3話 女王からの呼び出し②
フィンは駆け、辿り着く。精霊界の中心都市──樹影街。何よりもまず目に入る巨樹。天に届かんばかりの一本樹が都市の中央に聳え立ち、その周辺を囲うように街が建造されている。無数の枝葉が空と街を隔て、すだれのように優しい影を落とす。樹影の街と呼ばれる所以である。
枝葉は地平線の彼方まで伸びている。世界の果てに届くとされる規格外の巨樹こそ、世界樹である。
朝日を木漏れ日として浴びる街は静かだった。精霊の姿は無い。影も形も。精霊は勤勉だ。生き方に忠実とも言える。よく働きよく休む。朝日に遅れて目を覚ます個体は稀だった。故に、気配すらないのは変だ。ここまですれ違いもしなかった。誰ともだ。フィンは首を傾げた。しかしすぐに頭の隅に追いやる。優先する事があるからだ。
街の中央に駆けたフィンはそのまま世界樹の中へ入る。世界を包む程の巨樹は木でありながら建物だ。繊維一本が一般の木の太さに相当する。曲がり捩れて絡む内部には隙間が多くあり、部屋として機能していた。
入口の先。そこにもやはり精霊はいなかった。普段なら、警備兵なり受付なりが静かに職務を熟している。常と異なる静寂さを前に、フィンは瞳を細める。
精霊にとって世界樹とは神だ。世界における万物の源であり慈悲深き超越である。故に、居とする事を許されるのは精霊の中でたったの二人。神の代理であり同一視される存在。王と女王である。
その守りが居ない。紛れもない異常自体だった。
フィンは態勢を僅かに低くした。そのまま手を腰にやる。しかし空振った。当たり前にそこにあると思っていたものが、剣が無い。急ぐあまり忘れてしまっていたのだ。今日は稽古をしていなかった。代わりに振るっていたのは鍋だ。習慣の外に出たことで頭からスッポリ抜け落ちていた。うっかりである。
やってしまった。軽く恥じるフィンに、声が届く。
『ふふふ。そう警戒しなくていいのにー』
愛らしく幼い声だった。間延びして気が抜けている。決して大声ではない。むしろ小さく可憐だった。
姿は無い。変わらず周囲に気配は無かった。しかしどう言う訳か、声だけが明瞭に届いている。耳を通してではなく直接頭に響く感じだった。
姿無き声の主に、フィンは覚えがあった。警戒態勢を解いて応じる。
「……女王か」
『皆にはお暇をあげてるの。取って食べたりしないから、上がって来てくれるー?』
「こんな特技があるなら、遣いすらいらないだろうに」
声を届けられるなら家まで範囲を広げればいい。そうすればバタバタすることも無かった。フィンは舌を打った。無礼である。女王に向ける態度ではない。
しかし女王は気にしない。
『色々と制限があるのよねぇ』
「どうせ呼ぶなら眷属でも良かっただろ」
『そっちも、色々と制限があるのよぉ』
「のらりくらりと……」
誤魔化されている。或いは、揶揄われている。フィンは息を吐き出した。苛立ちを外に流し、女王の部屋へと向かう。
世界樹の内部には複数の部屋がある。配置は立体的かつ無秩序だ。樹木の隙間を活用しているのだから自然とそうなる。部屋同士は太細な繊維が複雑に繋いでおり、迷路染みた道を生み出していた。
精霊には羽がある。空を自由に飛べるのだ。だから迷う事なく目的地に辿り着ける。しかしフィンは粛々と登っていた。自身の足で黙々と。その足取りに迷いはない。女王の部屋へと足を運ぶことは何度も経験済みだった。
ズンズンと高度が上がっていく。足早に、淀みなく進むフィンに女王が声を届ける。
『フィン君がもう十五歳かぁ。“やっと“って感じだよねー』
「婆さんには“もう“って言われたけどな」
『うーん。まぁ私とエグナちゃんじゃ立場が違うしねぇ』
だから捉え方も違う。そんなものか。フィンは適当に流す。
「そういえば、婆さんと同い年なんだってな」
『よくその単語と一緒に聞けるよねぇ……いや、うん。別に良いけどさぁ事実だしぃ』
「素のままで応じろって言ったのは女王だろ」
「そう、女王なんだよー。つまり女の子。もうちょっとさぁ、気遣いはないの? 流石にムカっとくるよー』
「“心が弱い相手には言葉を選んでやりな“って婆さんが」
つまり女王に言葉選びは不要だ。フィンはそう解釈していた。
女王の声に呆れが混じる。
『根っこが攻撃的なんだよねぇ。いやある意味優しいし素直だけどさぁ』
「“信頼する相手に言葉を選ぶのは逆に失礼だよぉ“って俺を促したのは女王だな」
『おおぅ過去の私ぃ……身から出た錆だったかぁ』
実質的な婆さん呼ばわり。しかも自分も一因である。女王は拗ねた。
それが長続きしないことをフィンは知っている。その通り、女王は軽い声音で話題を転換した。
『私達はね。チャンジリンガーだったんだぁ』
「知らない単語だな」
『フィン君、脳筋だしねぇ』
「孤児に何を求めてるんだ……」
『ふふふ。ごめんごめん』
女王は笑い、フィンは呆れた。
『チェンジリングなら、知ってるかなぁ?』
「取り替え子だろ。精霊と人間の子供が入れ替わるって民話だったか伝承だったか……ああ、その当人がチェンジリンガーってことか」
『そういうことぉ。正確には体じゃなくて、魂の入れ替えなんだけどねぇ』
「精霊として生まれる予定の魂と、人間として生まれる予定の魂を入れ替えるってことか?」
『頭の回転は早いんだよなぁ。同じくらい物分かりも良ければなぁ』
「物分かりが良いから、希望に沿って女王にこんな態度を取ってるんだろ」
『ふふふ。それもそっかー』
女王は王と並ぶ世界樹の現し身だ。精霊達は彼女に対して相応の態度を自然と取ってしまう。その例外がフィンであり、エグナだった。他にも居るかもしれないが、フィンは見たことがなかった。だから女王の声に揶揄いが度々混じるのを、フィンは流すことにしていた。
女王にはそれなりに世話になっている。気安い態度を求められれば応える。周囲から畏怖の視線を向けられても続けるくらいには、恩があった。
「それで、同い年ってことは婆さんと女王が取り替えられたんだろ? どっちがどっちだったんだ?」
『ふふふ。内緒ー』
どちらが人間として生まれたのか。それとも精霊として生まれたのか。その答えを女王は秘した。
「いや別にそこまで気にならないから良いけど」
『聞いといてそれはどうなのぉ?』
「俺には関係ないし」
生まれがどうであろうと、婆さんも女王も恩人であることは変わらない。そもそも、孤児の自分が他者の生まれをどうこう言える訳もない。フィンはそう完結させた──と同時に疑問が湧く。
「待てよ……どっちかが人間で生まれたのなら、なんでどっちも精霊やってるんだ?」
零れ出た疑問に女王は答えなかった。拒否ではない。単に時間切れというだけだった。
「ふふふ。いらっしゃいフィン君。遥々ご苦労様ぁ」
しっかりと耳に届く声。肉声だ。フィンは顔を上げた。視界を女王の部屋が迎える。
数ある部屋の一つ──根冠の宮。上から下へと数多の根が伸びる空間だ。穏やかな風と光が差し込み、ユラユラと根の影が靡く。
その奥に女王──ダーラ・ティターニアはいた。




