4話 女王からの呼び出し③
女王の部屋──根冠の宮に扉は無い。神である世界樹に手を加えることを、精霊は良しとしないからだ。入口に立つフィンには部屋の奥に座すダーラの姿が見えている。逆も然り。入室することなく視線が合う。
天井から伸びる数多の根が風に揺れる。影も揺れる。女王の口元が弧を描くのが、ボンヤリとした影の中でも不思議とハッキリ見えていた。
立ち止まり、フィンは言う。
「それで、要件は?」
「ご挨拶ぅ。私、女王様よー。これって一応は謁見なんだけどぉ」
軽い声。道中頭に響いていたのと同じだ。その声音に、フィンの無礼な態度への反感はない。
「まぁ、フィン君らしくて良いけどねー」
ふふふ。ダーラは笑った。それっきり口を開かない。楽しげに笑みを浮かべているだけだ。
フィンは深く息を吐く。普段なら気にもしない間延びした声が癪に触っていた。壁の隙間から差す日差しが傾いていくのが妙に気にかかる。早く家に帰りたかった。
「それで」
「んー?」
「だから、要件だよ。早くしてくれ。婆さん達を待たせてる」
「それは大変ねぇ。エグナちゃん、起こると怖いもの」
ダーラは笑う。鈴が転がるような声で、幼さが際立った。
話は進まない。フィンは口内で舌を打った。遊ばれているような気がするのだ。
笑みを携えて、彼女が手招く。
「それじゃ、こっちに来てくれる?」
「ここで良いだろ。顔は見えてる」
「私はもう少し近くでお話したいんだけどなー」
埒が開かない。
「……分かったよ」
揺らめく影の中に、フィンは足を踏み入れた。
ダーラの姿が鮮明になっていく。童女のように低い背丈。体を包み込んでも余りある程に長い栗色の髪。差し込む日差しよりなお眩い、懐っこい笑み。
ふふふ。また笑みが響く──同時だった。フィンが拘束されたのは。
「はい、捕まえた!」
ダーラは胸の前で手を叩く。乾いた音が小さく響いた。つまり彼女の両手は空いている。しかしフィンの拘束は現実だ。今も軋んだ音が体を包んでいる。正体は根と蔦。両者が絡み合い、擦れ合って生まれた圧迫音である。
拘束は一瞬だった。フィンが足を踏み入れたと同時だった。上からは根。下からは蔦。音の早さで伸びて群がった天然の縄が、蛇のような動きで四肢を這いフィンの自由を奪っていた。
フィンは瞬きを一つ。ジトリとダーラを睨む。
「……これは、どういうつもりだ?」
「わぁっ、怖ぁーい! 目がギンギンで獣みたい!」
「帰る」
フィンは冷たく言った。拘束の隙間から右手を伸ばす。腰回りの蔦を掴みブチリと引き千切る。無造作に。さながら、布の切れ端から解れ出た糸先を引き抜くような気軽さで、フィンは拘束を解体していく。
千切っては捨て、を三度繰り返す。もう少しで左腕も自由になるだろう──そのタイミングだった。オカワリが来たのは。より太く、より多くの根と蔦が絡みつく。右手はその対処に追われることになる。
「短気なんだからー。だから捕まえてるのよ? フィン君、絶対話の途中で帰っちゃうだろうから」
「……」
「うわぁ無視! もう、しょうがないなぁ。耳だけ貸して?」
上から根が、下から蔦が殺到する。それを右手一つで対処する。フィンが無表情で弾き、千切る。やり取りで生まれる雑多な音の中で、小さなダーラの声だけがするりと耳に届いていた。
「それじゃ、結論! 次代の王としてフィン君が選ばれました。おめでとうー」
「はぁ?」
ダーラが拍手。フィンは困惑に手が止まる。隙だらけだ。当然、捕まった。唯一自由だった右手も含め、見事に拘束されてしまう。
身動ぐフィン。拘束が緩む気配は無い。これは逃げられない。
ダーラは拍手を止め、笑みを携えてゆっくりと近づいてくる。指先で髪を弄びながら言う。
「今、王様って不在でしょー? 居なくなってそろそろ百年目なんだけどぉ、流石にどうなのって声が大きいんだー」
「当たり前だろ」
「ほんとそう」
ダーラは同意し、フィンに指を突きつけた。
「なので代替わりを決行します! フィン君が次の王様だよ! ひゅー、カッコいいー!」
「断る!」
「あれー?」
ダーラはポカンと口を開け大きく首を傾げた。態とらしく、あざとい振る舞いだ。フィンはこめかみをヒクつかせた。
彼女はフィンの目の前で止まると、覗き込むように目を合わせた。
「普通、喜ばない? 王様だよ? 偉いんだよ? あ、冗談だと思ってるでしょー」
「アンタはこんな冗談言わないだろ」
「うわぁお! 私って信頼されてるぅ!」
「だが俺には関係ない。他を当たってくれ」
拘束されたまま、フィンは拒否の姿勢を崩さない。
ダーラは人差し指を自身の顎先に添えた。
「うーん……君はもう少し、自分の立場を弁えた方がいいねぇ」
「羽無しの孤児だ。身分からしても下の下だろ」
「羽無しだなんて、家族が言われたら怒る癖にぃ」
「ああ?」
「ふふふ、ほら怒ったぁ」
睨みを効かせるフィン。ダーラは笑みで答える。
羽無しとは蔑称だ。賢狼院に籍を置く孤児は全て、そう呼ばれるに足る性質を持っていた。
「確かに君は精霊なのに空を飛べない。霊術も使えない。精霊もどきの羽無し。後ろ盾の無い孤児なのも事実。素養もコネもない。ふふふ、笑っちゃうくらいなぁーんにもない!」
「だったら──」
「でも勝った」
ダーラの声に圧が篭る。
精霊でありながら生まれながらに羽が無く、空が飛べない。世界樹の加護とされる霊力を持ちながら、しかし扱う術を持たない。羽無しであるフィン達は、根底からして“精霊擬き“と呼べてしまう存在だった。無力で無価値な存在だった。
しかし、勝った。
ダーラは言う。
「五年前のあの日。君は世界樹の前で勝利を掴んだ。素養もコネもない。でも力がある事を証明した」
五年前。精霊界で開催された武闘大会──精霊大祭。精霊界全域を対象とした何ヶ月も掛けて行われる世界大会である。文字通りの世界最強を決める儀式だ。精霊が空を舞い、霊術が宙で弾ける幻想的な景色が熱狂を呼び、一種のお祭りとしての面も持つ。そんな中でフィンはただ一人地を這い、剣一本のみを携え抗った。その姿は泥臭く、しかし鮮烈で……少なくともフィン達のことを羽無しと表立って侮る者は居なくなった。フィンに憧れを向ける者も少なからずいる。使者として現れたクリンもその一人だった。
精霊社会に蔓延していた差別に変革を起こす程、精霊大祭には影響力がある。そしてフィンは最新の優勝者だ。力の証明であり、“立場を弁えろ“とダーラが言うのはそう言う意味だ。
「優勝者は他にもいるだろ」
フィンは否定した。
精霊大祭の開催は二十年に一度。前回が五年前の開催の為、王が不在になってから都合四回開かれた計算となる。つまり優勝者は他に三人存在する。力を判断基準とするなら彼らも候補に上る筈だ。フィンはそう考えた。
しかしダーラは苦笑する。呆れが多分に含まれていた。
「この五年で何をしたか、まさか自覚してないの?」
「……」
仕事だ。やったのはそれだけ。フィンはそう思っていても口にはしなかった。自分で発するには気まずさがあったのだ。その理由をダーラが代わりに口にする。
「霊害獣の討伐件数、私が知らない筈がないよね?」
霊害獣。霊害の力をその身に宿した擬似生命体である──が、そもそも霊害とは何か。
世界に存在する霊力起因の災害のことである──では、災害とは?
地震、雷、火事、台風……理不尽であると同時に純粋であり、故にそのエネルギーは計り知れない。神として崇められることもある程に超越的で、それらは本来、局所的かつ刹那的だ。少なくとも、何ヶ月間も継続して発生し続ける事は無い──しかし霊害は別だった。広域的かつ持続的なのだ。
霊害は霊力の歪みが起因して発生する。霊力とは本来、世界樹からの加護だ。その力に何らかの不具合が生まれた時、加護は災厄に反転する。霊力という無垢なエネルギーに害意が混ざるのだ──そして、意思あるものは即ち生命である。結果、霊力そのものが形を求めた。ただただ純粋な害意を持って、その意思を果たすべく身体を求めた。死ぬまで暴れ続ける獣の姿を──故に霊害獣。
そして獣は狩られるものだ。
「トップ独走状態! 快挙だねぇ」
ダーラは誇らしげにグッドサインを送った。五年前に優勝して以降、フィンはその実力を認められて霊害獣の対処に尽力していた。仕事とはこのことである。
フィンは精霊大祭と同時に成人こそ迎えているが、未だ命名式も終えていない若輩だ。しかしその働きは確かなもの。女王として、治安への貢献は称賛に値する行為だった。しかもその内容がまた壮絶だ。
「達成率は驚きの100%! 最優の証明には、十分だよねぇ」
霊害獣は多種多様な災害の力をその身に宿している。加えて発生場所やタイミング、姿形に大きさも千差万別。唯一統一されているのはその活動目的であり害意の矛先。霊害獣は総じて、霊力の源からエネルギーを貪ることを求めていた──つまり狙いは世界樹。精霊界における神であり霊力の発生源。それを喰らうことにある。
「民草も認めてるよー。じゃないと私もすんなり話を進められなかったしねー」
霊害獣に害意はあっても理性はない。最も強大なエネルギーの源である世界樹を目指す道中、加護としてその魂に霊力を保有する精霊という果物を見つければどうなるか……小腹を満たす為、本能的に食い散らかすのだ。
だから、精霊は明確な脅威として霊害獣を認定している。世界樹を侵さんとし、身の安全すら脅威に晒すのだから当然だ。その排除の為に力を振るい命を掛ける戦士は英雄なのだ──討伐件数トップに達成率100%という数字は、実力を証明する何よりの証拠だった。平穏の守り手として、国民からの信頼は厚い。
精霊大祭優勝者にして日々の実績。客観的に見ても優秀である事は自明の理。フィンには守り手の自覚はない。しかし有力であることへの自負はある。とはいえ誇るかといえば違っていた。
「国を守ろうなんて気は無い。せいぜいが飯のタネだ。美味いものはその分高いからな」
「フィン君達が贅沢してる所、聞いたことないけどなぁー。そもそも、エグナちゃんが許さないでしょ」
賢狼院での生活は自給自足が基本。森の中は狩りも採取も可能で食料には困らない。金は貯まる一方だった。
適当な誤魔化しは通用しない。フィンは溜息を落とし、本音を口にする。
「アイツらが怪我でもしたら嫌なんだよ」
浮かぶのは家族の顔。今朝、結局最後まで起きて来なかった二人の妹と一人の弟。それとまぁ、育ての親であるエグナ。もし霊害獣を放置した結果、被害が家族に及んでしまったとしたら……フィンは自分を憎む続けるだろう。
だから少々気まずかった。我欲の為にやっている事を評価されて困惑すらしている。正直、顔と名前が一致しない位には他の精霊に興味が無いのだ。認められていると言われたところで、“だから“としか感想が浮かばない。
フィンの内心を察してか、ダーラは呆れている。
「ほんと家族のこと好きだよねぇ。まぁ、ついでだろうと救われた側には関係ないよぉ。安心を与えてくれる存在って、それだけ価値があるんだからー」
「……」
安心。幼少期、賢狼院に拾われる前のフィンが持っていなかったものがそれだ。心穏やかに眠れる事がどれだけ貴重か、よく知っている。その苦しみから脱却する為に力を求め、エグナに泥だらけにされる日々を過ごしていたのだから。
安心には価値がある。それを齎す存在にも同様に。フィンは納得した。その矢印が自分に向けられている事に拒否感はある。しかし反論はなかった。
ダーラは笑みを消して口元を固くする。
「最近、霊害獣の発生件数が増加してるの、気づいてるよね? 個体も日に日に強くなってる……ばっさばっさと討伐してるフィン君は実感ないかもだけどぉ」
「普通じゃないのか?」
「えぇ……そもそも気づいてなかったかぁー」
ダーラは額に手を当てた。
フィンはこてりを首を傾げていた。仕事を始めてまだ五年。日増しに数が増えるのも強くなるのも、かつての傾向を知らなければ変化とすら認識できない。フィンとしては、増数増強は毎度の事なのでこれが当たり前だと思っていた。仕事が終われば速攻帰宅して、他の精霊と交流がないのもその認識を助長していたのだ。
ダーラはため息を吐く。
「とにかく、今の精霊界は異常なの! 民草も馬鹿じゃない。気づいてるし、不安にだって思う。肝心の王様が不在なら尚更ねー」
「なら連れ帰ればいいだろ」
「いやそうなんだけどぉ……本当に王様になりたくないんだねぇ」
「なった所で家族との時間が減るだけだろ。何の足しにもなりやしない」
他のことなど知ったことか。フィンにとって重要なのは家族との平穏だった。だから強くなったし、今も鍛錬を続けている。そのおかげで家族を守れている実感もあった。少なくとも、羽無しと呼ばれ蔑まれることは無くなった。王なんて蟠りが増えるだけだ。フィンは本気でそう思っている。
ダーラは両手でこめかみを揉んでいる。
「必要なのは当事者意識だねぇ……なんかもう、説明がめんどくさいや!」
「はぁ?」
「という事で強制です!」
ダーラの指が振るわれる。楽団の指揮者のように。根と蔦が量産され、フィンの拘束が強固になっていく。もはや身動ぎすら叶わない。
「ここに来るまで誰とも合わなかったでしょ?」
「何の話だ!」
フィンは叫ぶ。なんとか抜け出そうと踠きながら。
ダーラは無視した。滔々と話し続ける。
「エグナちゃんとクリンと私だけ。たった三人。それが世界との繋がりを強めない限界なの。本当は零が一番だけど、エグナちゃんがそれはもうカンカンに怒ってねぇ」
「意味が分からん!」
「準備が大変だったのよ? 皆を夢の中に留めるのも疲れるんだからぁ」
ダーラは自白した。街が静かだったのも、家族が目を覚まさなかったのも、己が仕掛け人だと。しかしそれが何を目的としているのか、フィンには分からなかった。世界との繋がりとは何を意味するのか。三人の限界とは──疑問ばかりが増えていく。
「私の権能は知ってるよね?」
ダーラの声と同時に、火の玉が五つ出現する。熱は無い。周囲に引火もしない。火の玉はフィンを囲むように浮遊し、そのまま弧を描いた。即座に加速し軌跡は線となり──方陣を描く。
フィンは察した。
「導きの概念霊術──転移か!」
「さっすがー!でも逃げられないよ? その為に捕まえたんだから」
導きの権能。
声を届ける。眠りに誘う。そして別世界に送る。様々な用途を持つ絶大な力をダーラは行使していた。
せめて剣が手元にあれば。フィンは舌を打つ。
“世界との繋がり“とダーラは言った。その後に行われる強制転移。つまり超えるのは単なる距離ではなく次元の壁。世界の壁。フィンは力の限り身を捩る。いくらかの拘束が弾けるが、しかし自由を取り戻すのは間に合わない。
「くそっ!」
「行き先は人間界。そこで君は自分を知ることになる。王様足る者、自己認識は正確でないとね!」
「俺はッ、帰るって約束を──」
「ごめんね」
方陣が光を放ち、弾けた。根と蔦は衝撃で弾け飛び、その場に残る倒れたままのフィンの姿。体はある。しかし意識はない。
ピクリとも動かないフィンを、ダーラはじっと見下ろす。
「……なんとか上手くいったかなぁ? 剣があったらマズかったけど、いやぁ、良かったー。エグナちゃん様様だねぇ」
満足げに息を吐く。
その視界の端に、ちょろちょろと動く影。
「あらら、やっぱり見てたんだぁ。いいよ、もう入って来てもー」
小さく、手のひらサイズの影に向けてダーラは微笑んだ。
影の奥から姿を出し、日に照らされたのは一匹の幼精。子供向けの人形のような二頭身で愛らしい容姿だ。星の装飾を付けた深紫の魔女帽子を被っており、艶のある黒髪がひと結びにされて帽子の裾から顔を出している。
幼精はフィンに駆け寄った。その顔は心配で揺れている。
「ふふふ。やっぱり慕われてるなぁ……なんでこれで気づかないかなあの子ぉ」
「──ッ」
幼精は精霊足らずの存在だ。未熟さ故に声を持たない。しかしその身体を目一杯動かして意思を伝えようとしていた。
導きの権能を持つダーラは読心すら可能とする。幼精の意思を汲み取るのは容易いことだった。
「いいよ。貴女なら上手に立ち回ってくれるだろうからねぇ」
「──!」
幼精は何度も頭を下げた。
「良いの良いのー。あ、これ持って行って。きっと役に立つ時が来るから」
ダーラは手を翳した。掌の上に小さなランタンが出現する。ガラス窓の中にはオレンジ色の火が一つ。可燃物も無いのに、火は穏やかに燃えます続けていた。
ランタンを幼精を渡す。大きさは等倍。幼精は体全体を使って懸命にランタンを抱えた。
「それじゃ、よろしくねぇ」
「──ッ」
ランタンの火が肥大する。ガラス窓を透過して大きくなった火は幼精を包み込み、パッと消えた。幼精と共に。
静寂が戻る。ダーラのため息が木霊する。
「業、だよねぇ……」
ダーラは床に這う蔦を操った。倒れたフィンの体を絡め取り、膝枕で迎える。そのまま、眠るフィンの髪を撫でる。
「この子の痛みも、あの子のこれからも」
ダーラの顔に笑みは無い。撫でる手だけが穏やかだった。
「彼はどんな王様になるのかなぁ……」
撫でる。
「君臨する強王か、導き支える賢王か……」
撫でる手を止め、顔を上げた。
「どちらにせよ──世界があなたを望んでる」
ダーラはポツリと呟き、目を閉じた。




