2. 中編
【中編】
「ペルラ!」
ディアバスは反射的にペルラを引き寄せ、自分の身体でかばった。
巨大イカの墨がまともにディアバスへ降りかかる。
「くっ……」
大柄なディアバスの身体がペルラの方へ崩れてくる。
「ディア、お、重いよ……!」
「ペルラ、ごめん……痺れて、体に力が入らない……」
「……え!?」
ペルラは驚いて、ディアバスの下から必死に這い出た。
そして、砂浜に横たわるディアバスを見た。
墨が直撃した背中側は、頭から踵まで真っ黒になっている。
「あれは、たぶんバサルクバケモノオオイカだ」
ディアバスの言葉にハッとして、ペルラが海を見ると、巨大イカはもういなくなっていた。
「バサルクバケモノオオイカの墨は痺れると聞いたことがある」
ペルラは涙が出てきた。
「ディア! 死なないで!」
「落ち着け! 俺は痺れてるだけだ! 死なない」
「そうなの?」
ペルラの涙が止まった。
「じゃあ、どうすればいいの? とりあえず洗う?」
ペルラは立ち上がると、ディアバスの服を海の方へグイグイ引っ張った。
しかし、ディアバスの体はビクともしない。
「おい、やめろ! お前の力では俺の体重を引きずれないし、砂浜を引きずられたら痛いだろ!」
「じゃあ、どうしたらいいの……」
ペルラは砂浜に座り込んだ。
「バサルクバケモノオオイカの墨で痺れた時は、愛する人のキスで治る」
ディアバスはペルラを見て、弱々しく微笑んだ。
「え? ホント?」
ディアバスは穏やかに言った。
「本当だよ。聞いたことがある」
「……分かったわ!」
ペルラはこぶしを握りしめると、目を閉じて、唇をディアバスの顔に近づけた。
「……でも」
ペルラは途中で動きを止めると、目を開けて座り直した。
小さな声で言う。
「もし……」
「ん?」
「もし私がキスして治らなかったら……?」
ペルラは、だんだん不安そうな顔になった。
「私はディアの『愛する人』じゃないってこと……?」
「な……」
「それとも、ディアが私の『愛する人』じゃないってこと……?」
「……」
ディアバスの目は一瞬虚ろになったが、すぐに光を取り戻した。
「ちょっと治りが悪くても問題ない」
「……問題ない? 何がどう問題ないのよ!?」
「落ち着け! もう結婚してるんだから大丈夫!」
「結婚してるから大丈夫……?」
「いや、それはこっちの話だった……」
「?」
ディアバスは、ペルラの目をじっと見た。
「ペルラ。もし治らなくても、俺はペルラを愛している」
「……ディア……」
ペルラは涙ぐんだ。
「ペルラ、大丈夫だ。俺を信じろ」
「うん」
何度も頷く。
ディアバスは優しく微笑んだ。
「だから、安心して――」
そのとき、急にペルラが真顔になった。
「……でも、『もし治らなくても』って、よく考えたら私のこと疑ってない?」
ペルラは静かにディアバスを見た。
「…………」
全身真っ黒のディアバスは、砂浜に横たわったまま、モゾモゾ精一杯手足を動かして叫んだ。
「もう何でもいいから、試しに一回キスしてくれない? こっちは痺れてるんだよ!」
◇
話は、数時間前まで遡る。
とあるバサルク貴族の屋敷に、さわやかな朝の光が満ちていた。
庭の一角には、大きなプールがあった。
青い水の中を、真っ白な巨大イカがゆったりと泳いでいる。
屋敷の主人が長年かわいがっているペットだ。
乳母に抱かれた赤ちゃんが、プールのそばを散歩していた。
赤ちゃんは、近くに垂れていた紐を見つけた。
おもしろそうだ。
小さな手を伸ばし、引っ張ってみる。
しかし、音も鳴らず、人形も飛び出してこない。
部屋のおもちゃとは違うようだ。
赤ちゃんはすぐに紐から手を離した。
◇
しばらくして。
屋敷の主人である貴族男は、空になったプールの前で立ち尽くしていた。
「……セバスチャン?」
返事はない。
「セバスチャン!」
水面は静かだった。
よく見ると、なぜかプール横の紐は引かれており、プールと外の水路を隔てる水門は開いていた。
貴族は青ざめた。
「大変だ!」
◇
王宮では、王太子補佐官のピレイがいつものように大量の書類を処理していた。
そこへ、先ほどの貴族が駆け込んできた。
「ピレイ様!」
「どうされました?」
「うちのセバスチャンが行方不明なんです!」
「……行方不明?」
ピレイは、読んでいた書類を机に置いた。
「それは大変ですね。最後に確認されたのは?」
ピレイは書類を脇によけて、メモを用意した。
「今朝です。うちのプールにいたはずなんですが……」
「プール?」
ピレイは少しだけ首を傾げた。
「特徴を教えてください」
「白くて、大きいです」
「色白なのですね」
「いえ。真っ白です」
「……真っ白?」
「足が十本あります」
ピレイが黙った。
「セバスチャンというのは……」
「バサルクバケモノオオイカという種類の巨大イカです」
「……なるほど」
ピレイは一瞬だけ遠くを見た。
「好物はおにぎりです」
「なるほど、なるほど」
ピレイは繰り返した。
貴族はピレイの両手をガシッと握った。
「どうか探していただけませんか? 私の愛するセバスチャンを……」
ピレイはさりげなく貴族の手を外した。
「国中へ知らせを出しましょう」
「ありがとうございます! どうもありがとうございますッ!」
貴族は何度も頭を下げた。
◇
部屋の外では、貴族男に付き添って来た妻が赤ちゃんを抱っこしていた。
「ベビちゃん、ここが王宮ですわよ〜」
赤ちゃんはご機嫌だった。
口には、黄金のおしゃぶりをくわえている。
表面には、イカの絵が刻まれていた。
「ベビちゃん、お利口さんね〜」
「バブー」
その時、赤ちゃんの口からおしゃぶりが外れて落ちた。
黄金のおしゃぶりは、回廊の端へ転がった。




