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第2話─心当たり

「おはよう。エラン」


 不意に、隣から声を掛けられた。


 机の上に積み上がった書類を前に、どうにかして今日一日の仕事を乗り切る方法はないものかと考えていた俺は、その声に顔を上げる。


「ああ、おはよう」


 そちらへ振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。


 俺が挨拶を返すと、彼女は小さく頷き、そのまま隣の机へと向かう。手にしていた鞄を机の脇に置き、椅子を引いて腰を下ろすと、慣れた手つきで仕事の準備を始めた。


「お早い出勤ね」


 机の上に書類を並べながら、彼女が言う。


「そういう君は随分と遅い出勤だな。もしかして、俺が知らないうちに出世でもしたのか?」


 俺がそう返すと、彼女は呆れたようにこちらを見た。


 リゼット・アルヴェイン。


 国家魔術保安局に所属する、俺の同僚である。


 年齢は俺とそう変わらない。肩に触れるか触れないかという程度の長さに切り揃えられた髪は、陽の光を受けると柔らかな色合いを見せる、綺麗な茶色をしていた。


 整った目鼻立ちに、涼しげな目元。派手さこそないものの、端正な顔立ちをした女性だ。


 何より目を引くのは、その隙のない身なりだろう。


 国家魔術保安局の制服を、彼女はいつもきっちりと着こなしている。襟元は綺麗に整えられ、胸元の留め具にも緩みはない。袖口に至るまで乱れ一つなく、黒い制服には皺らしい皺も見当たらなかった。


 俺なんかは、少し気を抜けばすぐに襟元を緩めてしまうというのに。


 服装というのは、その人間の性格をよく表すものらしい。実際、彼女は見た目の印象を裏切らない、非常に真面目な人間だった。

 

「貴方が早すぎるだけでしょう。私は普通の時間だわ」


「そうか?」


「そうよ。上司に媚び売りでもしてたのかしら」


「誰がするか」


 俺は手にしていた書類を机に置き、壁に掛けられた時計へと目を向けた。


 すると、なるほど。


 確かに、まだ随分と早い時間だった。


 室内には既に何人もの職員がいるものの、空席も目立つ。普段ならもっと賑やかなはずの執務室が、今日は妙に静かだと思っていたのだ。


 どうやら、俺の方が早く来すぎていたらしい。


 今朝は、あの悪夢のような出来事に叩き起こされたせいで、いつもより随分と早く目が覚めてしまった。


 そのまま二度寝する気にもなれず、仕方なく身支度を整えて家を出たのだが、まさか、それが早朝出勤に繋がるとは。


 我ながら、何とも勤勉なことである。


「今日は夢見が悪くてな。柄にもなく早起きしてしまった」


 俺がそう説明すると、リゼットは机の引き出しから筆記具を取り出しながら、小さく首を傾げた。


「夢見が悪くて? 悪夢でも見たのかしら」


「ああ、それはもうとびっきりのやつを」


「ふふふ。この歳になって悪夢に起こされるなんて、子供みたい」


「何だとこのやろう」


 俺は小さくため息をつくと、机の上から適当な書類を一枚引き抜いた。


「まったく……。人が苦労してるってのに」


「あら、何か言った?」


「いや、何でもない」


「そう」


 リゼットはそれ以上追及することなく、自分の仕事へと意識を戻した。


 彼女は鞄から取り出した書類を机の上に並べ、内容を確認しながら手帳に何かを書き込んでいる。時折、書類の順番を入れ替えたり、棚から必要な資料を取り出したりと、その動きには無駄がない。


 その時。


「全員こっちに耳を傾けろ」


 部屋の奥から、よく通る低い声が響いた。


 それまで各々の仕事に取りかかっていた職員たちが、一斉に顔を上げる。


 声の主は、この部署を取りまとめている上司だった。年季の入った制服を身に纏ったその男は、部屋の奥にある自分の机の前に立ち、手にした書類の束をもう片方の掌でパンパンと叩いている。


 どうやら、何か連絡事項があるらしい。室内の話し声が徐々に収まり、職員たちの視線が上司へと集まった。


「昨晩、また王都で焼死体が発見された」


 その一言で、室内の空気が僅かに変わった。


 俺も、手にしていた書類から顔を上げる。


 焼死体。


 何とも、聞き覚えのある単語である。


「知っている者もいるだろうが、ここ最近、王都では不審な焼死体の発見が相次いでいる。今回の事件も、それらと同一犯によるものと考えられている」


 上司は手元の資料へ目を落とし、説明を続けた。


「犯行が行われたと推定される時刻は、いずれも深夜。現場に残された魔力の残滓、及び遺体の損壊状況から、魔術が使用された可能性が極めて高い」


 魔力の残滓。


 それは、魔術が行使された場所に残る、いわば痕跡のようなものだ。


 魔術の種類や使用状況によって残り方は異なるが、専門の機材を用いれば、ある程度の情報を読み取ることができる。


 そして、それは俺たち保安局にとって、重要な捜査資料の一つでもあった。


「現在、捜査班が過去の事件との関連性を調査しているが、犯人の特定には至っていない。目撃情報も乏しく、現時点では犯行に使用された魔術の詳細も不明だ」


 そして上司は、ため息をつきながら続ける。


「熱を操る魔術、人体を燃焼させる魔術、物質を変質させる魔術。焼死体を作る魔術が炎だけとは限らん。決めつけてかかるなよ」


 上司の説明に、周囲の職員たちが小さくざわめいた。


 魔術師による連続殺人。


 それも、王都の中で何度も犯行を繰り返しているとなれば、決して軽視できる事件ではない。


 何しろ、相手は魔術師なのだ。被害が拡大する前に対処しなければ、取り返しのつかない事態になりかねない。


「焼死体…………またかしら。最近は物騒ね」


 隣で、リゼットが小さく呟いた。


「…………そうだな」


 俺は曖昧に頷いた。


「これは許されることではない」


 上司の声が、一段と低くなった。


「我々保安局が存在するにも関わらず、この王都で堂々と犯行に及ぶとは。国家の治安を預かる者として、到底看過できるものではない」


 上司は手元の書類を机に置き、室内を見渡した。


「頭がイカレているのか、はたまた我々を挑発しているのかは分からない。だが、いずれにせよ、我々に求められることはたった一つ」


 そこで一度、言葉を区切る。


「迅速な事態の究明と、解決だ」


 その声には、有無を言わせぬ力強さがあった。


「これ以上、奴を野放しにはしておけん」


 もっともな話である。


 実際、俺も同感だ。


「そこで、本日より夜間の巡回体制を強化することにした」

 

 出された結論が、夜間の巡回を強化すること。


 まあ、そうなるだろうな。


「巡回…………面倒ね」


 隣で、リゼットが小さく呟く。


「そうだな」


 今度は、強く頷いた。


「各員、通常業務と並行して夜間の巡回任務に当たってもらう。担当区域は追って割り振るが、基本的には複数名での行動を原則とし、不審な人物や魔術の痕跡を発見した場合は速やかに報告すること」


 上司はそこで、再び書類を手に取った。


「無論、危険な魔術師との遭遇も想定される。独断での交戦は極力避け、必要に応じて応援を要請しろ。相手の能力が不明な以上、慎重な行動を徹底するように」


 その言葉に、室内のあちらこちらから返事が上がった。


 俺も適当に頷いておく。


「なお、担当区域についてだが」


 上司の声に、俺は再び顔を上げる。


「希望の場所がある者は申し出ろ。特に問題がなければ、優先的にそこへ配置する」

 

 俺は手元の書類を机に置いた。


 隣では、リゼットが何やら考え込んでいる。


「希望の場所…………犯人の行動範囲的に、外縁部の方が遭遇できそうだけど…………」


 彼女は机の上に広げた王都の地図へ目を落とし、小さく呟いた。


 確かに、これまでの事件の発生場所を考えれば、外縁部を重点的に巡回するという判断は妥当だろう。


 人通りが少なく、夜間は警備の目も届きにくい。魔術師が人目を避けて研究を行うには、うってつけの場所である。


 俺は椅子を引き、すっと立ち上がる。


 その物音に気づいたのか、リゼットがおもむろに顔を上げた。


「エラン? 何をしにいくの?」


「決まってるだろ。上司に希望の場所を伝えに行くんだよ」


「もう決めたの? 随分早いわね」


 彼女は意外そうに目を瞬かせた。


 それから、少しだけ声を潜める。


「何か、心当たりがあるのかしら」


 俺は机の間を抜け、部屋の奥に立つ上司のもとへと歩き出す。


 そして、肩を竦めながら言った。

 

「さあ、それはどうだろうな」

 気に入っていただけた方や、続きが気になると思っていただけた方は、是非とも応援よろしくお願いします。


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