3. 後編
バサルク王宮では、侍女たちが首を傾げていた。
「もう午後のお茶の時間ですけれど、ペルラ様は?」
「ディアバス殿下と水路へお出かけになったはずですが……」
「まだお戻りではないの?」
「遅いですわね」
王宮の船着場へ確認に向かう。
二人の小舟が戻っていない。
近衛も王宮内の水路を見て回ったが、小舟の姿がない。
◇
王太子執務室にて。
報告を受けた王太子オーニチェは、険しい顔で立ち上がった。
「二人がいない? いつ出た?」
「昼前です」
「供の者は?」
「お二人だけでした」
オーニチェは少し黙った後、ハッとして顔を上げた。
「待て。今日、すでに一件、行方不明事件が起きているな」
補佐官ピレイはオーニチェを見た。
「……セバスチャンですか」
「そうだ」
オーニチェの顔色が変わった。
「まさかこれは……」
「オーニチェ様?」
「同時多発誘拐事件なのでは……?」
執務室に沈黙が流れた。
「とにかく捜索範囲を広げましょう」
王宮内。水路。下流の集落。そして、古い港。
二人の舟は見つからなかった。
捜索は、ついに沿岸部へ広がった。
◇
その頃、砂浜では。
ディアバスが必死に切り落とした巨大なゲソは、焚き火の上で焼かれていた。
ディアバスがゲソを手際良く切り分けて、枝に刺してペルラに渡す。
キスの後、ディアバスの痺れは完全に消えていた。
「ありがとう。おいしい!」
ペルラは右手におにぎり、左手に焼いたゲソを持ち、交互に頬張った。
「色々あったけど、外で食べるご飯は格別ね!」
ペルラは笑顔でディアバスを見た。
「……まあ、そうだな……」
黒いディアバスは、複雑な表情でゲソをかじった。
◇
同じ頃。
バサルクの別の海岸で、近くの村の人々が騒いでいた。
「巨大イカがいるぞ!」
「白い!」
「王宮が探してるセバスチャンって奴じゃないのか?」
「王宮へ知らせろ!」
◇
ほどなくして、報告がピレイに届いた。
「白い巨大イカを発見しました!」
村の代表の男が言った。
ピレイが少しホッとした表情になる。
「おお、よくやった! まずはセバスチャンが見つかったか!」
村人の顔が曇る。
「それがちょっと変なイカで……足が九本なんです」
「九本?」
ピレイは聞き返した。
「セバスチャンの足は十本だ」
「足が一本足りないので、おかしいとは思ったのですが、やはり違いますか?」
「ああ。我々が探しているセバスチャンとは違う」
ピレイは厳しい顔に戻った。
報告に来た男が尋ねた。
「では、村で食べてもいいですか?」
「構わない。煮るなり焼くなり、好きにしろ」
「ありがとうございます!」
男は元気よく村へ帰っていった。
◇
しばらく後、砂浜にて。
ペルラとディアバスは食事の後、少し休憩していた。
ゲソは大きく、まだ半分以上残っていた。
「ディア、元気出して。きっと助けに来てくれるわ!
私たち、おなかもいっぱいだし、まだまだ大丈夫よ」
「……そうだな」
ディアバスはペルラに微笑んでみせた。
ペルラを無駄に不安にさせてはいけない。
兄オーニチェは必ず探してくれるだろう。そこは自分も疑っていない。
しかし、ここだと分かるまでに時間がかかるはずだ。
それまでの問題は、海の危険生物だ。
さっきの巨大イカは幸い撃退することができたが、次もペルラを守れるか?
もうすぐ日も暮れる。
暗くなったら、この海岸には何が出るのか?
とにかく焚き火は絶やさないようにしないと。
海岸にはあまり燃やせそうな物が見当たらないが、それでも枯れ枝をかき集めよう。
「ペルラ、枝を――」
ディアバスが言いかけた時、ペルラが黄金のおしゃぶりをディアバスの手に乗せた。
「ほら、これ、お守りで持ってていいから」
ペルラが真剣な目でディアバスを見上げた。
ピカーーーーン!
ディアバスの手のひらで、西日を受けて、黄金のおしゃぶりは再び明るく輝いた。
◇
その頃、海で複数の船がペルラとディアバスを捜索していた。
「暗くなってきたぞ! 急いで探せ!」
ピレイが声を張り上げた。
その時、砂浜でキラリと光る物があった。
「何だ、あれは? あの砂浜へ向かえ!」
船は砂浜へ方向を変えた。
◇
船が砂浜に乗り上げるように着けられた。
オーニチェとピレイが砂浜へ降り立つ。
「ディアバス!」
「兄上!」
オーニチェは弟の肩をつかんだ。
「何があった!」
「小舟で寝てたら流された」
「……」
「兄上、申し訳ない!」
「……」
オーニチェが目を閉じた。
そして、もう一度弟を見る。
「無事でよかった」
「……ああ。ありがとう」
ペルラのもとには侍女たちが駆け寄った。
張り詰めていた空気が、一気に緩む。
ピレイも少し離れた場所から、その様子を見ていた。
よかった。
二人とも、大きな怪我はない。
その時、砂浜の端に、白い物体があるのが見えた。
「これは……?」
ピレイが近づく。
焚き火の近く、大きな葉の上に、ぶつ切りにされたイカが積まれていた。
ディアバスが気づいた。
「ああ、それはイカのゲソです」
「……イカ?」
「巨大イカに襲われて、足がペルラに巻きついてきたから、切りました」
「…………」
ピレイの脳裏に、昼間の報告がよぎった。
白い巨大イカ。
足が九本。
「……なるほど」
そしてディアバス殿下が黒いのは、きっとイカの墨がかかったのであろう。
「せっかくだから、切った足は食べました」
「……なるほど、なるほど」
ピレイは微笑んだ。
――見なかったことにしろ、自分! 私は宮廷の魔物と呼ばれる男だ!
「自然保護のため、焚き火は消して、砂浜も元の状態に戻した方がよいでしょう」
ピレイは冷静に言うと、近衛を見た。
「近衛。消火せよ。そして、そこの食べ残しと共に、焚き火跡を砂の中へ埋めよ」
近衛たちが敬礼した。
「ハッ!」
近衛たちの手際良い働きにより、白い巨大イカの痕跡は、たちまち砂の中へ消えていった。
近衛たちが後始末をしている横で、オーニチェは改めて弟ディアバスに目をやった。
「それにしても、お前、ひどい姿だな」
「バサルクバケモノオオイカの墨を浴びました」
「痺れたか?」
「はい。でもペルラのキ……いえ、対処で助かりました」
「対処?」
オーニチェはディアバスに怪訝な目を向けた。
「痺れの作用は約十分で自然に消えるぞ」
「…………」
ディアバスとペルラは顔を見合わせた。
ピレイが笑顔で口を開く。
「まあ、いろいろな言い伝えがありますからね。
お二人が仲良しで何よりです」
「…………」
ピレイは続けた。
「しかし、水路の小舟で二人仲良く昼寝するのは今後慎んでいただきたい」
「すみません……」
ディアバスとペルラは小さくなった。
◇
とあるバサルク貴族の屋敷。
貴族男は、海を望むテラスに座っていた。
手には酒の入ったグラスがある。
日没後の暗い海。水平線のあたりにだけ、細く赤い光が残っていた。
「セバスチャン……」
男はグラスを傾けた。
「……結局、見つからなかったな……」
瞬き始めた星を見上げる。
「お前は、うちの狭いプールから出て、広い海で今ごろ楽しく、のびのびと暮らしているんだろう?」
空も海も静かだった。
「世界中を旅しているのか?」
男は少しだけ寂しそうに笑った。
「たまには、ワシのことを思い出してくれよ」
そのすぐそばでは、妻が赤ちゃんを抱いていた。
「ベビちゃん、お気に入りのおしゃぶり、見つかってよかったわね〜」
ご機嫌な赤ちゃんの口には、黄金のおしゃぶり。
小さなイカの図柄が、テーブルの燭台の光に温かく照らされていた。
「ディアバス様とペルラ様が拾ってくださったんですって」
妻はにこにこと笑った。
「お優しいわね〜」
貴族男は再び夜空を見上げた。
その時、スーッと星が流れた。
男は静かにグラスを傾けた。




