第52話 楠木紀行 河内源氏 2/2
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☆河内源氏と楠木氏☆
#楠木紀行 No.16補足②
もし、橘某が楠木氏の祖先で、河内源氏/石川氏の親しい家臣だった場合、その子孫が、主家の命で、叡福寺が権益を持つ楠木石切場の雑掌職に着いた可能性も出てきます。というのも、叡福寺はすぐ近くの河内源氏の威名を利用して権益を守ろうとする可能性があるからです。('24/06/22)
#楠木紀行 No.16補足③
伊予橘氏は橘清正から橘姓を賜ったとする地方豪族。子孫とも伝わる橘遠保が藤原純友討伐で武名を上げました。遠保は平将門討伐で東国に下向して国司(掾)となり、純友討伐では警固使として伊予に。最後は美濃介となりました。彼自身は地方豪族じゃなく京の官人のように見えます('24/06/22)
#楠木紀行 No.16補足④
橘遠保には皇別橘氏の系図も伝わります。京の下級貴族だった遠保が、藤原純友討伐の功で伊予国宇和郡を与えられたため、伊予橘氏(物部越智系矢野氏別)と混同されたのではないか?とも言われます。どちらの橘氏かはさておき、橘遠保は楠木氏先祖の有力な候補の一つとされます。('24/06/22)
#楠木紀行 No.17
河内源氏の三代目、天下第一の武勇の士と呼ばれた源義家の墓です。頼朝、尊氏、家康?の源氏将軍はこの人の子孫であることが重要でした。その義家に兵法を伝えたとされるのが大江匡房。曾孫の大江広元を経て、その子孫が楠木正成に兵法を教えた大江(毛利)時親。さらに子孫が毛利元就。('24/06/23)
☆壺井八幡宮と楠木氏☆
#楠木紀行 No.18
河内源氏の氏神、壺井八幡宮。源頼義が石清水八幡を勧請し河内源氏の総氏神とするも、子孫の頼朝によって鶴岡八幡宮にその座を奪われました。石川氏との関係からか、建武元年に楠木正成が再建。正成討死直後、東条に侵攻する足利に対し、楠木党が近くの壷井丸山に出て合戦となりました('24/06/24)
#楠木紀行 No.18補足
壺井八幡宮の宝物は河内源氏所縁の品ばかりではありません。楠木正行奉納の菊水紋の旗印、楠木正行添状(広瀬大夫法眼御房宛)、楠木正儀下文(石河万寿宛)など楠木所縁の貴重な品も保管されています。('24/06/24)




