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7話 リハビリ

 

 都市街から外れた荒れた平野。枯れた枝葉がカサカサと擦れ、時折パキリと木が軋む。冬の寒さと乾燥が、視覚と聴覚を冷たくさせる。人の気配はなく、土の香りが色濃く周囲を包んでいる。

 その中をフィンは駆けていた。彼の俊足は風に乗っているかの如く、一歩踏み込む毎に世界が加速し後ろへと流れていく。見に纏った外套が風に弄ばれ、陸に打ち上げられた魚のようにバタバタと暴れていた。

 胸ポケットには顔を出したレルト。冬の風に当たって頬を赤らめながら、しかし楽しげな笑みを浮かべている。


「レルト、寒くないか?」

──(気持ちいい)──(冷たいのも良いね)!」

あっち(精霊界)じゃここまで冷え込むのは稀だからなぁ。今日が12月10日だから、来月あたり雪が降るかもしれないぞ」


 フィンはディルの記憶と照らし合わせて天候を予想した。ちなみに本日は日曜日、晴れのち曇りの予報だった。

 雪と聞いて、レルトはわちゃわちゃと腕を振っている。興奮した様子だ。


──(水筒いらずだ)!」

「俺も最初にそれ考えた。でもガキの頃、煮沸せず口にして腹壊したっけ」

──(あんなに真っ白なのに)──(実は汚いよね)

「それなぁ。あの時は腹が冷えただけだと思ってわ」

──(エグナ、呆れてもん)

「兄妹には笑われたけどな」


 ドブネズミ時代を思い出して染み染みとする二人。エグナに拾われてからはそんな生活も改善されていたが、見に染み込んだ記憶は中々抜けないのだった。


「とりあえず寒くないなら良かった。まだしばらく掛かるから、存分にぶらり旅を楽しんでくれ」

──(帽子飛んじゃうかも)──(その時は拾ってね)!」

「それはしっかり掴んでなさい」


 レルトは右手で魔女帽子の唾をひしりと掴んだ。素直だ。残った左手はフィンの服を引っ張て、彼の首元を浅く絞める。


「どうした?」

──(もっと早くてもいいよ)?」


 それは催促ではなく、むしろ気遣いが無用であるという意思表明だった。精霊のフィンを知るレルトにとって、彼の現速はあまりに緩やかだったのだ。

 フィンは苦笑を返す。


「この体、貧弱なんだよ。霊管活性(ウァスヴェーダ)の運用こそ出来てるが、元が弱いせいか出力が酷い」


 霊管活性(ウァスヴェーダ)──霊力を活用した身体強化技能である。

 精霊や、霊術師と呼ばれる霊力をその身に宿す人間には、霊管と呼ばれる体組織が存在する。血を運ぶ血管のように、その管は霊力を体に巡らせる為の通り道だ。役割が似ていれば特性も似ており、血流促進で運動能力が向上するように、霊力の流れを操ることで体には様々な影響を与える事が可能となる。

 これは体外に霊力を放出する霊術とは異なる、体内で行われる運用技能だ。先天的に霊術を扱えない羽無し(アン・ティー・ガン)のフィンにとっては唯一の武器でもあった……のだが。


──(人間って不憫だね)

「やっぱりレルトもそう思うよな」


 人間となった今、そもそもの身体出力が異なっていた。それは生命構造の違いが原因だ。というのも、人間は酸素供給によって肉体を動かし、その増強剤として霊力を活用する。あくまで霊力は外付けなのだ。対して精霊は霊力こそがエネルギー源であり、活動に酸素は不要。根本からして異なる生命体が、同じ身体能力を持つ筈がないのである。

 加えて、体の以前の持ち主であるディル、彼の生活習慣も問題だった。精霊朽ち(アヴァッド・ロファ)と呼ばれた無才の極みであった彼は、霊力の操作能力に関してもお察しであり、周囲からも大いに馬鹿にされてきた。そんな環境で体を鍛え続ける事が彼には出来なかったのだ。薄い体がその結果だ。フィンにとっては体そのものが鉛に変わった気分だった。


「まぁ、それでも知識を詰め込んでるのがディルの凄い所だ。おかげで助けられてる」

──(フィン)──(お馬鹿さんだもんね)

「別に馬鹿って訳じゃないし。勉強したことないだけだし……」

──(あ、ごめん)──(落ち込まないで)


 ボソボソ言いながら顔を逸らしたフィンの胸元を、レルトは優しくポンポンと叩いた。

 孤児の彼は力を求めてこれまでを過ごして来た。知識方面はお察しなのだ。対してディルの記憶の中の知識は多岐に渡り、フィンを大いに支えている。半身とも呼べるディルの積み重ねたものを、フィンは感謝と共に受け止めていた。体の貧弱さを口にはしても、否定や批判をしないのはそれが理由だった。


「まぁ、何かしら欠けてる方が俺逹らしいさ。だろ?」

──(それでこそだよ)──(ここから鍛え直しだね)!」

「その前にリハビリだけどな。体が変わったせいで、重心やら何やらがごちゃごちゃだ。調整しないと」

──(頑張って)!」

「気軽に言ってくれるなぁ」


 拳を突き上げるレルトの頭を、フィンは朗らかに見下ろした。レルトは満足気に見返した。どちらともなくクスリと笑みを溢す。実に和やかなだった。

 そんな二人を迎えるように、視界の先では深い森が口を開けていた。


 ──さて、フィンがこうして駆けている理由は何故か。それは一時間ほど前に遡り、場所は荒れた平野から蔓の街(バラ・アン・ハーシュ)へと戻る。


 同日早朝。フィンはディルの記憶を頼りに街を進み、目的地──霊理連盟へと辿り着いていた。

 霊理連盟──精霊、霊害、霊害獣などの霊的事態に理をひく事を目的に、一般民によって発足された組織である。簡単に言えば、霊害獣の対策組織だ。

 まず前提として、人間界には大きく分けて二つの人種が存在する。一つが、ディルの血統でもあるコーマック家など、生まれながらに霊力を操る素養を持つ“師族“。そしてもう一つが、その素養を持たずに生まれた“一般民“だ。

 では一般民は戦う力を持たないのか──否である。彼らは霊力の素養を育て、後天的に得る事を可能としていた。力を得た霊導師(ドゥリー)と呼ばれる彼らは、何百年か前には師族──霊術師(サガルト)と共同戦線を張った事もある程だった。


 しかしそれも過去の話。今では霊術師と霊導師の戦力比は比べるのも烏滸がましいとされている。それこそ、|霊術師として無才に等しいディルと“団栗の背比べ“ができるレベルだった。それでもなお、彼らは連盟として組織を運営し日々職務を遂行している。そこには確かな需要が存在した。

 特に、戦力へのニーズはいつだって高かった……筈なのだが。


「──その、申し訳ございませんが、ご再考をお願い致します」


 受付に座る女性──グラニカ・アドヴァールがそう断りを入れた。艶のある淡い青色の髪に収まる小さな顔には愛想笑いが浮かんでいる。声には疲れが見えていた。

 対面するフィンは外套を被ったまま首を傾げる。なるべく丁寧な口調と声音を意識して、


「規則上は問題ありませんよね?」


 そう尋ねる。つい先ほど、連盟で依頼を受けるに当たり必要な手続きを終わらせたばかりである。規則についても目の前の彼女から聞いていた。フィンの希望を妨げる規則は存在しない筈なのだ。


「しょ、少々お待ち下さい」


 グラニカは視線を迷わせた後、手元の台帳をペラペラと捲った。その視線は文字を追っておらず、ぼんやりと紙面を眺めているだけだ。時間稼ぎであり、面倒な相手から逃れたい一心なのが嫌でも分かった。

 かれこれ十分ほど、この停滞気味な会話が繰り返されている。フィンはどうしたものかと腕を組んだ。

 その動きに反応してかグラニカがびくりと肩を震わせた。小動物を怖がらせているようで、フィンは内心でため息を溢す。どうしてこうなった。そんな疑念が頭を占めていた。


 グラニカも最初から余所余所しい態度を取っていた訳ではない。連盟についての説明や手続きのサポートは丁寧で、線の細いフィンを心配する様子すら見せていた。表情は温和で愛嬌があり声も明るい。受付嬢として人気の高さを伺える立ち振る舞いだった。

 しかしそれも、フィンが霊術師の学園──聖都霊法学園の生徒であると分かった途端に消えてしまった。柔らかい笑みは福音声が滲む愛想笑いに変わり、距離感も拒絶的だ。その落差には困惑する他ない。

 俺なんかしたっけ。フィンは内心で何度も首を傾げ、腕を組んだままディルの記憶を掘り返す。その中に答えがあった。どうやら師族は一般民から非常に嫌悪されているらしく、詰まるところ“力が生んだ格差“が原因だった。


 師族は先天的に力を持ち、霊害獣への対処を責務としている。彼らは確かにその責務を果たしている──がしかし、一般民への態度は傲慢、横暴が目立っていた。師族の中には霊害獣との戦闘で態と一般民を巻き込み、囮として使い捨てるような輩もいるらしい。暴力装置が意思を持ったが故の暴走と言えるだろう。

 そんなことが重なれば腹を立てない訳がなく、一般民は順当に師族に反感を抱いた。しかし力量差は歴然であり、守る者と守られる者として上下関係も決定付けられている。故に苛烈な熱に強引に蓋をしながら、師族との関わりを必要最低限に削ることで身を守っているのだ。グラニカの変容はそこから来ていた。


 フィンにも力の格差が生む亀裂には覚えがある。なにせ迫害の当事者だったのだ。優越感と劣等感が負の円環を生み出すことは身に染みている。そして今、血統を理由に加害者側に属してしまっていた。少なくとも、グラニカにはそう認識されているだろう。どう対処すればいいのか正直分からない。フィンは答え探しを打切り、ひとまず無言のまま返答を待つ事にした。

 何をやってもマイナスの刺激にしかならない。そう諦めたとも言える。

 グラニカが口を開いたのは、彼女の細い指先が台帳の背表紙に辿りついてからだった。


「……その、規則上は問題ない、それは確かにそうなのですが、かと言って“複数同時の依頼受理“は前例もありませんし……」

「つまり失敗例はない、ということですね」

「ポ、ポジティブですね……しかし同時に成功例もない訳ですので……」


 連盟には霊害(ドロハ)や霊害獣に関する依頼が集まり、それを連盟員が受注することで処理していく。つまり斡旋所なのだ。

 フィンはその依頼を複数同時に処理することで金策を計画していた。戦闘を用いたリハビリも兼ねてだ。その狙いが出だしから頓挫しようとしている。ハイそうですかと引っ込むつもりはなかった。

 フィンは卓上に広がった依頼書を指差す。


「それぞれの現場は近場ですし、環境差も少ないので装備の調整も不要だと思います。接敵性の高い霊害獣の情報も取得済みなので、対処方法にも当てが付いてます。となると懸念事項といえば依頼達成力……つまり俺個人の戦闘力くらいだと思うのですが──」

「いえッ、お力を疑うなど、決して致しません!」


 彼女の返答は早かった。顔の前で両手を素早く振っている。フィンにとっては意外な反応だ。


「え、ああ……そうです、か?」

「はいッ、それはもうッ」


 グラニカはコクコクと何度も頷いた。師族への侮辱に繋がり兼ねないと考えたのか、多少の怯えが混ざっている。しかし戦力として疑っていないのは本当のようで、どうやら師族というだけで最低限の力は備えていると判断されるらしい。

 ガバガバの判断基準だ。フィンは心配になった。都合がいいのであえて指摘する事もないが。

 となると、やはり引っかかっているのは師族の横暴さだろうか。気まぐれに依頼を放棄されるとでも考えているのかもしれない。フィンはそう予想する。


「連盟員の契約書にサインした以上、失敗した場合の責任はちゃんと果たしますよ?」

「その……師族様である以上、賠償支払い等の責任能力に疑いはないのですが……」


 グラニカは伺うような視線を向けた。言葉とは裏腹に不安定に揺れる瞳だった。先の素早い反応が嘘のように重たい動きだった。

 責任能力はあっても責任を果たすかは別問題。彼女の視線には、その点への不信感が多分に含まれていた。

 フィンは突破口が見つからなかった。昨日まで精霊として生きてきたのだ。師族と一般民のしがらみは他人事だった。ディルの記憶として知ってはいても実際に体験はしていない、その影響が強く出ていた。当事者意識が持てないのだ。

 師族という立場には確かに得もある。力量測定などの面倒な試験をパスできるのは、いち早く金策を進めたいフィンにとってはありがたい。が、いざ依頼を受ける場面で邪魔をされては意味がない。たまったものではなかった。

 なんかもう、めんどくさい。フィンの中から丁寧さが薄れていく。


「なら、問題ないよな?」

「ええっと……」


 フィンは外套で影になっているのをいい事に、あからさまに顔を顰めていた。崩れたのが表情と口調だけなのはまだマシだ。不信感と嫌悪感が透けて見えるグラニカの対応は、過去の迫害を思い出させていた。いい気分とは言えない。当時であれば睨みを効かせている場面だ。

 しかし自制している。その影の功労者はレルトだった。彼女は今、ポケットの中にすっぽりと身を隠している。彼女がフィンの胸を叩きながら宥めていなければ、きっと語気も荒くなっていただろう。

 そしてグラカの愛想笑いも限界のようだ。頬が引きつり冷や汗が浮かんでいた。

 そんな重くピリ付き始めた空気に、声が挟まる。


「──君の言う通りだ」


 両者にとって救いの声となったのは、重く枯れた男性の声だった。彼はグラカの背後にスッと立ち、人より高い視点からジロリとフィンを見下ろした。

 “代表!“とグラカが振り返る。ワントーン高い声は少し湿っていた。“助かった“ そんな副音声が聞こえてくるようだ。

 いじめっ子になってしまったような罪悪感を抱えながら、フィンは男に尋ねる。


「はじめまして、俺は──」

「名乗りは不要だ、フィン君。先ほど契約書を確認した所だからな……私はこの霊理連盟 蔓の支部で代表をしているダーテ・フレアグラス。名は呼ばずに代表と呼ぶように」


 黒に近い緑色のストレートの髪を耳に掛けた彼は、無表情の上に切れ長の瞳を添えて淡々と挨拶を終えた。有効的とは言えない態度だが、それよりも気になる事がある。フィンは挨拶もそこそこに確認を取る。


「俺の言う通り、という事であれば代表、本件の認可を頂けると?」

「尋ねる前に顔くらい見せたらどうだ」

「これは失礼を」


 軽い謝罪に合わせて外套のフードを外す。確認を優先し過ぎていた。霊理連盟に来る道中、やけに視線を向けられた為に目深に被りそのまま忘れていたのだが、普通に礼儀がなってない。フィンは小さく反省する。

 フィン──正確にはディルの顔が露わになる。色素の抜け切った透明感のある白髪と、淡いシャンパンゴールドの瞳。白い肌に鼻筋が通った中性的な容姿は、細い体付きもあって儚く見える。

 男はチラリとフィンの白髪に目をやった。そして小さく頷く。スケジュール帳を確認しているような、顎を引くだけの動きだ。


「……ああ、なるほどな」

「もしかして、どこかでお会いしましたか?」

「初対面だとも。嬉しい限りだ。それよりも……」


 言葉を切って、テーブル上の書面にザッと目を通す。上から下までキッチリと、それは葉先からこぼれ落ちる雫のように静かで早かった。


「いいだろう。許可する」

「ええ!? い、いいのでしょうか……」


 グラニカは目を見開いてダーテを見上げた。

 彼は動じずに淡々と返す。


「責任は果たすと言っているのだ。規則にも則っている。止める理由が無い」

「代表がそう仰るなら……」


 グラニカは渋々と依頼書に判子を押そうとした。しかしダーテは彼女の肩に手を添えて捺印を止めた。

 首を傾げる彼女をおいて、彼はフィンに言う。


「しかし条件がある」

「賠償金の上乗せですか?」


 フィンは素早く予想を返した。

 ダーテは鼻で笑うと頷く。


「話が早いな。だがそれだけでは不足だ」

「……では何をご希望で」

「これらの案件、全て同一の依頼人から受注しているのだが……ふんっ、よくもまぁ見事に拾い集めた物だな」

「恐縮です」

「一々皮肉に反応するな。鬱陶しい」


 理不尽では? フィンは内心で白けた。

 テーラはフィンの反応を待たずに話を進める。


「先方からは“もし可能であれば現地への護衛も対応して欲しい“と要望が記載されているが……君はどう考えている?」

「相手が了承してくれるのなら、兼任しようと思ってましたが」

「それは許さん」


 テーラはバッサリと告げた。そして続ける。


「護衛業務は他者への委託とし、その分の費用は報酬額から引かせてもらう」

「俺は今日登録したばかりのソロなんですが。委託先が都合よく見つかるとでも?」

「だからこその条件だ。君一人が失敗して死ぬのは結構だが、依頼主まで巻き込まれては叶わん。ああ、当然手配はこちらで行う。相手探しは君では無理だろうからな」

「随分はっきりと言いますね」

「無論、君が聖都霊法学園の生徒であり師族の血統である以上、客観的実力という面では条件を満たしている。我々とは規格が違うのだから、下々の依頼など軽く熟してくれるだろう。その点に関してあれこれ言うつもりはない。依頼の受理自体は認めるとも」

「なら──」

「だが武力と防衛力は別の話だ。そして君たち師族が我々下々の者達にどう思われているのか、少しはご配慮頂きたいところだがな」


 ダーテは言葉を被せ、その瞳に侮蔑の色を滲ませた。


「まさか否とは言うまいな」

「……信頼が不足している以上、妥当な案でしょうね」

「納得したならいい」

「ですが、それなら此方からも条件……いえ、提案があります」


 ダーテはピクリと眉を跳ねさせると、一拍おいて頷いた。


「……聞こう」

「護衛チームとは別行動をさせて頂きたい」

「何を言うかと思えば──」

「俺一人が不安ということは、護衛は複数人なのでしょう? そこに依頼主も含まれるのなら最低でも三人になる訳ですが……」


 言葉を被せて置きながら、言葉尻を渋る。そのフィンの挑発はテーラの瞳を細くした。


「それが何だと言うのかね。はっきり言いたまえ」

「ではお言葉に甘えて……邪魔なんですよ」


 敢えてよく通る声で発声した。連盟のフロントには他にも連盟員が顔を出しており、彼らの表情が苛立ちに染まる。背後で熱が溜まり始めたのを感じて、フィンは笑みを浮かべた。肩頬を上げる、生意気な笑みだ。

 この場にいる彼らは全て一般民だ。師族が連盟の依頼を受ける時には、連盟の方から人を派遣して交渉を行う。故に師族を根本的に嫌っている人間しかいない。フィンは分かった上で挑発を選択した。相手が不信感やら嫌悪感を隠さない以上、いつまでも良い子ちゃんでいるつもりはないのだ。


「俺は、自分の現状と現況を踏まえて達成可能な依頼を見繕っています。その分析の中に護衛対象は居ても足手纏いはいない──ああ、でも、巻き込まれて死ぬのはご勝手にどうぞ。俺は助けませんけどね」

「……小僧が、言ってくれる」

「だが師族の小僧だ」


 所属意識など欠片もないが、挑発に有効な言葉として“師族“と口にした。フィンは元ドブネズミとして、使えるものはなんでも使う精神が根っこにある。そして口も悪い。

 むしろここまでよく耐えた方だ。ポケットの中で、レルトは肩を竦めていた。

 周囲からの熱視線を無視し、フィンは笑みを深める。


「単騎戦力として、魅力的でしょう?」

「……良いだろう。だが言うからには依頼は必ず達成しろ。失敗した場合は三倍の賠償金を払わせるぞ」

「ご心配なく。嘘は嫌いですから」


 これは本心だ。有言は実行する。フィンはそうやって生きてきた。例え気に入らない相手や環境と対面しても、己の中の筋は通す。そこを曲げるつもりはなかった。

 だからこそダーラの強制転移で家族との約束を破らされた事を、未だに根に持っているのだが。


 ──とにかくそういった経緯でフィンは駆けている。今は平野を抜け、森の中を走破しているところだ。依頼の指定地まであと少しだろう。


 思い返してみるとやってしまった感も無くはない。育ちの悪さは中々消えないらしい。フィンは自分に呆れていた。


「とはいえ、のびのび動けるのも事実だ。結果オーライだな」

──(罰金)──(大丈夫なの?)

「必要になったら意地でもかき集めるさ。問題ないとは思うけどな」


 それは油断でも慢心でもなかった。戦闘こそしていないが、道中で体の動かし方は修正済だ。戦う準備は出来ていた。

 ──そしてその舞台に辿り着く。


「……ここがツギハギの丘クノンケ・ナ・バースティね」


 森の奥に居を構えた丘陵地。山ほど高くはないが平地ほど平らでもない、そんな小さな丘が連なった緩急のある地形だ。遠方からなら大地が波打っているように見えるだろう。龍脈が近い影響で植物が活性化し、丘ごとに植生がバラバラなのが特徴だ。別々の大地を切って貼り付けたような有様から、ツギハギの丘と呼ばれている。

 ここが本日の職場であり、最初の目的地だった。


 レルトが帽子を持ち上げ、広くなった視界で周囲を観察する。


──(登り降り大変そう)

「腰に来そうではあるな。でも上手い食材って大抵、移動し辛い場所にあるんだよなぁ」

──(うんっ)っ、──(世界樹の果実とか)!」

「あれはマジで捕まる案件だから、内緒だぞ?」


 飢えに飢えていた幼少期、フィンは世界樹の果実を口にしていた。違法ではない。しかし精霊としての禁忌に触れているのは間違いなかった。実のところ、神聖視される世界樹を傷つけようと考える精霊はいない為、特別な法令設備や警備などはなかった。例え家の側に果実が成っていても、畏敬の念から生じる忌避感から手を出すことはないのだ。その隙を付いて掠め取り、食したのがフィンとレルトだった。

 旨かった。とにかくめっちゃ旨かった──その場に現れたエグナに確保され、自白させられた時の言葉だ。


 レルトは溢れる涎を袖口で拭き取りながらグッドサインを返した。フィンもニヤリと返す。二人に罪の意識はなく、仮に飢えようものなら再犯も辞さないだろう。エグナがここに居れば拳骨をお見舞いしたに違いない。

 そんな軽い空気が流れる中で、カサリと草木の揺れる音が響いた。瞬時に姿勢を低くするフィン。彼の視界が向くのは乱立する樹木の影。その陰からヌッと顔を出した獣に、フィンは目を細めた。


「出たな……白角鹿(フィア・バーナルハハ)


 鹿、と銘打っている通りの姿形をしている。細長い顔に長い二本の角。しなやかな四肢。しかしその体躯は通常の鹿と比較すれば見回りは大きく、角はネジ狂って先の方が同化している。全身の毛は青みを帯びた銀色で、角はペンキで塗りつぶしたような重たい白。緑色の瞳がヤケに輝いて見えた。美しく幻想的な姿をした獣。それが霊害獣(ドロハナール) 白角鹿だった。

 綺麗だ。フィンは素直に称賛した。とても災害の力を宿した生命の天敵とは思えない姿だ。しかし力は本物である。ディルの記憶がそう教えてくれる。


「ディルじゃ背伸びしても勝てない相手らしいが……俺がどこまでやれるか測るには、それくらいじゃないとな」


 フィンは家に帰ることを諦めていない。その為の最短ルートを選ぶ為にこの挑戦を必要としていた。

 逃亡は端から頭にない。戦いの場に望んで立った以上、後は全力を尽くすだけだ。


「さて、人間界の脅威はどんなもんかね」


 フィンは獰猛な笑みを浮かべた。



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