた場所で、一面の雪。
そこにあるはずの足跡がない。
どうするか迷って、アレンは決断する。
待ってみるか。
『用事があるから行く』
昨日から出会っているのだから、この辺りは猫の縄張りに違いない。恐らく、昨日見たあの跳躍や動きからして、かなりの行動範囲のはずだ。
なら、探しに行くよりも、
「用事ってのが終わったら、また乾燥肉を食いに来ないかな」
そう考え、出発の支度を解き、休む準備を始めた。
その夜。
アレンが休む洞窟から山のほぼ反対側で、大きな雪崩が起こった。
雪崩にブラッドベアが飲み込まれていく最中、その巨体が雪崩の中から空を舞った。
木々にぶつかりながら、その巨体は山の深みへと姿を消した。
金色の瞳と共に。
朝が来た。
アレンは目を覚ます。
……
いる。
そこに。
全身が黒。
黒い瞳で。
二本足で立ち、両前足をこちらに向けた猫が。
「ニャー!」
アレンはやれやれといった様子で起き上がり、荷物袋から乾燥肉を取り出して猫に見せる。
「ほら、これだろ?」
「それニャ!」
猫はアレンの手から乾燥肉を奪い取り、そのままの勢いでかじりつく。
「うまいニャ!」
ものの数秒で、乾燥肉は猫の口の中に消えていった。
乾燥肉は結構固く、塩分も少し高めだ。普通なら何度も噛み、少しずつ柔らかくしながら、時間をかけて食べて腹を満たすものなのだが。
猫はもう前足を舐めている。
「もっとニャいのかニャ!」
さすがに無限にあるわけではない。
交渉材料もなしに、このまま渡し続けるわけにはいかない……。
アレンは荷物袋を左手に持ったまま立ち上がり、右の手のひらを猫に向ける。
「ああ、ちょっと待った。乾燥肉はもうあまり持ってないんだが、キミに聞きたいことがあるんだ」
猫は二本足で立ったまま、アレンを見上げる。
「なんだニャ?」
「今から俺が質問するから、それについて知ってることを教えてくれたら、1つやるよ」
猫は考えるような素振りで目をつむったが、すぐに目を開けた。
「わかったニャ。はやくよこすニャ!」
なにもわかってねーよ。
心の中でそう呟きながら、アレンは切り出す。
「実はこの山に山神様ってのがいるらしいんだが、キミは何か知らないか?」
「ニャんだそれニャ」
知らない……?
ウソをついてる可能性は……?
即答した後、すぐに両前足を差し出すコイツに、そんなウソをつく理由があるのか?
質問の仕方か……?
「な、なら天女の泉は知らないか? 昔、この山で少女が『飲むな』と言われる湧水を飲んだらしいんだが、病気や怪我が治る力のある湧水があるって話なんだ……」
「ニャんだそれニャ」
アレンは少し肩を落としながら、荷物袋から乾燥肉を取り出す。
「そうか。すごく残念だけど、知らないならしょうがないな。ほら、知らないってことを教えてくれたってことでやるよ」
アレンは乾燥肉を1つ、猫に渡した。
「ニャー?」
珍しくがっつかずに、前足でつかんだ乾燥肉を見つめる。
「うまい肉もらうだけじゃニャンだか悪い気もするニャ」
そう言いながらも、気がつけば前足を舐めていた。
相変わらず食うのはえーな。
アレンはそう思いながらも、あまり気にしないでおこうと誓った。
「じゃあ今度は吾輩が食いものをやるニャ」
猫はそう言うと、いつの間にかアレンの足元に来て、その足をポンと叩いた。
「でも吾輩も用事をしなくちゃいけニャいから、あまり離れられないんだニャ。だからおまえ、吾輩と一緒にくるニャ!」
そう言って、トコトコと歩き出す。
「おい、ちょっと!」
アレンは慌てて後を追う。
晴れ渡った空の下、
雪原を進む影が2つ。
1つは膝下まで雪をかき分けながら。
もう1つは、雪の上をスタスタと。
「遅いニャ」
前を行く黒猫が振り返り、アレンに話しかける。
「これでも早い方だと思うぜ。普通の人間なんだよ、俺は」
そう言いながらも、アレンは前へと進んでいく。
そもそも、いくら軽そうだからといっても、この新雪の上を歩いて足跡ひとつもつかないってどういうことだよ……。
アレンは右手に持った自作の杖で足元を確認しながら、猫を追う。
「チカラの使い方を知らニャいみたいだニャ。こんニャに惑星エネルギーが豊富ニャのにニャ」
猫は立ち止まり、アレンを見つめる。
アレンは初めて聞く名称に、怪訝な顔をする。
「惑星? エネルギー? なんだよ、それ」
「まあ、知らニャいならいいニャ」
そう言いながらアレンのところまで歩いていったかと思うと、アレンの体をよじ登り、その肩をつかむ。
「急ぐニャ」
その瞬間、アレンの体は宙に浮かび、周りの景色がものすごい勢いで後ろへと飛んでいく。
「……!!」
驚きと恐怖で叫びたいが、口を開けると息が苦しい。
目も開けることができない。
鼻水も後ろへ流れて消える……。
アレンは何が起こっているのか理解が追いつかないまま足掻いたが、しばらくして意識も闇に消えた。
真っ白な雪山の上を、少年が空を飛んでいく。
その背中には、金色に光る瞳の黒猫がいた。




