第2話:口裂け女は二度死なない
「これ、どこに戻せばいいんですか?」
俺は拾い上げた『訳あり・事故物件の鍵セット』を掲げた。
「そこの雑貨棚の左から三番目。そこの『藁人形』おっことさないように気をつけて」
天音さんは慣れた手つきでモップを動かしながら答える。ちょっと冷たい気もするけど、的確に指摘してくれる。
「あの、さっきの……成仏?したんですかね……? ライダー……」
「したよ。光に包まれて消えたでしょ」
天音さんは少し傷んだ金髪の毛先をいじりながら、あっけらかんと答えた。彼女もどちらかといえば、異界側の人間に見える。
「で、でも、急に現れて、商品買って、消えて……なんか、実感が……」
「そのうち慣れるよ。初日はそんなもん」
天音さんは床の掃除を終えると、モップを壁に立てかけた。
「深夜二時から五時まで。あと二時間半は続くから、気合い入れてね」
二時間半。まだあと二時間半も、あんなのが来るのか。
そう思った瞬間、店内の空気が変わった。ひんやりとした冷気が足元から這い上がると、日用品売り場の姿見鏡が、まるで水面のように波打っている。
「……ねぇ、私、キレイ……?」
どこからやってきたのかわからない女の声が背中から聞こえ、心臓が跳ね上がる。振り返ると、教科書に載っていそうなほど古典的な、都市伝説そのものが、そこに立っていた。知っている。「口裂け女」だ。
「い、いらっしゃいませぇ……」
「おぅ、そうだ、お客様には“いらっしゃいませ”モノ覚えがはやいじゃねーか」
鬼怒川店長はレジカウンターで腕を組み、まるでヒトゴトのようにこちらを見ている。天音さんも棚の整理をしていて完全スルーだ。
口裂け女がゆっくりとこちらに歩いてくる。だが、その足取りも声も、「恐怖」を感じさせる迫力がない。なんだろう、普通のお姉さんだ。俺の目の前で止まった彼女は、ゆっくりとマスクを外す。昔読んだマンガの“怖がらせるためのページ”そのままの、口が耳まで裂けた顔がそこにはあった。
「ねぇ……私、キレイぃ?」
「え、あっ、はい、キレイだと思います!」
実際、口がちょっと裂けているだけで結構な美人だと思う。正直、流行りの地雷系メイク女子のほうがよっぽど怖いんじゃないだろうか。
「……そう、ありがとう」
目の前の彼女は、俺の言葉を聞いて、肩をおとし、フラフラと店内を歩き回り始めた。メイク用品、ファッション雑貨……目的のものがあるわけではなさそうに見える。
「新人、どうだ?」
不敵な笑みを浮かべた店長はまた俺を試すように問いかけた。
「あたらしいマスク、でも欲しいんですかね?なんか、色がついてるやつとか。あ、リップとか?塗る範囲広そうですし……」
あーでもないこーでもないと考える俺をよそに、彼女は、メイクコーナーの小さな鏡を見つめ、またため息をつくと、ポケットの中からスマホを出し、何かを見ていた。
「ねぇ……私、キレイ?」
近くを掃除している天音さんが通りかかったので、問いかけている。天音は無表情のまま答えた。
「キレイだよ。すごくキレイ、肌もキレイだし、うらやましい」
「……なんで」
口裂け女の声が、わずかに震えた。
「なんで、なんで?……なんで誰も怖がらないの?!誰も逃げないの!昔は……昔はあんなに怖がってくれたのに……!」
その言葉に、俺の中で何かが繋がりはじめた。俺の知識が動き出す。口裂け女は、昭和50年代に大流行した。当時は口コミとマスコミだけで広がった。でも今は……SNSの時代だ。彼女が握りしめているスマホには、Xの画面が光っている。
「……もしかして」
彼女が求めているのは、過去の栄光の再現。いや、違う。新しい形での「バズり」だ。
「……怖がられたいんだ」
「ほぉう?」
店長が眉を上げる。
「口裂け女として、もう一度怖がられたい。認められたい。都市伝説として復活……いや、トレンドになりたいんだ」
誰もが知っているからこそ、もう怖がられることのない存在。きっと、驚かしても歩きスマホでイヤホンを耳にいれたままのやつとかもいたんじゃないだろうか。
「……くくっ、悪くねぇ読みだ」
鬼怒川店長がニヤリと笑う。
「あの、でも、トレンドになりたいって、成仏とは真逆な気がするんですけど、どういうことなんでしょうか?」
「よくそれに気づいたなァ。見込みがあるやつには教えてやる。……全員が『あの世』を望んでるわけじゃねぇんだ。中には、消えたくない奴もいる」
「成仏……だけじゃない?」
「俺たちの仕事は『未練を解消すること』だ。それが成仏だろうが、現世に残ることだろうが、関係ねぇ」
店長は再び黄色の蛍光紙とマジックペンを取り出した。キュキュキュッ、という音が店内に響く。迷いなく書かれていく文字は、まるで呪文のようだ。
「おい新人。カラコンとサングラスを持ってこい!」
「カ、カラコン? サングラス?」
「さっさと動け」
俺は慌てて走った。美容雑貨コーナーのD棚。一番上の段には、様々な色のカラコンが並んでいる。その中でも、ひときわ異様な雰囲気を放つパッケージがあった。
『まさかの直径20mm、これをつければ眼球真っ黒!』
狭い棚の間をすり抜けるように急いで戻り、鬼怒川店長が書いたPOPを商品に貼り付ける。
『昭和の恐怖は進化する。"マスク外し"はもう古い! これからは"サングラス外し"だ。二段階恐怖で、令和も震え上がれ』
「お、お客様! こちらの商品はいかがでしょうか!」
「……二段階、恐怖……?」
POPの言葉は、口裂け女の心を射抜いたようだった。ゆっくりと手を伸ばし、カラコンとサングラスを受け取ると、箱を開けて鏡の前でカラコンを装着する。
サングラスをかけてこちらを向く。そしてゆっくりとサングラスを外すと、異様な目が露わになった。
「……ひぃっ!」
思わず俺は息を呑んだ。怖い。本能的に、逃げ出したくなるほど怖い。
「なるほどね……」
彼女の声が、少しだけ明るくなった。
「マスクを外して『口裂け女だ』と気づかせて……そこからサングラスを外して、本気の恐怖。二度楽しめる……!」
口裂け女は何度も鏡でサングラスのオンオフを繰り返し、その効果を確認している。真っ黒な目が、黒豆のようにつややかだった。
「これなら……また怖がってもらえる。またテレビのネタになれる……」
彼女はポケットから古びた1万円札を取り出し、俺の手に握らせた。
――ピッ。
レジを通す電子音が響く。だが、彼女の体は光の粒子にならなかった。成仏しない、もちろん、彼女は消えない。
「君、お名前は?」
「えっ、あ、あっ、そ、相馬、廻、です」
「めぐるくん、ありがとう。また来るね。今度はもっといいの、探しに」
そう言い残すと、彼女は夜の街へと消えていった。光に包まれることなく、ただの人間のように。俺は呆然と、彼女が去った方向を見つめていた。
「……成仏だけが、救いじゃないんだ……」
俺の呟きに、天音さんがクスリと笑う。
「そういうこと。へぇ、気づくの早いじゃん、新人クン」
鬼怒川店長も腕を組んだまま、小さく頷く。
「いいか新人。この店に来る奴らは、みんな『何か』を探してる。それが『天国』なのか『再出発』なのかは、本人次第だ。俺たちはただ、その背中を押すだけだ」
俺も、何かを探しにここに辿り着いたのだろうか。まだ温かい気がするくちゃくちゃの一万円札を握りしめた。
店内にどこか不気味な「蛍の光」のメロディーが流れ始める。時計は午前五時を指していた。黄泉比良坂と現世の境界が、もうすぐ閉じようとしている。




