第57話 楠木紀行 棚田/西恩寺
カクヨムへの転載に際して写真は割愛しています。写真をご覧になりたい方は、Xにて「#楠木紀行」で検索ください。
☆下赤坂城の棚田☆
#楠木紀行 No.29
下赤坂城から見た棚田百選にも選ばれている棚田。水を張った頃が見頃です。一般的に棚田は1400年頃から出現したとされますが、赤坂の棚田は太平記に「赤阪の城と申すは、東一方こそ山田の畔重々に高くして」 と登場するので、もっと時代が遡れそう。もしかすると日本最古の棚田かも。('24/07/08)
#楠木紀行 No.29補足
赤坂の棚田と横堀を持つ上赤坂城に共通するのが等高線に沿った構造。何れも一般的に出現する時代よりも早く、しかも同じ時期に出現しているようです。鉱山業者の側面を持つ楠木党の技術が田と城に活かされたのでしょうか?! もしかして、ここから全国に広がったのでしょうか?!('24/07/08)
☆西恩寺と済恩寺氏☆
#楠木紀行 No.30
ここは亀寶山西恩寺。楠木氏の氏寺である観心寺の一坊として開基した寺です。江戸期に西音寺を経て西恩寺に改名したと伝わります。同じ読みで文字だけ変えてるなら、最初は済恩寺だったのかもしれません。 楠木党の重鎮、済恩寺飛騨守正近の館はこの近くだったのでしょうか?('24/07/09)
#楠木紀行 No.30補足
済恩寺飛騨守正近は楠木正儀を支えた楠木党の有力者。正平九年から文中元年まで名が見えるので正儀と同世代でしょうか。楠木正近の名乗りもあるので血族と思われますが、飛騨守は下国なので、大国河内守の正儀、上国伊予守の正顕より、一ランク血筋が遠い従弟くらいかと想像します('24/07/09)
☆楠木紀行を通じて☆
#楠木紀行 No.31
もっとあちこち行きたかったのですが、今回の紀行はここでタイムアップ。古市から西恩寺まで、北から南へと足を運んだわけですが、奇しくも古い時代から新しい時代への流れを見ることになりました。楠木一族自体が、北から南への歴史を持っているのかもしれませんね。('24/07/10)
#楠木紀行 No.32
マイナーな紀行にお付き合い頂き、ありがとうございました。この紀行は写真を除き、カクヨム「南北朝雑記/虚無僧のつぶやき」の第47~57話に転載しております。また新たな発見を求めて河内、さらに和泉も訪ねることができればと思います。('24/07/10)
https://kakuyomu.jp/works/16816927862460293511




