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第6話:トイレの花子さん、三人の放課後


 午前二時。蛍光灯がチカチカし、境界が開く。働き始めて1週間ともなると、この合図にもだいぶ慣れてきた。


 自動ドアが開く。


 ……? 誰も入ってこないな。


「いらっしゃいませ……?」


 俺はレジから身を乗り出して入口を見る。誰もいない。風もない。だが、ドアはさっき、確かに開いた。


「新人クン。トイレ」


 天音あまねがモップの先で店の奥を指す。ドン・ゾコの奥まった場所に申し訳程度に設置されたトイレ。そのドアが、カタカタと揺れていた。


「……トイレにいるってこと?」

「たぶんね」


 どういうことなのか理解できないが、俺はトイレの前まで歩いていき、ノックした。


「あのぉ……お客様? いらっしゃいますか?」


 沈黙。それから、中から小さな声が聞こえた。


「……あの、三番目の個室、ノックしてもらえますか?」


 三番目の個室。ドン・ゾコのトイレは個室が三つある。なんで三つもあるんだよ。客、一晩に数人しか来ないし、店員だって三人しかいないのに。


 恐る恐る三番目の個室の前に立ち、コンコンコン、とノックした。


「……はなこさん、はなこさん、いらっしゃいますか?」


 ……あれ。なんで俺、そんなこと言ったんだ? 条件反射か。小学生のとき何度もやった「あの遊び」が、体に染みついていたらしい。


 ガチャ。


 個室のドアが開いた。中から現れたのは、おかっぱ頭の女の子だった。赤いスカートに、白いブラウス。年齢は十歳くらいに見える。


「……呼んだ?」


 すごい。トイレの花子さんだ。本物の。ちょっと感動する。


「い、いらっしゃいませ……」

「うん。あのね、あと二人いる」


 二人?


 一番目の個室がガチャッと開いた。


「おっす! やっと呼んでくれたやん!」


 現れたのは、関西弁の花子さんだった。おかっぱは同じだが、赤いスカートの代わりにヒョウ柄のスカートを履いている。元気がいい。声がでかい。


 二番目の個室がギィッと開いた。


「……やっほ〜」


 次に現れたのは、ギャルの花子さんだった。おかっぱの毛先だけ巻いていて、スカートは赤だが丈が異常に短い。目元にキラキラしたシールが貼ってある。霊なのにおしゃれだ。


 そして最初に出てきた三番目の花子さんは、分厚い文庫本を胸に抱えている。文学少女タイプ。メガネをかけていて、声が小さい。


 花子さんが、三人いる。


「……えーっと」


 俺は三人を見比べた。全員おかっぱ。全員小学生くらいの見た目。だが性格はバラバラ。関西弁、ギャル、文学少女。何がどうなってこうなったんだ。


「新人、案内しろ。客だ」


 鬼怒川きぬがわ店長が、レジの奥から声をかけた。


「は、はい! お客様、どうぞ店内へ……」


 三人の花子さんがトイレからぞろぞろと出てきて、店内を見回した。


「うわ、めっちゃモノ多い! なにここ! すごい!」


 関西弁花子さんがテンション高く叫ぶ。


「やば〜、てかウケる〜、ここにこんな店あるとか聞いてない〜」


 ギャル花子さんがスマホを取り出して自撮りを始めた。幽霊なのにスマホ持ってるのか。しかもちゃんと映ってるのか。


「……品揃えが独特ですね。『賞味期限切れの乾パン』って……」


 文学少女花子さんが棚の商品を一つずつ真剣に読んでいる。


 カオスだ。


「あの、お客様たち、何をお探しですか?」


 俺が聞くと、三人は顔を見合わせた。それから、関西弁花子さんが代表して口を開いた。


「あんな、うちら、友達がほしいねん」

「友達?」

「そう。うちら、全国の『トイレの花子さん』やねん。埼玉の花子、大阪の花子、東京の花子。でもな、会ったことなかってん」


 ギャル花子さんが補足する。


「ずっとトイレにいるからさ〜。一人で。誰かがノックしてくれるのを待つだけ〜。でも最近、ノックしてくれる子も減ったし〜」

「……怖がられるだけで、話しかけてくれる人は、いませんでした」


 文学少女花子さんが、文庫本を胸にぎゅっと抱きしめた。


 三人の花子さん。全国各地のトイレに一人ずつ配置され、何十年も孤独に過ごしてきたのだろう。怖がられることはあっても、友達になってくれる人はいなかった。SNSの時代になって、子供たちの『トイレの花子さん』遊びも減ったのだ。ノックの音すら聞こえなくなった。


 寂しかったんだ。ずっと。


「それで、噂を聞いてここに来たってわけ?」


 俺が訊ねると、関西弁花子さんの顔が明るくなった。


「そうそう! あの世のネットワークすごいで! 『黄泉比良坂にめっちゃ品揃えええ店がある』って」

「まあ……間違ってはないけど……」


 俺は三人を店内に案内した。何を売ればいいのか、正直見当がつかない。友達が欲しい。それは商品で解決できる問題なのか。


 天音が、いつの間にか俺の隣にいた。


「新人クン、あの三人、何が必要だと思う?」

「……友達。でもそれは売り物じゃないし」


 この店は何でも売っている。呪いの藁人形も、骨伝導スピーカーも、カラコンも、犬用ボイスチェンジャーも。でも、「友達」は棚に並んでいない。いくら圧縮陳列が凄くても、人間関係はパッケージにできない。 


 店長に助けを求めようと振り返る。だが鬼怒川店長はレジの奥で腕を組んだまま、いつもの「自分で考えろ」の顔をしていた。


「うん。でもさ、友達って、一緒に何かをした思い出があればできるんじゃない?」


 天音が言った。


 一緒に何かをした思い出。


 俺の頭の中で、サブカル知識が回転し始めた。小学生の女の子。友達。一緒にやること。


「……シール、だ」

「シール?」

「シール帳。小学生の女の子が友達と交換するやつ。今流行りの。ぷっくりシールを集めて、貼って、見せ合って、交換して。あれが今も昔も、友情の証なんじゃないかな」


 俺は文具コーナーに走った。F棚の上の段。あった。『ぷっくりシールセット』。ちょっと膨らんだ立体感のあるシールが子供心をくすぐる。指で押すとぷにっと沈む、この触り心地がたまらない。なんでこんなものまであるんだよこの店。いや、もう驚かないぞ。


 俺はシール帳三セットを手に取り、花子さんに一冊ずつ渡した。


「はい、これ。三人で、シール交換してください」

「……シール?」


 関西弁花子さんがキョトンとした顔をする。ギャル花子さんが箱を開けた。


「うわ〜、ぷっくりしてる〜! かわい〜! 触ったらぷにぷにする〜!」

「……これは、樹脂コーティングの立体加工ですね。光の屈折が美しい」


 文学少女花子さんが、シールを光に透かして観察している。


「交換って、どうやるん?」


 関西弁花子さんが聞いた。そうか、この子たちは友達がいたことがないから、交換の仕方を知らないのか。


「えーと、こうやって……自分の好きなシールを相手のシール帳に貼ってあげるんです。で、相手も自分のに貼ってくれる。そうすると、お互いのページに、相手が選んでくれたシールが残る」


 三人は、おそるおそるシールを選び始めた。


 関西弁花子さんは迷わず一番派手なぷっくりシールを選び、ギャル花子さんのページにバーンと貼った。


「はい! これあげるわ! 一番ええやつ!」

「え〜、マジ〜? やば〜、うれし〜」


 ギャル花子さんはハートのシールを選んで、文学少女花子さんのページにそっと貼った。


「はい、これ。似合うと思って」

「……ありがとう、ございます」


 文学少女花子さんは小さな星のシールを選んで、関西弁花子さんのページに丁寧に貼った。


「これ、小さいけど……一番きれいだと思ったので」

「めっちゃええやん! うち、星好きやねん!」


 三人がきゃあきゃあ言いながらシールを交換しているのを、天音が少し離れた場所から見ていた。モップの柄に顎を乗せて、いつものポーズ。でも、目がいつもと違う気がした。


「……天音、どうした?」

「べつに。……放課後って、ああいう感じなんだ」

「え?」

「シール交換とか、やったことないから。知らなかった」  


さらっと言ったその一言が、妙に胸に刺さった。天音も、花子さんたちと同じだったのかもしれない。友達とキラキラしたものを見せ合うような放課後を、知らないまま大人になった。


「……天音も、やる? シール余ってるけど」

「いい。私はいい。……見てるだけで十分」  


 そう言いながらも、天音の視線は三人の手元から離れなかった。


店内が、ただの小学生の放課後みたいだ。怖い都市伝説でも、孤独な幽霊でもない。友達とシール交換をして喜んでいる、普通の女の子たち。


「……POP、いる?」


 天音が小声で聞いた。俺は少し考えて、首を振った。


「いらない、かも。でも……シール帳の最後のページに、何か貼っておきたい」


 蛍光の付箋を取り出して、マジックペンのキャップを外す。関西弁花子さんには、すぐ書けた。


 『友達100人できなくても、2人おったら最強。』


 ギャル花子さんにも、書けた。


『映えるのはシールじゃなくて、隣にいる子の笑顔。』


 三枚目。文学少女花子さん。


 ——手が、止まった。


 読書家の子に、何を書く? サブカル知識なら自信がある。でも、この子が好きな本は何だ。響く言葉って何だ。俺が「いい」と思ったフレーズを書いたところで、それは俺の言葉であって、この子への言葉じゃない。


「……書けないの?」


 天音が、隣からそっと覗き込んだ。


「うん……二人には書けたのに。この子に何を書けばいいか、わかんない」

「ふぅん。じゃあ聞けば?」

「え?」

「本人に。何が好きか」


 ……そうか。そういうことか。


「あの、えっと、花子さん。——埼玉の」


 文学少女花子さんがメガネを押し上げて、こちらを見た。


「……はい」

「その本、何の本ですか?」


 花子さんは、胸に抱えた文庫本をそっと見せてくれた。


「……太宰治の『人間失格』です。トイレにいる間、ずっとこれを読んでいました」

「ずっとって……何回読んだんですか」

「……二百十四回」


 二百十四回。何十年もの孤独を、この一冊と過ごしてきたのか。


 ペンが動いた。今度は止まらなかった。


『このシール帳が、あなたの最初の物語。続きは、三人で書いて。』


「……ぐすっ」


 文学少女花子さんが最初に泣いた。


「ちょ、なんで泣いてんの〜、もらい泣きするじゃん〜」


 ギャル花子さんも目をこすっている。


「泣くなや! うちまで泣いてまうやろ!」


 関西弁花子さんが一番ボロ泣きしていた。


 三人の体が、同時に光り始める。


「え、待って。成仏するの? もうちょっと、遊びたかった……」


 関西弁花子さんが名残惜しそうに店内を見回した。


「……また来れるかな、ここ」


 文学少女花子さんが俺を見た。


「……来れるかもしれませんね。口裂け女のお姉さんも来てるし」

「まじ〜? じゃあまた来る〜」


 ギャル花子さんがピースサインを作った。光に包まれながら。


 三つの光が弾けて、花子さんたちは消えた。


 あとには、キラキラのシールが数枚、床にこぼれ落ちていた。光を反射して、蛍光灯の下でちかちかと輝いている。


「……成仏、したのかな。それとも、残ったのかな」


 俺が呟くと、鬼怒川店長がレジの奥で腕を組んだまま答えた。


「どっちでもいい。あいつらの未練は消えた。友達ができたからな」


 天音が床に落ちたシールを一枚拾い上げた。星の形のキラキラシール。


「……これ、もらっていい?」


 天音が誰に聞いたのか分からなかった。俺にか、店長にか、それとも、もういない花子さんたちにか。


「いいんじゃない。記念品ってことで」


 天音はシールを自分のシール帳——じゃなくて、スマホケースの裏にぺたりと貼った。キラキラの星が、黒いスマホケースの上で光っている。


「……へへ」


 それは、天音の最初のシール交換だったのかもしれない。相手はもういないけど。天音は、人面犬の時とはまた違う、ちょっと照れたような笑顔を見せた。


 時計は午前三時。今夜は、いつもより店が明るい気がした。床に散らばったシールのせいかもしれない。

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