第55話 楠木紀行 水分《すいぶん》
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☆建水分神社☆
#楠木紀行 No.24
ここは千早赤阪村の水分にある建水分神社。田へ水が分け与えられる(水が配られる)ように、という意味でしょうか。金剛葛城の山麓に水神を奉ったのが起源で、後醍醐天皇の命で楠木正成が社殿をこの地に移し、楠木の氏神としたそうです。('24/07/01)
#楠木紀行 No.24補足①
楠木正行の年齢でよく引き合いに出される自筆「左衛門少尉」の扁額があるのがここ建水分神社。1340年時点で左衛門少尉なので、太平記にある1336年時点で数え11歳は訝しいとされます。ただし、同じ太平記に1347年時点では数え25歳で再登場します。拙作は後者としました。('24/07/01)
#楠木紀行 No.24補足②
建水分神社の境内には楠木正成を祀る南木神社が摂社として設けられています。後村上天皇から「楠木」の名字をもじった南木明神という神号を賜わり、当初は建水分神社の本殿の背後に南木神社が建立されました。元禄10年に社が傾いたため、現在の場所に建て直されました。('24/07/02)
#楠木紀行 No.24補足③
建水分神社の目の前にあるのが古民家カフェっぽい「お食事処 為ちゃん」。千早赤坂村では貴重な食堂です。定食、丼、うどん・そば、いろいろあってガッツリ食べられます。お昼と夜(夕方から)しかやってないので、時間は要注意です。('24/07/02)
☆楠公生誕地☆
#楠木紀行 No.25
マイナー紀行と言いつつ、一番メジャーなところにやって来ました。ここは水分の楠公生誕地。楠木正成が生まれ育った楠木館の推定地です。平成2年の発掘調査では、二重の堀に囲まれた建物跡を確認したとのこと。今は郷土資料館とくすのきホールが建っています。('24/07/03)
#楠木紀行 No.25補足①
正成生誕地は、文録年間に豊臣秀吉の命で増田長盛が検地して土壇を築き、明治8年に大久保利通の奨めで税所篤が整備して碑が建てられました。碑文の「楠公生誕地」は、非業の死を遂げた利通に代わり、幕末三剣豪の一人、桃井春蔵直正(または富岡鉄斎)によると言われています。('24/07/03)
#楠木紀行 No.25補足②
楠公生誕地の隣にあるのは日本で一番小さな道の駅ちはやあかさか。以前、訪れた時は、食事メニューがなかったと思ったんですが、今回はカレーにピザ、パフェとかあり、二階で村の景色を見ながら頂くことが出来るようになってました。('24/07/04)
#楠木紀行 No.25補足③
ここ水分の楠木館は元弘の変で燃えたと言われます。よく聞くのは、大河ドラマにも描かれたように、幕府軍の手に落ちる前に正成自身が燃やしたというものですが、記録があるわけではないようです。ただ、燃やさなくても、赤坂城を囲う幕府軍の焼討ちは免れなかったでしょう。('24/07/04)




