1. 前編
ペルラとディアバスは、バサルク王国での結婚式を終えてしばらく経ち、もうすぐムーンストーン王国に戻ることになっていた。
二人は、ムーンストーン王都のベトーラ伯爵家でずっと一緒に育ってきた。
ディアバスは実際はバサルクの第二王子で、ペルラと血のつながりはないのだが、ペルラの実兄がディアバスを弟のように扱い、ペルラの世話をいろいろ頼んできた。
そのため、ディアバスも、自分が家族なのかそうでないのか、微妙な意識のまま今日に至ってしまった。
しかし、そんな二人もとうとう結婚したのだから、人生はわからないものである。
今日は、ペルラとディアバスは優雅に舟遊びをすることにしていた。
バサルク王宮内の水路を、小舟でぐるっと一時間ほど回る計画である。
ディアバスの母国バサルクは、熱帯雨林に覆われた、赤道付近の小さな島国である。
バサルクには水路が張り巡らされており、バサルク王宮でも同様であった。
おすすめのルートは、数日前に、ディアバスの兄オーニチェ王太子にリサーチ済みである。
二人は王宮の船着場から小舟に乗った。
侍従も侍女も、新婚夫婦に気を遣って舟に乗らないようだ。
「ペルラ様、いってらっしゃいませ」
侍女が笑顔でペルラに包みを渡す。
「これは?」
「お昼のおにぎりです」
「ありがとう。外でお昼なんて、すてきね!」
ペルラも微笑むと、手を差し出してきたディアバスに包みを渡した。
二人を乗せた小舟は、静かな水路をゆっくりと進んだ。
巨木の枝が頭上を覆い、涼しい風が通り抜ける。
「あ~、気持ちいい」
ペルラは笑顔で深呼吸した。
「そうだな」
ディアバスも目を細めた。
しばらくすると、ペルラはあくびをした。
「少し眠くなってきたかも……」
昨夜は食事会で、寝たのは遅かった。
◇
「……ペルラ、起きろ」
「んん……」
「ペルラ」
肩を揺すられ、ペルラは目を開けた。
空が広い。
起き上がると――
「海!?」
二人とも寝てしまい、小舟は水路を出て川を流れ、さらに海に出てしまったようだ。
◇
運良く、舟はまもなく砂浜に乗り上げた。
とは言っても。
「ここはどこ?」
「さあな」
ディアバスは舟を先に降りると、浅瀬を歩き、舟を砂浜に引き上げた。
ペルラも舟から砂浜に降りる。
薄曇りで、何だか肌寒い。
あたりを見回す。
少し奥に洞穴があった。低木も生えている。
「とりあえず、雨風はしのげそうだな」
ディアバスはため息をついた。
自分まで寝てしまうなんて、本当にうっかりしていた。
仮にも自分は第二王子、ペルラもこれでも妃である。
行方不明になって、今頃王宮は大騒ぎだろう。
――兄上。こんな間抜けな理由で、申し訳ない。
ディアバスは目を閉じた。
「とりあえず、持ち物を確認するか」
ディアバスは気を取り直して、ペルラを見た。
「俺は短剣。あとは、昼飯のおにぎりな」
ディアバスは、バサルク人の慣習に倣い、短剣はいつも持ち歩いていた。
「私は何も……」
ペルラがしゅんとした。
そのまま何気なくポケットへ手を入れる。
「あら?」
ごそごそ。
「あっ」
パッと顔を輝かせた。
「私も持ってる」
ペルラは得意げに手を差し出した。
「……何だ、これは?」
ディアバスは怪訝な目でペルラを見た。
「黄金のおしゃぶりよ!」
「……それは見ればわかる」
「さっき王宮で落とし物を拾って、後で侍女の方に渡そうと思ってポケットに入れて、そのまま忘れて舟に乗ってしまったのよ。
誰か貴族の赤ちゃんのおしゃぶりかな。なくして、きっと泣いてるわ」
黄金のおしゃぶりには、小さなイカの絵が刻まれていた。
「イカだ!
ディア、イカはどのお家の紋章か、知ってる?」
「いや~、わからないな。そもそも紋章なのか?」
ディアバスは黄金のおしゃぶりを手に取って、まじまじと観察した。
「バサルクはもともと森の民の国だから、貴族の家の紋章は全部、熱帯雨林をモチーフにしている」
「そうなの?」
ペルラはもう一度、おしゃぶりをよく見た。
どう見てもイカの図柄だけど……見ようによっては宇宙人にも見えるかもしれない。
まさか、宇宙人がバサルク王宮に……?
ペルラは頭を振った。
「まあ、まずはおにぎりを食べて腹ごしらえするか」
ディアバスは、混乱している様子のペルラに声をかけた。
かわいそうに、ペルラもあまりの事態にショックで考えがまとまらないのだろう。
「そうね」
二人は砂浜に座った。
ディアバスが包みからおにぎりを出し、ペルラに渡した瞬間――
急に海から、長い物がにゅーっと伸びてきて、ペルラの腕に巻きついた。
「!?!?」
ペルラは固まった。
驚き過ぎて声も出ない。
ディアバスは、残りのおにぎりを一瞬できちんと包み直すと、素早く短剣を抜いた。
ペルラの腕に巻きついているのは、白くて太くて冷たくてブヨブヨした長い物だった。小さな円形の突起も並んでいた。
ディアバスは無我夢中で白い物体を切り始めた。
クニュクニュ。クニュクニュ。
なかなか切れない。
「何だ? これは」
切りながら、ペルラの顔を横目で確認する。
顔面蒼白である。
「ペルラ、しっかりしろ!
くっ……短剣も包丁と同じで毎日研いでおくんだったな」
今さら後悔しても遅いな……と内心冷静になりつつ、ディアバスは短剣で切り続けた。
クニュクニュ。クニュクニュ。
相手が動くので、剣の刃がずれてしまい、余計に切れない。
そのとき、背後の海で、ザアアアアッと大きな波音がした。
ディアバスが振り返ると、そこには大きなイカが立ちはだかっていた。
「うわ!」
ディアバスが叫んだ時、雲の切れ間から太陽の光が差して、黄金のおしゃぶりを照らした。
ピカーーーン!!!
黄金のおしゃぶりが眩しく輝いた。
巨大イカは目が眩んだのか、動きを止めた。
「今だ!」
ディアバスが力任せに短剣を引くと、ついにイカの白い足が切れた。
切り離された白い足から力が抜けて、ペルラの腕からドサリと落ちた。
ディアバスは息を吐いた。
そのとき、急にペルラは両手で顔を覆った。
ディアバスが海を振り返ると、イカが墨を吐いて攻撃してくるところだった。
ディアバスは咄嗟にペルラに覆いかぶさった。




