11話 依頼③
昼休憩をとうに終わらせ、少々小腹が空き始める頃。
霊理連盟 蔓の街支部の受付嬢、グラニカ・アドヴァールは自身の対応カウンターに座りため息を吐いた。
いつもなら手作りのおからクッキーを食べ、小さな幸福を噛み締めているところだ。しかし今はそんな気もおきない。目の前にある書類一式が原因だった。
手を付けなければ終わらないと分かっている。依頼受注が落ち着いた今がチャンスなのも分かっている。だがどうにもやる気が起きなかった。彼女はカウンターに両肘を突き、重ねた手の上に額を沈み込ませた。
「当てが外れたな」
頭上から声が降ってきた。重く枯れた男性の──代表のそれ。
グラニカは慌てて頭を跳ね上げる。切れ長の目が静かに見下ろしていた。
彼女は猫のように背筋を伸ばして尋ねる。
「ええっと、代表? “アテ“とは何のことでしょうか……あっ、お酒のオツマミですか?」
ピンと来たものを素直に口にした。今日の晩酌が頭に浮かび、声には喜色が混じっていた。
代表──ダーテ・フレアグラスは眼差しの温度を下げてため息を溢す。
「君、しばらく断酒すると言ってなかったか?」
「今日が解禁日なんです!」
「ああ、そう。だが今は仕事中だ。分かってるだろうが、ツマミの話はしていない」
彼は腰に手を当てて言う。
「あの生意気な師族のことだ」
思い当たるのは一人だけ。グラニカは今朝のやりとりを思い出して苦笑いを浮かべる。
「ああ……フィンさんのことですか。無事に依頼は達成して、今戻って来てるそうですね」
「ふんっ、失敗すると思っていたがな」
「そうだったのですか?」
「白々しいぞグラニカ。君も始末書を準備していただろ」
ダーテは目を細めた。背の高い彼がやると睨んだように見えるが、他意がないことをグラニカ達は知っていた。
「ええ、いやその……バレてましたか」
“ははは“と乾いた笑み付きで、引き出しから始末書を取り出した。
該当者欄にはフィンの名前がある。アクシデントの事後に作成する書類にも関わらず、中身は半分以上が既に埋められていた。
グラニカは始末書を指で弾き、パンッと間抜けな音が響かせる。
「正直三つの依頼の内、一つは落とすと思ってました」
「同意見だ。時間的制約があるからな」
「ですよね! 普通、一日で熟す依頼は一つが鉄則。安全確保の手間と体力の限界がある以上、どう頑張っても間に合わない筈だったのですが……」
「で、依頼達成の一報が入ったのはいつだった」
「まさかの十五時ですよっ。おかしいですよね!?」
フィンが依頼を受注し、出立したのが九時頃。そして一つ目の現場から連絡が入ったのが十時頃だ。使用時間はたったの一時間──もうこの時点で可笑しいが、全ての依頼達成の連絡は十五時に来ている。恐らく十六時には戻ってくるだろう。
「拘束時間六時間……一つの依頼に二時間って……」
「いや、ガルダ達後発組との合流に二時間程掛かったと聞いた。それも抜けば──」
「実質“一時間弱“ってことじゃないですか……っ」
ありえない。グラニカは震える手で口元を覆った。自身の常識と掛け離れた数字に、感動より先に恐怖が立つ。
「き、気持ち悪い……」
「けっこう言うな君も」
「いや誰だってそうなりますよっ! 八時間必要な作業を一時間で終わらせる人がいたら、凄い以上に怖いでしょうっ!」
「言わんとしていることは分かる」
ダーテは腕を組んで頷いた。
グラニカは言い足りなかった。怖さも忌避感もあるが、他にもまだある。ワナワナと震える手でカウンターを押さえる。
「それにッ、せっかく準備していた始末書はゴミになりましたもん……オヤツを食べる暇も無くなりましたもん……」
「それは知らん」
ダーテは鼻を鳴らした。
グラニカは重たいため息を溢す。目線の先にはカウンターに並んでいた書類。それはフィンの名前があった書類と同じ形式のものだった。
「結局、始末書は書かないとダメなんですよね……」
「ガルダ達が依頼放棄とはな」
該当者欄にはガルダ達、キナイの護衛を受注していた三人の名前があった。それ以外はまだ白紙が目立っている。
「あの人達、ベテランですよね」
「私が推薦する程度には」
組織の代表が推薦する以上、それなりの信頼があるということだ。だからグラニカは未だに信じられなかった。
「依頼人を置いて帰ってくるだなんて……」
本人達から直接報告を受けているのに、どうしても腑に落ちない。立ち回り方も杜撰だ。まるで恐ろしい化け物から逃げてきたかのような。
それにしては怪我もしていなかったし、装備の消耗もなかった。チグハグなのだ。グラニカは首を傾げた。
「奴らはその臆病さでここまで上がってきた。それだけのものを見て、感じたということだろう」
「高額な賠償金を払ってでも、ってことですか」
「命あっての物種だ」
そういうものか。グラニカは曖昧に頷いた。
座りの悪さのせいか、始末書に向けるペンの動きが悪い。もう少しお喋りしていたい気分だった。
「あー……そういえば彼、偽名で登録してましたよね。今更ですけど、良いんですか?」
「登録名は自由だ。脛に傷のある奴も稀にいるからな。そういう奴は、大抵一人に拘って野垂れ死ぬが」
「連盟員にとって名前は名刺代わりですし、それを偽るってなると……協力関係、最初から拒否してるようなものですもんねぇ」
師族だからできるやり方だよなぁ。どうせいつ辞めても良いとか思ってるんだろうなぁ。グラニカは少しの嫌悪感を滲ませた。
「ふん……フィン、フィンか」
ダーテは腕を組んだまま顎を摩った。
グラニカは“おや?“と首を傾げる。代表の珍しい姿が気になった。依頼人や連盟員には一定の壁がある彼が、明からさまに興味を示している。
「何か気になることで、も……ああ、いえ、気になることばかりですよね、はい。でも興味を持たれるのは珍しいですね」
「興味、ではないな。これは疑念だ。あの小僧……名を隠したところで、あの容姿では意味がないと分かっているだろうに」
「ええっと……?」
要領を得ない。グラニカは曖昧な表情で首を傾げた。
「“白能“と呼ばれる者がいる」
ダーテは冷たい声で言った。
「師族でありながら精霊と契約できず、四肢は枯れ枝のように細く脆い。尊い血が全て抜き取られた白い肌と白い髪」
「それって──」
「あの小僧のことだ」
確かに外見的特徴は合致する。白髪は目立っていたし、書類を撫でる彼の指先は病床の女性のようだった。
だが“能力“という点ではズレがある。
「人違いでは? 確かに、若い方で白髪は珍しいかもしれませんけど」
「なら他に見たことがあるのか?」
「え、ええっと……」
記憶を掘り返すも該当者はいなかった。言われてみれば、総白髪など老人でしか見たことがない。グラニカはより深く首を傾げた。
「師族は龍脈に愛された存在とされてるが、その寵愛は親切でな。目に見える形で才能の濃さが分かる」
「つまり、髪の色でってことですか?」
「そうだ。龍の血に愛された者程、その髪は濃い赤に近づいていく。逆に、血や才能が薄まるほどに橙、金、翠、青……赤から遠ざかっていく」
グラニカは自身の髪を指で梳く。雲のようにフワフワの、淡い青色。艶と潤いを閉じ込めるのに日夜苦心しているが、それでも自慢の可愛い髪だ。他人の髪色と比較したことはなかったが、“才能がない証明“だと言われると話は別だ。気分は良くない。
「まぁ、私は一般民ですからね」
「そう卑下することはない。赤から最も遠いのが青ではないと、君も知っている筈だ」
ダーテは片頬を上げた。嗜虐的な色が滲んだ笑みだった。
グラニカは話の流れから、“誰“を指しているのか察する。
「もしかして、白髪って」
ダーテは頷く。
「色を持つことすら許されなかった無彩。血に関心を持たれなかった無能。白塗りの無彩無能──白能」
本当にフィンのことを言っているのだろうか。それとも、フィンへの認識そのものが間違っているのだろうか。グラニカは混乱してきた。
「師族……なんですよね?」
「血縁上はな。あの学園の制服を身につけている以上、勘当はされていないようだが」
グラニカは思い出す。今朝の一悶着の際、ダーテはフィンの顔を見てから何度か頷いていた。
「もしかして代表、フィンさんのこと知ってて依頼にオーケー出したんですか?」
「そうだが?」
ダーテは悪びれもなく言い切った。
彼は鼻を鳴らす。
「師族など所詮、力があるだけの暴力装置だ。なのに無能だという。そこに価値など無い。早々に死んでしまえばいい。もちろん、その命を賠償金へと換金して、少しでも連盟の役に立ってから」
「ひえっ……」
グラニカは椅子を引いた。背筋に走る寒気から距離を離したかった。
ダーテは苦笑する。
「安心しろ。今はもう考えていない。どうやら噂程無能ではないらしいからな……せいぜい働いてもらうさ」
「せめて嘘でも冗談って言って欲しかったです……これから会うんですよ私?」
「大丈夫。私が付いている」
むしろそれが不安なのだが。というかずっとここにいるのはそれが理由か。予想以上に使える駒を見つけて、唾をつけようというのだろう。それとも、他に何かしようとしているのか……グラニカには分からない。
「……お腹痛くなってきた」
「残念だったな。手洗いに行く時間はなさそうだぞ」
グラニカは顔を上げる。ダーテの視線を辿れば、正面入口からこちらに向かってくる人影があった。外套のフードを降ろし、白髪を晒している。
「師族様のお帰りだ」
帰りたい。むしろ帰って。
グラニカは内心でヒンヒンと涙を流した。




