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第59話 勝手に推察 楠木氏 1/5

※素人の勝手な推察です。ご注意ください。


☆橘遠保と楠木氏☆


得宗被官説、御家人説、土豪説など諸説ある楠木氏の出自ですが、最近、可能性を感じてるのが、一周回って土豪説。もともと河内源氏の郎党であったとある橘氏の末裔が、河内源氏後身の石川氏と関係を維持しながら、河内で石切場・鉱山経営で力を蓄えていったというもの。これがしっくりきています。('24/09/15)


私が考える楠木氏の祖先が橘遠保。藤原純友を捕らえて一躍、名を上げました。出自は伊予橘氏とも言われますが、経歴から推察すると受領に預かれない下級の皇別橘氏だったと思われます。功績で伊予国宇和島に所領?を得たことで伊予橘氏と混同され、伊予橘氏も好んで彼を祖先に組み込んだものと考えます。('24/09/16)


「私が考える……」言葉が変ですね。橘遠保が祖先であろうというのは、昔から言われていること。なので「私も……」が適切ですね。('24/09/16)


橘遠保を楠木氏へ繋げるキーマンが息子の橘保氏。河内・和泉・摂津の押領使となったことで、河内国との縁が出来たものと思われます。保氏は井堤氏の家祖ともされます。「井堤」は橘諸兄が建立した井堤寺(井出の玉川の堤)所縁と思われ、このことも遠保系橘氏が皇別橘氏との繋がりを匂わせる一因です。('24/09/17)


☆河内源氏と楠木氏☆


橘保氏の子の橘諸隆(諸高)または孫の橘安基(保基)の代に、河内源氏初代の源頼信の家臣団に組み込まれたのではないかと想像します。安基は赤坂郡司と号したようですが、この赤坂が何かは不明。素直にとれば備前国赤坂郡の郡司ですが、「号す」なので河内国赤坂に住む石川郡の郡司とも想像できる……('24/09/18)


橘安基の子、橘公範は河内源氏二代目の源頼義に従い前九年の役に従軍します。衣川で手柄を上げた公範は、秘伝の軍法と義の字を授けられ、橘義範に名を変えて家臣団の中で有力な地位を築いたものと想像します。なお、この戦には関東から橘孝忠、出羽から橘貞頼・頼貞兄弟といった橘氏も参陣しています。('24/09/20)


☆橘公長と楠木氏☆


ある系図では、この橘義範の子孫が河内に残った楠木正成の系統と、鎌倉に下った橘公長の系統に別れるという。平家の家人となっていた公長は、源為義への恩を忘れず、孫の源頼朝の元に参じたと伝わる。公長の嫡男は橘公忠(橘太)、次男は奥州合戦で活躍する橘公業、四男?は承久の乱で活躍する橘公高('24/09/21)


橘公高は橘公長の四男ではなく孫との説もあります。つまり公長の嫡男橘公忠の四男とも言われます。('24/09/21)


橘公長の嫡男、橘公忠(橘太)は源範頼に臣従して(?)、範頼の配流先の伊豆国で討たれたようです。これに伴い、橘公長の子孫は次男の橘公業の系統(小鹿島氏、渋江氏、牛島氏、中村氏、中橋氏)が主流となります。('24/09/21)


続く

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