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レポート  作者: 篠森京夜
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レポート-1

 雲の隙間から太陽が姿を現し、ブラインドを白く輝かせた。

 ブラインドの隙間から射し込んだ光が机上を縞模様に照らし出す。小島佐織はコンピューターのモニタから目を離し、携帯電話に視線を向けた。

 花村綾菜が姿を消してから半年が経つ。正確には、新塚健児の事故が起きた夜から200日が過ぎようとしている。彼女が姿を消してから様々な出来事が起きた。それはサオリ自身に関する出来事であり、サオリの所属する研究室の問題であり、そして花村綾菜に関することでもあった。

 まず、ホムンクルスの復旧に関する問題が研究室を襲った。予測外のバグによりホムンクルスが壊滅的なダメージを受け、数値的な人工生命達はほぼ絶滅した。更に規模を縮小し続けるホムンクルスに対して、これ以上の計画の続行を疑問視する声が上がったが、サオリやタヤマ……研究に携わる者はまだ判断はできないと主張した。仮想的な環境とは言え、環境の激変後に新たな生物相が形成される可能性があるからだ。

 夜空に新しい星が出現する瞬間さえ待ち続けられる科学者に比べて、指導者や出資者はせっかちだ。大学はスポンサーの立会いのもとで研究室を査察し、研究の存続を決定するまでの期日を一ヶ月に設定した。

 それからの一ヶ月はまさに大混乱だった。研究室のメンバーのみならず、何故かタカハラやオカダ達まで一緒になって研究を存続させようとした。その為には新たな生物相の発見が必要不可欠だったが、時間は絶対的に不足していた。教授のカジワラも走り回っていたが、彼に限っては保身の為に動いていたようだ。

 ほぼ不休不眠でホムンクルスの探索が進められた。査察は少し延期された。タカハラ達がちょっとした働きかけをしたからだ。もっとも、彼らの友人だという大企業の社長を介して為されたその『妨害工作』という名の働きかけは相手に気づかれていないし、詳細な説明は控えた方が賢明だろう。特にタヤマが自作のパソコンを用いて行ったことなど、それだけで一本の小説が書けそうなほどのものだ。

 今でもタヤマは酒の席で、ある踊りを交えながらその時のことを話す。それは何とも滑稽な『パソコン』と『踊り』にまつわる話なのだが、公開すると彼の研究者人生が断たれてしまうことは間違いないので誰も口にすることはできない。


 小説と言えば、タカハラが連れてきた小説家は奇妙な男だった。タカハラの紹介で研究室の取材に来たこの男は、後に研究室の騒動やその他の問題に不思議な縁で関わっていくことになる。

 査察の当日、彼は研究棟の一室に集まった大学関係者とスポンサーを前に『世間話』と称して話を始め、二時間もその場に足留めしてしまった。その過程は一緒にいたサオリもうまく説明することができない。まるで魔法にでもかけられたかのように、いつの間にか二時間が経ってしまっていたのだ。

 現実とは妙なものだ。その二時間が過ぎた直後に、それまで発見できなかった新種の生命……後に『7』と名づけられるものが発見されたのだから。

 『7』は僅かに残った『6』と『イジドア』の結合体だ。正確には『6』の構造体の中に『イジドア』の情報体が入った形をしている。これによって『7』は常に情報変異を繰り返すと同時に、かつての『6』にこそ及ばないものの規模の大きな集団を形成することができるのだ。この生物進化の過程を模倣するような発見により、研究は手の平を返すように存続することになった。

 これが直ちに進化の謎を解き明かす発見だとはサオリは考えていない。ホムンクルスはあくまでシミュレーターだ。絵に描かれた風景がどんなに精密でも現実の風景とは異なるように、小説に書かれた世界がどんなにリアルでも現実の世界とは異なるように、ホムンクルスは実際の生物進化の過程を再現したりはしないだろう。だが、多くの人が描かれた風景から自然の美しさを知るように、記された人生に共感し教訓として心に刻むように、世界をシミュレートすることには意義がある。

 人が複雑な世界の全てを理解することは不可能だ。だからこそ要素のみを抽出し、分析を加え、試験しなければならない。気象の変化、経済の動き、化学反応、生物活動、人の心理や恋愛感情。科学と芸術は互いに分野を異にしながらも、星の数程の要素を分析してきた。限られた細部は世界そのものではないかもしれない。しかし、細部にさえ世界は宿っているのだ。

 科学者と芸術家は共に世界を切り崩し、その真実を知ろうとしてきた。例えその道のりが果てしないものだとしても、人はわからないことを知りたいと、思い続けてきたのだ。


 ホムンクルスの一件が解決した後、サオリはもう一つの『わからないこと』を調べ始めた。それは彼女の生涯において最大の謎……花村綾菜の謎だった。

 彼女がいなくなってから、サオリは自分が彼女について何も知らないことに気づいた。地方の小さな町の出身とは聞いていたが、家族の話は聞いたことがなかった。身なりから裕福な家の出だろうとは思っていたが、それも想像の域を出なかった。彼女は滅多に自分について話をすることがなかった。

 サオリが彼女の生い立ちを知りたいと考えたのは、それが彼女の居場所を探す手がかりになるかもしれないと思ったからだ。だが新たに動き始めた研究の計画に追われ、サオリ自身にそれを調べる時間的余裕は作れそうもなかった。

 彼女は他人と距離を置いて生きていたし、他人に合わせるような人間でもなかったが、不思議と反感を買うことも少なかった。姿を消した時も心配する声こそ上がったが、研究の肝心な時にいなくなったことを責める声は殆どなかった。だが、大学の研究室は共通する目的を持つ者の集まる場であって家族ではない。参加する人間の行動は干渉されるが、いなくなれば集合からは切り離される。一個人として心配する者はあっても居場所を探そうとまではしない。警察も真剣に取りあってはくれなかった。

 代行者は意外なところから現れた。例の小説家が話を聞いて調査に乗り出したのだ。仕事柄、彼は物事を調べることに慣れていたし、彼自身の興味もあった。そして何より、驚いたことに彼とアヤナは同じ高校の同級生だったのだ。もっとも、これは彼に花村綾菜の名を告げたときに判明したことであり、彼自身も驚いていたようだが。同級生と言っても二人が会話を交わしたことはなく、ただ共通の友人を持っていた程度だったらしい。

 ただ、彼自身は彼女のことをただの同級生とは思っていなかったようだ。それは今回の件に協力を申し出たことや、彼女のことを話す時の彼の表情からも読み取れた。

 一度、高校時代の彼女はどんな人だったのかと訊ねたことがある。綺麗な人だった、と彼は答えた。自分の世界を持っていて、近寄りがたい存在だったと。それから小さく笑った彼の姿に、サオリは片想いの相手に結局ずっと声をかけられなかった自身の高校時代を思い出した。

 好きな女性に話しかけられない割にと言うと失礼かもしれないが、探偵としての彼は優秀だった。サオリはわずか数週間でアヤナの生い立ちについて知ることができた。

 しかしその内容は、実に奇妙なものだった。

 彼が調査結果をサオリに報告する際、彼自身の手で事実関係を確認し終えて尚、

「これは本当の話ですからね?」

 と断ったほどに。

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