9話 依頼
フィンが連盟に連絡を入れてから、凡そ二時間が経った頃。
白角鹿との戦闘跡地に、複数の人影が足を踏み入れていた。数は四人。その先頭に立つガタイの良い茶髪の男──ガルダ・ウラハスは、健康的に黒く焼けた喉をゴクリと鳴らす。
「なんだよ、これ……」
彼は呆然と立っていた。背中に背負う分厚い大剣に手を伸ばすこもなく、両手はだらりと力が抜けている。護衛として失格の振る舞いだった。しかし誰も──二名の同行者も、依頼人本人も指摘しない。
本来なら注意すべき場面で、依頼人であり商人でもある眼鏡をかけた細身の女性──キナイ・グルンダは呟く。
「綺麗……」
この場は危険地帯だ。そんなことはキナイも知っている。護衛を必要としてまで足を踏み入れたのだから。
しかし気づけば言葉が漏れていた。眼前の景色はそれ程の衝撃を秘めている。
その場はアイスブルーに輝いていた。巨大なコマを回したように円形にすり減った大地は、表面を霜が覆っている。直径50m近い円。その外周を囲う氷の彫像と化した草木。漂う冷気は低空を嫋やかに漂い、陽光を受けてパチパチと瞬いている。
「まるで冬の国……」
その国にある“闘技場“と言われても納得がいく。キナイは鈍い頭でそんな感想を抱いた。
「あれは何かしら」
キナイは呟き首を傾げた。視線の先にあるのは、闘技場の中で最も異質な物質。大地から天へと伸びる白い角だった。落雷を固めればそうなるだろう形で、捻れ、別れ、穿っている。枝木のように細く、しかし長さはガルダの身長の二倍ほど。それが十数本聳え立っている。
冷気を纏う様はまるで墓標のようで、キナイは無意識に身を震わせた。しかし美しさは健在で、彼女は吸い込まれるように足を進めてしまう。
残り二歩でガルダの隣に並ぶ──前に、その肩にソッと手が置かれた。
「あまり前に出ないで下さい」
女性らしく高く神経質そうな堅い声。キナイは振り返り、鋭く弧を描いた瞳とぶつかった。
小柄なキナイより頭一つ分背の高い狐顔の女性──リスィー・ショナフは薄く微笑むと、胸元に垂れた自身の黒髪を払い言う。
「いざという時、守れませんので」
「……すみません」
小さく頭を下げ、キナイは素直にリスィーの背後に移動した。もっと近くであの景色を見ていたい思いはあったが、グッと飲み込んだ。
キナイと入れ替わるように、中背で猫背のネズミのような灰髪の男──ボバー・ルフが前に出る。リスィーもそれに続き、ガルダの両隣にそれぞれ立った。
ボバーが顎を摩りながら言う。
「デカい霊跡っすねぇ……ここまでのは初めて見やしたぜ」
霊跡──霊害獣が消滅した場所に残る残留霊力である。自然の摂理から外れた現象を引き起こすことが多く、今回の場合は闘技場そのものがそれに当たる。
──何故そんなものが残るか。
そも、霊害獣は肉体を持たない。獣の形をしているのもガワだけだ。その体は霊力によって構成されている。形を保つ為の器が無くなれば、指向性を失った霊力は周囲に離散していまう。まさに水風船が弾けるように。
ガワが破けて霊力が解放され四散する。そして暫くすれば大地に染み込み栄養となる。この点は通常の災害と同じだった。例えば、洪水が大地を押し流す負の面の影に、地下水の補給という正の面があるように。
基本的には害にしかならないが、小さな──本当に小さな長所も存在していた。
そう、本来ならとても小さいものなのだ。キナイもそう聞いている。だからか眼前の規模感に、ガルダ達は圧倒されているようだった。
「お二人は覚えがありやすかい?」
ボバーの問いにレスィーが言う。
「私も初ですよ、流石にこの規模は。ただ、残留している霊気には見覚えがありますね。白に青が混じった……氷の属性のそれです」
彼女は薄目を開けて観察した。霊術師や霊導師は、霊管を一時的に活性化させ、瞳に霊力を込める事で知覚能力を高めることができるらしい。霊管活性と呼ばれる技術だと、言葉だけはキナイも知っていた。
視覚に霊力由来のフィルターを被せる事で、視認困難な霊力の流れや性質を捉えることができるようだ。
数秒で観察を終えたリスィーが、まばたきに続けて言う。
「冬とはいえ12月もまだ半ば。自然現象でこれはあり得ませんよ、ねぇガルダさん?」
「見れば分かるッ……この辺りで冷気を操る霊害獣は一種だけだ」
ガルダが粗い声で言った。彼には確信があるようで、それはレスィーも同じらしい。彼女が頷いて言う。
「第二級……白角鹿ですね」
「ああ……依頼書の通りにな」
「遭遇率はそう高くない筈なんですがねぇ」
「単騎で街を落とす怪物だ。そう頻繁に現れてたまるかッ」
「そいつぁ、ごもっともでさぁ」
ヘラヘラと茶化すボバーを、ガルダはジロリと睨め付ける。しかしすぐに眼前の景色に顔を戻した。キナイには彼の横顔が微かにしか見えないが、どこか苛立っているように思えた。
彼女の視線に気づいていないのか、ガルドはジッと前を向いたまま呟く。
「……普通なら霊術師でも接触を避ける相手だってのにッ」
彼は奥歯を噛み締めた。右手は知らず拳を握っていて、小刻みに震えている。
続けて呟く。
「なんだこの、異常な数の霊跡恵は……」
彼の目線を辿れば、大地から伸びる雷のような白い角に向いていた。その呟きを拾うことで、キナイは興味の対象の正体に行き着く。
霊跡恵──霊害獣を討伐した際にごく稀に現れる資源である。
霊跡は局所的に霊力が濃くなった状態の為、その影響を受けて一時的に特異な植生が現れることがある。それらは多種多様な効能を持ち、武器にも薬にもなる事で知られていた。
──アレが白角樹ですか。キナイは内心で反芻した。
白い角は正確には樹木で、暖気を吸い取り冷気に変換する性質を持つ。武器だけでなく空調機器の代わり等に加工する事も可能だ。更には極少量でも煎じて飲めば解熱剤になると言われ、商品化出来れば大衆受けの良い一品となるだろう。とはいえ取得難易度が高すぎて出回る事などない。キナイも実物を見るのは初めてだった。
それが群れを成している──欲しい。キナイの頭の中で算盤が弾かれていた。
「はッ、何体倒せば、こうなるんだよ……」
ガルダの声と体から滲む苛立ちと畏怖。その対象は白角鹿ではなのだろう。話を聞くだけだったキナイだが、確かにそう感じられた。それ程に異常な状況なのだと理解させられる。
しかし理解と納得は別の話だ。
キナイは声を掛ける。
「あの……」
「……ああ、すまんなキナイさん。つい散漫になっちまった……だが安心してくれ。こんな場所に近寄る馬鹿は霊害獣にもいない。身の安全は保証するぜ」
戦闘を生業とするガルダがそう言うならそうなのだろう。キナイは曖昧に頷く。
安全への心配は確かにあったが、それ以上に疑問が膨れていた。
「その、一つ質問いいでしょうか?」
「ん? まぁ、そりゃいいが……」
「私にはよく分からないのですが、この状況はそれほど驚く事なのですか?」
コテンと首を傾げた。キナイにとってこの場は幻想的で美しく、そしてどこか肝が冷える場所だ。ガルダから伝わる苛立ちとは遠い感想を抱いていた。
ガルダは怪訝そうに片眉を上げたが、何か納得したように一度頷く。
「キナイさんは、外円地区から来て間もないんだったか?」
一枚の大地で形成されている人間界には、大きく二つの地区に別れている。大陸中央の内円地区と、その外側の外円地区だ。この二つには様々な違いがあるが、有り体にいえば内円地区が都会で外円地区が田舎、そのように当てはめることが多い。
「ええ、まぁ……まだ2ヶ月程です」
「こっちに来てから、霊害獣との戦闘跡を見たことは?」
キナイは察した。ガルダが言外に指摘しているのは危険性の比較なのだろう。田舎者に言い含めようとしている気配を感じ、彼女は肩を窄めた。
内円地区は霊力が活発で自然が豊かであり、多くの恩恵も受けている。しかしその分霊害獣の発生頻度が高かった。対して外円地区はその逆だ。霊害獣が現れたとしても第6級が最大規模。一般出の霊導師でも十分に通用する。その程度の危険性だった。きっと霊害獣への認識にもズレがあるだろう。
だからこそ、キナイの危機感の無さを注意しようとしているのだろう。彼女はそのように予想していた。
「お恥ずかしながら、これが初めてでして……」
嗜められるのだろうか。無知を晒されるようで、キナイの頬に熱が籠った。
その予想に反し、ボバーが話に割り込んだ。彼はヘラヘラ笑って言う。
「ソイツは幸運でさぁ」
「ええっと……」
遠回りの皮肉だろうか。キナイは曖昧な笑みで言葉を濁す。
「こっちじゃ霊害獣の被害は三日に一度ってもんでさぁ。二ヶ月もお目に掛からないなんて、神様に愛されてますぜ」
ボバーは変わらぬ軽薄さを纏って補足した。
彼にとっては素直な感心だったのだろう。しかしキナイは顔を曇らせる。
「はは、神様ですか……」
そう小さく呟いた。とても喜べるような言葉ではなかった。キナイはついっと視線を落とす。
ガルダが声を張る。
「黙ってろボバー!」
「へへッ、すんませんガルダの旦那」
ボバーはガルダに肩を掴まれキナイとの距離を取らされた。ボバーはヘラヘラ笑いながらそれに従い、ガルダは顔を顰めながら頭をガシガシと掻いている。反省の色が見えず、苛立っているのだろう。キナイはその姿をボンヤリと見ていた。
代わりのようにリスィーが近づいてきて言う。
「キナイさん、どうかお気になさらず。彼に他意はないのです……思慮にも欠けていますが」
「そりゃねえですぜ、リスィーの姐さん。人を馬鹿みたいに」
耳ざといボバーが野次を飛ばした。
振り向いたリスィーが彼を睨む。
「黙ってろと言われたばかりでしょう? この愚か者」
「ヘヘッ、そうでした……あっしは黙りますとも」
彼は首に巻いた薄汚れたマフラーを口元まで引き上げた。肩はまだ揺れており、形だけの反省なのが見て取れる。
ガルダがため息を溢しながら近づいてきて言う。
「悪いな、キナイさん。アンタの事情は話してたんだが」
「……いえ、大丈夫です。この場で話題にすることでもありませんから」
キナイはかぶりを振った。頭に浮かんだ黒い感情を努めてふるい落とす。イメージが像を結ぶ前に離散していく。
彼女は切り替えるように言う。
「それより、お話の続きをお願いしても? 皆さん警戒を解かれているようですし……ありますよね、余裕」
先の不快感が尾を引いており、少し圧のある言い方になってしまった。商人として少々情けない。キナイは自嘲する。
ガルダは見逃してくれたのか、肩を竦めて了承する。
「そうだな……詫び代わりに教えるとするか」
「感謝します」
小さく頷き、キナイは先を促した。
ガルダは話す内容をまとめるように顎を摩った。二秒ほど間を挟んでから口を開く。
「……まず聞くが、発生した霊害獣が何を目指して行動しているかは知ってるか?」
「ええ。龍脈が重なった活性地……確か龍火点と呼ばれていましたか。そこから霊力を得るのが目的でしたね」
龍火点──大地に根を伸ばす龍脈が密集、あるいは重なる場所である。
龍脈は元来、地下深くに存在する。純粋な距離の影響で、そこを流れる霊力が地表に影響を与えることはない。しかし龍火点は別だった。波がぶつかり合えば飛沫をあげるように、霊力の接触が地表へと届く。
内円地区には龍火点が複数存在している。故に豊かなのだ。キナイも把握している情報だった。
ガルダが頷いて肯定する。
「そうだ。龍火点は霊力が濃い。地表に漏れ出る程にな……霊力を喰らう獣にとっては餌場って訳で、このツギハギの丘もそれに当たる」
「だから群れていたのですね」
「普通ならな」
ガルダは言外に否定していた。
キナイは首を傾げる。
「ええっと……ですがお話を耳にしていた限りでは、なんとか鹿の──」
「白角鹿な。第二級の霊害獣」
「それです、それ。“何体倒せばこうなるのか“って驚かれていましたし……この場に群れていたのでしょう?」
「それがあり得ないんだよ」
ガルダはガシガシと頭を掻いた。その動きは乱暴で、動揺が残っているように思える。しかし警戒している様子はない。そのチグハグさが、キナイには不思議だった。
ガルダが続けて言う。
「霊害獣に仲間意識なんてものは存在しない。あいつらは単独で動く……霊力の独り占めが目的だからな。例え同じ姿形をしていても、ただそれだけの競争相手だ」
「はぁ……」
キナイは曖昧に頷いた。どうにも実感が湧かない。
その心中はガルダにも伝わっていたようで、彼は例え話を始める。
「夏の虫は、木の蜜を取りに集まるだろう」
「ええ」
「ソイツらは仲良し子良しで、列に並んで餌を分配しているか?」
キナイの頭に、木の幹に群れる虫の姿が浮かぶ。統率が取れているとはとても言えない景色だった。
彼女は首を横に振る。
「見たことがありませんね」
「他の虫をふるい落とす奴だっているだろ?」
「言われてみれば、確かに……では、霊害獣はその気性が強いと?」
「そういうこった……偶発的に出現場所が重なることはあっても、群れることはない」
「数が揃うことは稀なのですね」
「ああ。連携して行動するなんて持っての他だ……だってのにッ」
「ガルダさん?」
ガルダが急に声を荒げた。会話中もどこか根っこで燻っていたガルドの熱が弾けている。そう感じたキナイは思わず肩をビクつかせた。
彼女の反応に構うことなく、彼は額に青筋を浮かばせて声を上げる。
「クソがッ! 例の学生霊術師はどこ行きやがった! 状況を説明しやがれ!」
目前の怒鳴り声に、キナイは思わず耳を塞いだ。そのままヨロヨロと後ろに下がる。耳の奥を叩かれたような鈍い痛みがあった。
彼の大声はよく響き、氷の闘技場を超えて木々の奥へと通っていく。間延びした音が反響していた。
木霊が二回、三回と繰り返し──別の音が挟まる。
「人を待たせておいて……随分な言い草だなぁ、おい」
男の声だ。塞いだ耳の隙間からスッと通ったその声に、キナイは伏せていた顔を上げた。
白髪の青年が、呆れた表情で木々の影から姿を見せた。彼は軍服染みた紺色の制服を緩く纏い、その上から襤褸の外套を羽織っている。その制服が聖都霊法学園のものだと、流石のキナイも知っていた。
世界唯一の霊術師の学園のことは、縁のない外円地区の住人ですら周知のものだ。商人であれば尚のこと。将来、霊害獣という外敵を処理する戦力であり権力となる彼ら生徒との繋がりは、高い価値を持っている。傲慢さを備えたその人間性に目を瞑ってでもコネクションを確保したいと、多くの商人が望むほどに。
彼が今回の受注者──フィン。生憎と偽名であり、当然家名の登録もされていなかったが、その制服が身分証明となっていた。偽名を使った所で師族であるとバレバレだ。あの学園に一般民が通うようなことがあれば、情報が回らない筈がないのだから。そんな話は聞いたことがなかった。
状況的に、この闘技場を作り出したのも彼なのだろう。キナイは知らず唾を飲み込んだ。恐れよりも興奮が優っていた。
ゆっくりと近づく彼に、ガルダが詰め寄る。
「テメェかッ。この狂った現場の元凶はッ」
胸ぐらを掴みかねない勢いだった。唾だって飛んでいる。一般民が師族に向ける態度とは思えない。キナイは悲鳴が漏れそうで、どうか飛び火しないでくれと願っていた。
フィンは嫌そうに顔を顰めて距離を取る。たったそれだけで済ませ、話を進めていく。
「なんだってそんな喧嘩腰なんだよ……俺はきっちり仕事してるだろうが」
「聞いてた話と違うって言ってんだよ! 白角鹿が複数現れるだなんて聞いてねぇッ……割りに合わねぇぞ」
「俺に文句を垂れるなよ……依頼人はそちらさんだろ」
「ふぇ!?」
急に視線を向けられ、キナイは妙な声を漏らした。そしてすぐに肩を窄める。明らかな年下の前でこの反応は、流石に恥ずかしかった。
フィンは特にツッコムことなく続けて言う。
「依頼書に書いてただろ。接敵性の高い霊害獣として白角鹿の情報がな。まぁ様子を見るに連盟が追記した補足情報なんだろうが……そうですよね。キナイ・グルンダさん?」
「え、ええ……はい。私は詳しくありませんので、連盟の方に依頼書の作成をお願いしていました、けど……」
キナイは意外な心持ちのまま素直に答えた。
いくら学生とはいえ師族である事に変わりはない。ガルダとのやりとりからも粗野で尊大な気質なのかと思っていた。そんな第一印象は、しかし思いの外丁寧に尋ねられた事で霧散する。つい素のまま対応してしまった。
無礼だったか。そう一瞬焦るも、フィンが満足気に頷いているのを見て安心する。そもそもガルダの対応に苛立ちすら見せていない様子から、いらない心配だったと納得した。
フィンはガルダに視線を戻し、肩を竦めて言う。
「確かに出現が一体だけとは書いてなかった。“複数ではない“とも書かれてなかったけどな」
「ぁあッ!?」
詰めるようなフィン発言に、ガルダが眦を釣り上げた。
詰め寄るガルドに対し、フィンはひょいひょいと足を流して距離を保つ。
「だから近いって。事前情報との食い違いに焦るのも分かるけどなぁ……唾を吐く相手、間違えてるんじゃないか?」
「分かってて言いやがってッ」
ガルダは顔を赤く染めた。
現場の状況を事細かに記載できるほどの情報収集能力が依頼人、ないし連盟にあれば、そもそも護衛依頼など不要だ。自分達で対応すればいいのだから。その方が実入りも良い。
仕事と仕事の間に挟まるものが少ない方がコストを抑えられる。常識だ。キナイも商人として身に染みていた。
それでも連盟に依頼を通している。つまり“情報収集能力の保有“という前提条件が成立していない。こうして依頼を受けている以上、そんなことはガルダにも分かっているだろう。
なら彼の怒りは何から来ているのだろうか。癇癪染みた振る舞いに、キナイは困惑していた。
それはフィンも同じようで、これ見よがしにため息を溢して言う。
「まさかとは思うが、俺が態と霊害獣を引き込んだ、とでも言うつもりか?」
「違うってのかよッ」
「いや、どうやってやるんだよ……」
「それはッ──」
ガルダの言葉は続かなかった。
それはそうだろう。キナイは少々の呆れを込めて彼の背中を見た。
霊害獣を人為的に操る方法など聞いたことがない。もし可能であれば、人類はもっと安全に暮らせている筈だ。こうして高い費用を掛けて依頼をする必要もない。分かり切ったことだ。
だからガルダの支離滅裂な言動が理解できなかった。
「この状況は偶然ってやつだ。何に“怯えてる“のか知らないが、八つ当たりは辞めてくれ」
「……ッ」
“怯え“とフィンは言った。図星だったのか、ガルダは唇を引き結んで沈黙した。
いったい何に対しての怯えなのか。戦闘者ではないキナイには察せない。霊害獣か、事前情報と異なる状況にか、それとも──己の常識で測れない、フィンという存在に対してか。どれもがありそうで、しかししっくりこなかった。
ガルダは苦々しい顔で舌を打つ。
「……この状況は異常だ。この規模の霊跡があればしばらく霊害獣は寄ってこないだろうが……いつまでも保つもんじゃねぇ」
霊跡は霊力の残留であり、それは大地や周辺の自然に吸収されていく。つまり時間経過で消滅する。ここまでの話と知識を照らし合わせて、キナイは安全性に時間制限があることを理解した。なら急いで用を済ませるべきだ。そう思っていたのに──
「俺たちは抜けさせてもらう」
ガルダはキッパリと言い切った。
キナイは慌てて声を張る。
「こ、困りますよガルダさん! ここまで来て──」
「悪いなキナイさん。ああ、本当に悪いと思ってる……だが俺たちも命が惜しい」
「敵はいないじゃないですか!?」
フィンが淡々と頷く。
「それは俺が保証する。辺りの掃除は終わらせた……ガルダさんだったか。アンタの懸念してるだろう“おかわり“は来ないよ」
「信じるとでも?」
冷たく硬い声だった。いつのまにかガルダの後ろに付いていたボバーとリスィーも表情を固くしている。彼らの瞳はキナイにも覚えがあった。商談相手と対面した際、こちらが若い女だと理解した時の怪訝な反応。不信感に濡れた瞳だ。キナイは思わず言葉を詰まらせた。
フィンはため息を落とす。長く深く。そして言う。
「……俺が、師族だからか?」
「ああ」
短い回答は分厚い壁を思わせた。
フィンは首を撫でて苦笑する。
「俺は何もしてないんだがなぁ」
「これからするかもしれねぇ。これまでのことも、表に出てないだけかもしれねぇ。何より──」
ガルダは睨む。嫌悪と怯えを滲ませて。
「怪物を殺す化け物に、近寄りたくねぇ」
冷気を孕んだ風が、沈黙の中を通り抜けた。




