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第53話 楠木紀行 大ヶ塚城と石川氏

カクヨムへの転載に際して写真は割愛しています。写真をご覧になりたい方は、Xにて「#楠木紀行」で検索ください。


☆大ヶ塚城と石川氏☆


#楠木紀行 No.20

石川河原の東隣、河南町大ヶ塚(近く)の壹須何神社。大ヶ塚城の北城跡です。城は石川氏と楠木氏が協力して造ったと伝わります。ここを守備していたのは石川氏の石川判官代(石川次郎)。なので別名は石川城。一方で、大塚惟正で有名な楠木一族の大塚氏の出処も大ヶ塚と伝わります。('24/06/26)


#楠木紀行 No.20補足

大ヶ塚は大きな塚、つまり古墳の意味だそうです。隣には古墳群102基を整備・保存する「近つ飛鳥風土記の丘」があります。この丘も加え大ヶ塚の丘陵そのものが全長3kmにも及ぶ超巨大前方後円墳に見えるのは、私だけでしょうか?(宅地開発で"前方"の部分は分かりにくいですが)('24/06/26)


#楠木紀行 No.21

楠木正儀が築いたという上山(うやま)城跡。元は大ヶ塚城の南城跡です。この地の出と伝わる大塚惟正は、楠木正成の叔母が大塚氏に嫁ぎ産んだ子と伝わる。大塚氏は石川氏の庶流なのか。とすれば、惟正は石川氏でありながら楠木一族でもある。そもそも大塚惟正が石川判官代なのか?('24/06/27)


#楠木紀行 No.21補足①

河内源氏の末裔、石川氏は、楠木氏の台頭で威勢を失ったとされるので、敵対関係の時期もあったんだろうと思っていました。しかし、紀行を通じて敵対の論拠は全く見つからず、それどころか、近しい関係だったことを匂わせる話ばかりだったので、頭のリセットが必要です。('24/06/27)


#楠木紀行 No.21補足②

楠木正成の下で石川氏が出陣したり、石川氏の本拠近くに共同で防衛線を張っただけでなく、正成が壺井八幡宮を再建し、正行や正儀が八幡宮に奉納している事実も、両氏の良好な関係を伺えせます。楠木氏の菩提寺である観心寺も元々は河内源氏/石川氏との所縁深い寺のようですし。('24/06/28)


#楠木紀行 No.21補足③

楠木正成より昔の時代、石川氏が守護(?)で、楠木氏はその下で地頭だったという話があります。もし楠木氏が河内源氏の郎党だったなら、その関係性のみが伝承された逸話かもしれません。両者の関係性から、楠木氏は河内源氏なのではないか?と考える方もおられるようです。('24/06/28)

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