第9話:座敷童子のお引越し
奏太がいる。
レジ横のパイプ椅子に座って、足をぶらぶらさせている。パーカーのフードを被って、天音のスマホを覗き込んでいる。まるで前からここにいたみたいな顔で。
「……お前、昨日律と一緒に出てったよな?」
「うん。途中まで一緒に歩いた。んで、戻ってきちゃった」
「戻ってきちゃった」
「居心地いいんだも〜ん、ここ」
霊に帰る場所とかあるのかどうか知らないけど、奏太は完全にドン・ゾコを自分の部屋みたいに使い始めていた。天音も別に追い出す気はないらしく、二人でスマホの画面を見ながら「これかわいい」「それは違う」とか言い合っている。
「新人、レイアウト変更だ」
鬼怒川店長が、いつも通りレジの奥から声を飛ばす。
「え?あ、はい」
レイアウト変更する必要が、どこにあるんだ? 午前二時。蛍光灯がチカチカ。境界が開く。
自動ドアが開いた。
誰も入ってこない。
——と思ったら、床から三十センチくらいの高さに、何かがいた。
赤い着物のおかっぱ頭。五歳くらいの子供に見える。ただし、足元がうっすら透けていて、体の輪郭がぼんやりと光っている。両手で風呂敷包みを抱えて、ちょこちょこと小走りで入ってきた。
「いらっしゃいませ……?」
子供の霊は俺を見上げて、こてんと首を傾げた。
「おにいちゃん、ここ、おうち売ってる?」
「え、お家?」
「おうちがなくなるの。だから、新しいおうちがほしい」
風呂敷をぎゅっと抱きしめている。中身が気になるが、それより「おうち」だ。
「天音、この子——」
「座敷童子だね」
天音がモップを止めて、しゃがんだ。子供の目線に合わせる。座敷童子の真っ黒な髪と天音の金髪の対比が目に刺さる。
「どこから来たの?」
「なんかとおく! おやど、こわすって。おじちゃんたちが来て、ここはもうだめだって」
取り壊しが決まった旅館かなにかか? 座敷童子は家や建物に棲みつく霊だ。棲む場所がなくなれば、行き場を失ってしまう。
「それで、新しいおうちを探しにきたの?」
天音が聞くと、座敷童子はこくこくと頷いた。
「座敷童子がいるおうちは幸せになるって聞いたことあるよ。お宿にいた時も?」
「うん。おきゃくさん、いっぱいきてた。でもさいきんは少なくなって、おじちゃんたち、いつも難しい顔してた」
旅館の経営難か。座敷童子がいても、時代の波には勝てなかったんだろう。
「……つまり、この子に物件を紹介しろと?」
俺が鬼怒川店長を見ると、店長は腕を組んだまま鼻を鳴らした。
「客の要望に応えるのが仕事だ」
「不動産屋じゃないんですけど!」
とは言ったものの、客の要望は絶対だ。俺はバックヤードから古いノートパソコンを引っ張り出した。この店、Wi-Fi飛んでるんだ。パスワードは「yomotsu2ji」。セキュリティ意識がゆるすぎる。
「えーと、ご希望の条件は?」
「おへやがたくさんあるところ! あと、おにわがあるの!」
「ご予算は」
「……おかね?」
「あ、いや、霊だからお金の概念は——」
天音が後ろから覗き込む。
「賃貸じゃなくていいんじゃない。棲みつく場所を探すだけだから」
俺は不動産サイトを開いた。深夜二時に霊のために物件検索。就活の面接で「アルバイトは何をされていましたか?」と聞かれても、絶対にうまく答えられない自信がある。
「ここは? 庭付き一戸建て。築六十年、和室六畳が三部屋」
「ふるい! おやどよりふるい!」
「座敷童子が古さに文句言うのか……じゃあこれ。新築マンション、3LDK」
「まんしょんって何?」
「高い建物の中にお部屋がたくさんある——」
「やだ! おにわがない!」
奏太がパイプ椅子から身を乗り出してきた。
「えー、かわいい! なにこの子!」
「座敷童子。家探し中」
「俺も手伝う! ねーねー、ペットは飼いたい?」
「奏太、条件増やすな」
三十分かけて十件以上の物件を見せたが、全部却下された。和室がない、庭が狭い、駅から遠い(霊に駅は関係ないだろ)、なんか雰囲気が暗い。座敷童子の目利きは意外に厳しい。
「もう……どこならいいの?」
座敷童子が風呂敷包みをぎゅっと抱えて、目を潤ませた。
「……おやどがよかった。でも、おやど、もうないの」
そりゃそうだ。本当に欲しいのは「新しい家」じゃない。「帰る場所」だ。天音がしゃがんだまま、座敷童子の頭にそっと手を置いた。
天音がしゃがんだまま、座敷童子の頭にそっと手を置いた。
「ここにいたら?」
天音の言葉に、座敷童子が顔を上げる。
「ここ?」
「おうちじゃないけど、お部屋はいっぱいあるよ。バックヤードとか、倉庫とか。お庭はないけど、棚の上とか高いとこいっぱいあるし」
座敷童子がきょろきょろと店内を見回した。天井まで積み上がった商品の山。極彩色の看板。ジャングルみたいな棚の迷路。
「……ここ、おみせだよ?」
「そう。おみせ。でも座敷童子がいたら、きっとお客さんいっぱい来るよ」
俺は思わず天音を見た。天音が珍しくにこっと笑っている。
「店長、いいですか? この子、うちで預かるの」
鬼怒川店長は腕を組んだまま、座敷童子を見下ろした。見上げる座敷童子との身長差がすごい。リーゼントの先端まで含めたら百五十センチ以上の差がある。
「……名前は?」
「ざしき」
「そのまんまだな。——いいだろう。ただし、商品を壊すな。棚から落ちるな。閉店後は大人しくしてろ」
座敷童子が——ざしきが、ぱあっと笑った。
「やった! おにいちゃん、おねえちゃん、こわいおじちゃん、ありがとう!」
「こわいおじちゃん言うな」
鬼怒川店長がぼそっと返したが、口元が微妙に緩んでいるのを俺は見逃さなかった。
ざしきが天音に抱きついた。天音が「わっ」と小さく声を上げて、ざしきの体を受け止めた。天音が笑っている。花子さんの時も、人面犬の時もそうだった。子供っぽい霊に懐かれると、天音は年相応の顔になる。
——ふと、天音の左腕に目がいく。
ざしきを抱きしめている腕。袖がめくれて、二の腕の内側が見えている。そこに、薄い紋様がうっすらと浮かんでいた。蛍光灯の白々しい光に溶け込んでしまいそうなほど淡く、青白い紋様だった。俺の目線を感じてか、天音がさっと袖を引いた。
「ざしき、重いから降りて」
天音の声のトーンが一段下がった。それ以上、聞ける空気じゃなかった。
◇ ◇ ◇
ざしきは風呂敷包みの中身を見せてくれた。古い手鞠と、色褪せたお守りと、旅館の写真が入っていた。どれも宝物らしい。棚の一番上のスペースを「ざしきの部屋」として、風呂敷を広げて写真を飾った。
「ここがざしきのおへや!」
「棚の上だけどな」
「たかいところ、すき!」
奏太がざしきに手を振って「おやすみ!」と言い、ざしきが「おやすみ!」と返す。パイプ椅子のお兄さんと、棚の上の子供。なんだこの絵面。どっちも霊だし。
午前四時。閉店が近い。
自動ドアが開いて空気が変わる。冷えるとかじゃない。逆だ。妙に穏やかになった。ファミレスの深夜帯みたいな、ぬるい静けさ。
黒いコートの男だった。
あの男。数日前に閉店間際に缶コーヒーを買って「いい店ですね」と言って消えた、あの男だ。今夜は缶コーヒーを手に取らなかった。入口を入ってすぐのところで立ち止まり、店内をゆっくりと見回している。
「……にぎやかになりましたね」
穏やかな声だった。嫌味はない。でも、なんだろう。この人がいると、店の空気が「整う」感じがする。乱雑な棚も、チカチカする蛍光灯も、全部含めて一枚の絵に収まるような。
「いらっしゃいませ。缶コーヒーですか?」
俺が聞くと、男は薄く笑った。
「今日は買い物じゃないんです。ちょっと、様子を見に」
「様子?」
「境界の調子を。最近、少し不安定でしょう?」
鬼怒川店長が、レジの奥で身じろぎした。腕を組む力が強まるのが分かる。
「……何者だ」
「案内人ですよ。境界の」
男が微笑む。鬼怒川店長の目が、わずかに細くなった。
「境界が薄くなってきている。あなたも気づいてるでしょう? 店長さん」
「……代理だ」
「ああ、失礼。代理店長さん」
男は入口のそばに立ったまま、奥には進まない。
「しばらくは大丈夫です。でも、気をつけてください。開きすぎると、閉じるのが大変になる」
それだけ言って、自動ドアに向かった。振り返り際に、棚の上のざしきに目を留めた。
「いい子が増えましたね」
ざしきがきょとんとした顔で手を振った。男もふわりと手を振り返して、夜の中へ消えた。
「店長、今の人——」
「知らねぇ」
嘘だ。あの時と同じ反応。鬼怒川店長は嘘が下手だ。でも、今は追及しても無駄だと分かっている。
店長が話す気になるまで、待つしかない。
天音が腕を組んで、入口を見ながら口を開いた。
「あの人、前にも来たよね。缶コーヒー買って行った」
「うん。『案内人』って言ってた」
「案内人ね。……なんだろ、でも、嫌な感じはしなかったけど」
「俺もそう思った」
鬼怒川店長だけが、黙ったまま入口を睨んでいた。
蛍の光が流れ始める。午前五時。
棚の上では、ざしきが風呂敷に包まった手鞠を抱いて、すやすやと寝息を立てていた。座敷童子が寝るのかどうかは知らないが、少なくとも安心した顔をしている。
帰る場所は、おうちじゃなくてもいい。棚の上でもいい。そこに誰かがいれば。
——なんて、POPにするにはちょっと説教くさいか。やめとこう。
時計は午前五時。ドン・ゾコの新しい居候の、最初の夜が終わる。




