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第88話 山城国紀行 石清水八幡/長岡京

☆ 石清水八幡宮 ☆


後村上天皇の命日ということで、石清水八幡宮に行ってきました。写真は八幡宮の麓にある後村上天皇の行宮阯、つまり八幡宮の別当に任じられた田中法印定清の屋敷跡です。(2025/03/29)


石清水八幡宮の麓にある駐車場の目前にある安居橋(たいこ橋)。いつから橋があったか不明ですが、少なくとも江戸時代には既に橋は架かっていたとか……五分咲きの桜が綺麗でした(写ってませんが 汗)。(2025/03/30)


石清水八幡の麓の駐車場前で目をひくのが南門と回廊に囲まれた頓宮。極楽寺跡です。映画のロケとか出来そうなくらい見映えがいいです。徒然草に、年老いた仁和寺の法師が一度は石清水八幡宮を参拝したいと詣でて、間違ってお参りして帰ったのが、この極楽寺と高良神社だったと言う話があります。(2025/03/30)


駐車場から京阪電鉄の石清水八幡宮駅前を通って参道ケーブルの八幡宮口駅まで徒歩。ここはエジソン通りと言います。エジソンの発明で有名な白熱電球。フィラメントが切れるという問題を解決するため様々な材料を試した結果、ここ八幡宮のある男山の竹を炭化させて用いることで課題を解決したそうです。(2025/03/30)


石清水八幡宮参道ケーブルカーです。八幡宮口駅から八幡宮山上駅までわずか3分という短い路線ですが、車両はシックでお洒落。歩いて登ることもできる距離ですが、やはりここに来たからにはケーブルカーに乗らないと(2025/03/30)


ケーブルカーの八幡宮山上駅を降りたところから石清水八幡宮のある男山を見上げています。この駅と八幡宮の間の辺りが男山城跡の候補地。男山の戦いでは幕府軍が宇治川、木津川を渡って男山の麓に火を放ち行在所を燃やしました。後村上天皇が逃れたのが男山の山上とされ男山城と言われています。(2025/03/30)


石清水八幡宮の参拝前に寄ったのが参道脇の大楠公手植えの楠。「洛陽名所集」に「戦勝軍利を祈り、楠千本を八幡山にうへけり」とある樹齢700年の御神木です。ところで、あとの999本は何処にあるんでしょうね。(2025/03/30)


二本目、三本目ありました。ここで必勝祈願して出陣したなら、朝廷から楠木正成に命ぜられた、紀伊飯盛山の北条残党反乱の討伐をピンポイントで指すのかもしれませんが、戦に向かう緊急事態に悠長に千本も植える余裕はないだろうと、私は別のシチュエーションで手植えの楠を物語に登場させました。(2025/03/30)


石清水八幡宮の参道と、南総門から本殿を見た写真です。本殿の正面が参道に向いていないのは八幡宮七不思議のひとつです。参拝者がお尻を向けないようにとの俗説はありますが、本当の理由はよくわかっていないとか。竜宮城のような楼門と切妻造りの建物が前後に並ぶ八幡造が特徴です。(2025/03/31)


☆ 長岡京 ☆


足を延ばして長岡京跡へ。ここは大極殿公園(大極殿跡地)。広い平野を想像してましたが、大極殿の辺りは丘陵で、左京の南は桂川に遮られて欠けたりと、条坊制には不向きな感じも。立て続けの厄災がおこり、早良親王の祟りではないかと恐れられたため、平安京遷都まで僅か十年の短命でした。(2025/06/14)


長岡京跡のついでにJR長岡京駅の駅前通りと長岡天満宮の写真。社の辺りは菅原道真の所領で、大宰府への左遷時に立ち寄り「我が魂、長くこの地にとどまるべし」と名残惜しんだ。道真に付き従った中小路宗則は高槻まで同船し、道真自作の木造を託され、後にこれを祀ったのが長岡天満宮の縁起とされる。(2025/06/15)

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