第63話 勝手に推察 楠木氏 5/5
※素人の勝手な推察です。ご注意ください。
☆石川氏の謎☆
ただ、湊川の合戦後、足利方細川顕氏の東条侵攻を楠木方が壷井丸山で防戦したとき、肝心の大塚惟正は和泉守護代として和泉で足利方の守護代、都筑量空と戦っていた。やはり惟正は石川氏ではないのか。それとも分家筋だから石川氏の壷井を離れ、新たに得た和泉の所領を守って戦っていたということか??('24/10/12)
さしたる根拠があるわけでもないが、もし大塚惟正が石川次郎なら、石川氏が楠木氏に味方するのも頷ける。惟正は橋本正茂とともに正行の若年期を支えた楠木一族の重鎮。四条畷の戦いでは正行に殉じた。他国に離散した石川一族と異なり、河内に残った石川氏は、楠木氏とともに滅亡の道を選んだのか?('24/10/13)
元弘の変で笠置山を脱出した石川義忠は、下野の小山氏に匿われたとされる。この系統が徳川家康に仕える石川数正ら三河石川氏となる。江戸時代、石川総慶が備中松山藩から亀山藩に転封された際に建立した亀山神社には、家祖の源義家、義時とともに、笠置山で自害した石川義純も祭神として奉られている('24/10/14)
ただ、この石川義忠がよくわからない。笠置山を逃れてなぜ下野の小山氏に匿われるのか。別資料では下野で足利氏と争い小山氏の下に逃れたとも伝わる。また、義忠は石川忠頼の養子となったとされるが、兄弟とされる石川義純とは二世代辻褄が合わない。義忠は元弘以前に河内を離れた石川一族かもしれない('24/10/15)
三河石川氏は石川頼忠-義忠の系統を石川氏嫡流とするが、後醍醐天皇の綸旨を受け、笠置山で子弟を率いて戦った石川義純が本来の嫡流かと思う。亀山神社に奉ったのもそういう意味か。敗戦で棟梁を失い存続危機に陥った石川氏を楠木氏に与させたのが、庶流で正成の従弟大塚惟正というなら面白いのだが…('24/10/16)
☆再び落首の謎☆
楠木氏と河内源氏の関係を振り返ると、落首「楠木の根は鎌倉に成るものを…」の解釈も「①幕府御家人/北条被官だった」「②幕府 橘公長流の庶流と見られた」に加え「③鎌倉幕府を作った頼朝の祖先に仕えた郎党だった」というのもあり得るかも。ただ、古すぎて(平安時代)落首としては無理あるかな…('24/10/17)
☆まとめ☆
以上、勝手な推測ばかりだが、纏めると、楠木氏は橘遠保の子孫で、平安後期に河内源氏の郎党として河内に土着し、楠木石切場の雑掌を契機に早くに楠木を名乗り、鎌倉幕府の橘公長の系統とに分かれ、鉱物採掘に手を広げ、山堀を山城や棚田造りに活かし、河内源氏とは石川氏となっても繋りを保ったのかも('24/10/18)




