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第56話 楠木紀行 赤坂の館と城

カクヨムへの転載に際して写真は割愛しています。写真をご覧になりたい方は、Xにて「#楠木紀行」で検索ください。


☆建武以後の楠木館☆


#楠木紀行 No.26

足谷川を越えて桐山(赤坂)へ。ここは建武以後の楠木邸の伝承地。楠木正成は倒幕後に水分(すいぶん)からこの地に館を移したそうです。緩やかな丘の上で、北東は水越川と足谷川が、北西は千早川が天然の堀の役割を果たしたのでしょう。南に移したのは赤坂城との連携を考えてのことか。('24/07/05)


#楠木紀行 No.26補足

四条畷の直後、高師泰の侵攻で燃やされた楠木館とは、この桐山(赤坂)の館だったのでしょうか(湊川の直後、細川顕氏の侵攻でも被害を被ったか??)。その後、楠木館がこの地で再建されたのか、別の場所で再建されたのか、はたまた上赤坂城の陣屋を楠木館としたかは不明です。('24/07/05)


#楠木紀行 No.27

ここは建武以後の楠木館の背後にある土居城。土井砦とも言います。土居とは石垣ならぬ土垣のこと。土を盛り、土垣を張り巡らせた砦です。新たな館からは300m南。非常時に館と一体で使われていたのでしょう。危なくなれば、さらに背後の上赤坂城に登って籠城したものと思われます。('24/07/06)


#楠木紀行 No.27補足

この土居城を仰ぎ見ながら、ふと、最初の赤坂城(下赤坂城)というのはここだったんじゃないかとも思ったり。現在は中学校の裏手が下赤坂城とされますが、遺構も確認されておらず、上赤坂城との連携も悪すぎるような気が……でも、山城としてはちょっと低すぎますね。撤回です。('24/07/06)


☆上赤坂城(楠木本城)☆


#楠木紀行 No.28

この桐山の山頂が楠木本城とされる上赤坂城。炎上跡とともに、南北朝時代には見られない等高線に沿った横堀と曲輪が確認され、後の時代の城では?! 後に改修したのでは?! とも言われています。単にこの城が先進的で、ここから全国に広がった可能性はないではないのでしょうか?('24/07/07)


#楠木紀行 No.28補足①

というのも、楠木氏は金剛砂や辰砂など各種鉱物を採掘する鉱山業者でもあったと言われているからです。例えば、本城の上赤坂城は最新の山掘り技術が生かされたモデル城で、ここで使われた等高線に沿った横堀や曲輪が後世に伝播し、室町後期の山城になったというのは無理筋かな…('24/07/07)


#楠木紀行 No.28補足②

非常時だけ使うものも含め、楠木氏の山城/砦は兵の数に比べて不自然に多いです。全てが楠木氏のものとは言えませんが、楠木七城、楠木氏河内七城、楠公十七支城ほか。鉱物の採掘跡を山城/砦として利用したからではないでしょうか。単に採掘跡も後世に砦として伝わっているかも('24/07/07)

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