6話 チェンジリンガー②
ダーラの権能によってフィンが人間となった翌日。フィンは朝日も登らぬ早朝に倉庫を抜け出し、街へと繰り出していた。
そこは三代師族であるコーマック家が管理する街である蔓の街──通称ハーシュ街と呼ばれている。街の基礎はコンクリートを用いて作成されているが、その上から多種多様な蔓が覆う緑の街だ。自然と一体化した風貌であり、緑に目を向ければそちらが多く感じ、人工物に目を向ければそちらが多く感じる。妙なバランスを保っていた。
「アイビー、フジ、スイカズラ。季節は完全に無視してるな」
軽く見渡せば無秩序に蔓性の植物が繁殖していた。アイビーは通年の植物だが花が咲くのは秋の筈だ。しかし狂い咲きである。そしてフジは春。スイカズラは夏。共に季節外れの開花を見せている。見頃にバラバラだった。
それらが微かに霊力を纏っているのをフィンは感知する。この現象は、ディルの記憶にある知識のおかげで理解することが出来ていた。
「龍脈ねぇ……世界樹の地脈版ってとこか」
人間界はたった一枚の長大なプレートによって大地が構成されている。その中央から各所に向けて伸びる霊力の水路。それが龍脈である。
世界樹が空に枝葉を伸ばして霊力を届けるのに対して、龍脈は地下深くに根を張っていた。そこから漏れ出る霊力に影響されて、植物が活性化しているのだ。無秩序な繁殖はそれが理由だった。
精霊は自然と共にある生命体だ。自然を愛し自然に愛されると言ってもいい。本来なら喜ぶべき事なのだが──
「どうにも、気持ちの悪い世界だ」
精霊界とは異なる環境がそうさせるのか、フィンは好きになれなかった。
「──くしッ」
風が吹き、くしゃみが漏れた。転移前の精霊界は春だった。それが急に冬に変わったのだ。まだ寒さには慣れていない。倉庫の奥で埃を被っていた外套をひっぱり出し纏っているが、風が吹く度に身が震えた。白髪が目前でチラつき、フィンは鬱陶しげに前髪を払う。
「にしても、本当に貧弱だなこの体……」
左腕を包むように握った。親指と人差し指がくっつく程に腕は細く、枯れ木のように軽い。脂肪も筋肉もあまりに不足していた。
「ちょっと歩くだけでも息が上がるんだが……」
既に喉の奥がカサついている。ここまでの弱体化は流石に想定外だ。現状、一番の悩みの種だった。
それでも、フィンは方針を変えるつもりはなかった。
「誇りを取り戻すなら、まずは尊厳からだよな」
己の過去を振り返る。羽無しと迫害されながらも力を示した道路。その成果は精霊界に置いてきてしまったが、経験は奪われていない。まずは自身の成功体験を参考にしながら、フィンは計画を組み立てていた。
「自立した環境。欲しいのはこれだ。となると……とにかく金が必要か」
コーマック家に縋り付いていては自立も何もない。自分の世話くらい自分で出来なければならないだろう。その為にお金は必須だった。
賢狼院はその辺り、エグナがかなり厳しかった。各々の得意分野を活かして手に職を付けさせる方針だったのだ。戦士として働いていたフィンは言わずもがな、妹達は裁縫や農園、弟は配達などを主に熟していた。ちなみに家事炊事は必須技能である。
「衣食住足りて尊厳を知る。その為には金がいる。精霊も人間も世知辛いもんだなぁ」
フィンは苦笑して下を見た。正確には自身の胸元を。
外套の下に着ているのは軍服めいたネイビー色の学生服。大陸中央の聖地と呼ばれる地区に建造された、霊術師を育成する学園の指定服だった。体の線の細さが原因で着られているような印象を受けるのだが、何よりの違和感はその胸ポケットだった。
「な、レルト」
「──!」
幼精──レルトが胸ポケットからひょこりと顔を出した。大きな魔女帽子の下に明るい笑みを浮かべ、元気よく手を上げて返事をしていた。声を持たない幼精だが、その意思表示は明確だ。フィンに全幅の信頼を寄せているように見える。
彼女が現れたのは昨夜のことだった。チェンジリングの相手であり半身とも言えるフィンディル──ディルの誇りを取り戻すと決意したフィンの前に、唐突に姿を表したのだ。
フィンの頭上でオレンジ色の炎が宙に灯り、その中からレルトが現れた。大方ダーラの仕業であろうことは予想ができる。フィンを転移させた方陣と同じ性質を感じたからだ。
ちなみに、分析しながら見ていたフィンの顔に、炎から放り出されたレルトは不時着していた。ベチリとぶつかった衝撃と、それがレルトである事に、フィンは二重に驚いたものだ。
「にしても、なんでレルトまで来ちゃうかなぁ」
「──! ──ッ」
レルトの手がわちゃわちゃと動く。長い付き合いのフィンには、その動きだけで何を伝えたいのか凡その見当がついた。
“勝手にいなくなったのはそっちでしょ! もうッ“といったところだろう。大きな琥珀色の瞳が鋭さを帯びている。
「なんだ、心配してくれたのか?」
フィンは人差し指でレルトの頭を撫でた。帽子がグニグニと形を変える。装飾の星飾りが気ままに揺れる。帽子の隙間からは煌びやかな金髪が溢れ出ていた。
「──ッ」
レルトはバタバタと上下に腕を振っているが、嫌がっている様子はない。どちらかといえば興奮している感じだ。子供が頭をクシャクシャと撫でられて喜んでいる姿に似ている。その幼い容姿に見合った素直で愛らしい情緒を備えているようだ。フィンは思わず笑みを溢した。
「まさかこんな形で再開できるとは思わなかったぞ?」
フィンとレルトの出会いは凡そ十年前。フィンが五歳の頃だった。当時はエグナとも出会っておらず、賢狼院にも所属していない。本当に無力で薄汚れた孤児として泥を啜っていた時期だ。
「あの時も、レルトは急に現れたよな……」
衣食住を欠いた野生児染みた生活をしていたフィンは、影の深い路地裏でレルトと出会った。肥料にする為にかき集められた残飯の中から、何とか腹に流し込めるものを見繕った帰り道のことだった。今のように魔女帽子はなく、泥に汚れた布切れを体に巻いた小さな体でレルトは震えていた。
フィンはその時、生まれて初めて庇護の念を抱いた。生きる事にも余裕が無く、明日への希望もない中で、それでも震えるレルトを胸に抱えた。冷え切った小さな体から伝わる確かな熱。命の温度を手放す気が起きなかったのだ。
「俺は雑魚も雑魚だったから、碌に助けてやれなかったけど」
フィンは自嘲の笑みを溢した。
精霊は十歳には青年期を迎え、十五歳で全盛期に達する。そして死の間際まで全盛期が持続する生体特徴を備えている。つまり成長が早く、老いが遠いのだ。500歳のエグナが若々しいのもそれが理由だった。
そして五歳といえば、人間でいう十二〜十五歳程度の成長を終えた頃だろう。しかし羽無しであるフィンは精霊としての力を振るうことができず、戦闘力は皆無。孤児なので教養もない。周囲からは爪弾きにされ続けていた。居場所も職もなく、残飯を漁るドブネズミのような生活をしていたのだ。
そんな中で出会ったフィンとレルト。決して楽な生活ではなかった。しかし二人は離れなかった。エグナに拾われ、賢狼院で家族を得て、精霊大祭で勝利を飾る時まで、フィンとレルトは共にあった。とある事情から、レルトがダーラの下で過ごすようになるまでは。
二人がこうして対話するのは、実に五年ぶりのことだった。
「正直、もし帰れるならレルトだけでも精霊界に帰って欲しいけど」
「──!」
“怒るよ!“ レルトは頬をリンゴのように膨らませた。
フィンは苦笑する。気遣いのつもりだったが、無粋だとすぐに考えを改める。
「ま、こうしてまた一緒にいられるのは俺も嬉しいし。レルト、また付き合ってくれるか?」
「──ッ」
“当然でしょッ“ レルトは胸張って手を当てた。“むふー“と鼻の穴を膨らませている。
フィンは穏やかな笑みを浮かべた。この世界に一人ではないと知れて、実のところかなり助かっていたのだ。言葉がなくとも通じ合える家族との再会は、フィンの孤独を癒していた。
「よし! なら仕事探しだ。記憶によると、リハビリがてら金策が出来そうな場所がある。まずはそこを目指すぞ」
「──!」
“レッツゴー!“ レルトは遠足に浮かれる幼児のように拳を振り上げた。




