第54話 楠木紀行 石川河原/平岩氏
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☆石川河原☆
#楠木紀行 No.19
ここは楠木氏の本拠、東条(当時)の北端。西城川(石川上流)と東条川(千早川)が合流する辺りです。場所は不明ですが、四條畷後に高師泰が石川河原に布陣し、後に東条に対する向城を造りました。さて、どの辺りでしょうか。ちなみにここの住所は富田林市楠町です。('24/06/25)
#楠木紀行 No.19補足
一説に、高師泰が造った石川の向城は近鉄川西駅の辺り(富田林市甲田)とも言われます。師泰率いる幕府軍が東条に進軍したとき、楠木軍の一翼として和田助氏らが佐備谷口で迎撃戦を行ったので、向城は佐備谷口よりは北、かつ石川の西であろうと思われます。('24/06/25)
☆平石城と高貴寺☆
#楠木紀行 No.22
平石城跡です。楠木正成に味方した平岩茂直が築いたとされます。茂直は赤坂城の戦いの際にこの城で討死。後年、息子の茂幸も平石城に籠城して幕府軍と戦ってます。平岩氏は河内を本拠とした物部姓弓削氏の末裔と思われます。つまり、蘇我馬子に滅ぼされた物部守屋の子孫。('24/06/29)
#楠木紀行 No.22補足
平岩氏の一派は三河に移り住み、後に徳川十六神将の一人に数えられる平岩親吉を輩出し、徳川普代の家臣となります。楠木正成と共に戦い、子孫が徳川家康の家臣となるという意味では、河内源氏の石川氏と似ています。('24/06/29)
#楠木紀行 No.23
ここは神下山高貴寺。平岩氏の氏寺で、後醍醐天皇の命で鎌倉幕府調伏を祈祷。楠木討伐に向かった幕府軍が平石峠を越えて河内に入り平石城を攻めた際、ここも襲われて伽藍を消失。後に再建された寺は、南北朝時代から時が止まったかのように、山の中にひっそりとたたずんでいます。('24/06/30)
#楠木紀行 No.23補足
昔、高貴寺は香花寺/香気寺だったとのこと。唐から帰国した弘法大師(空海)が京に入るに際し、藤原薬子の変が落ち着くまでこの寺に留まり、ここで、唐から持ち帰った品々の目録を書いていたそうです。寺の西には聖徳太子ゆかりの「岸の桜井」もあります。('24/06/30)




