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第14話:その夜の客を、俺はニュースで見た

 天音あまねの話を聞いた夜から、四日が経った。


 何が変わったかというと、何も変わっていない。天音は相変わらず金髪で色白だし、俺にはいまだに「新人クン」だし、鬼怒川きぬがわ店長は仏頂面でレジに立っている。奏太はパイプ椅子でだらけているし、ざしきは棚の上で丸まっている。


 変わったことがあるとすれば、俺がPOPに絵を描くようになったことくらいだ。


 天音に「湯気のところ好きだった」と言われてから、新しいPOPを書くたびに横に小さな絵を添えるようにしている。懐中電灯のPOPには暗闇で光る猫の目を描き、お香のPOPには煙がくるくる巻いている絵を描いた。字は相変わらずダサいけれど。小学生の頃から絵ばかり描いていたせいかもしれない。


「新人クン、また絵に全振りしてる」

「字は才能がないんだって。もう諦めた」

「諦め早すぎない?」

「絵を褒めたのは天音でしょ」

「……褒めてないし。マシって言っただけ」


 鬼怒川店長がレジ奥から一言。


「POPはフォントが命だ、練習しろ」

「お、お手本見せてください!」


 店長のPOP字はめちゃくちゃうまい。ヤンキーの書くそれではない。まるで書道の先生の時もあれば、有名ディスカウントストアのような丸っこい字もかける。勢いがあるのに読みやすくて、「半額」の二文字だけで客の足を止める力がある。


 優しい店長は、俺を突き放すことはせず、俺の書いた絵に合うように文字を書いてくれた。


 店長が字を入れる前に俺の絵を見て、レイアウトを一発で決めていく手つきが、異常に慣れている。昔もこうやって誰かとPOPを作っていたのだろうか。聞きたかったけど、まだ聞けなかった。


     ◇ ◇ ◇


 異変に気づいたのは、天音だった。


「——蛍光灯、今日おかしくない?」


 午前二時五分。開店直後。いつもなら境界が開くときにチカチカと明滅して、そのあとは安定する。今日はそれが収まらない。チカ、チカチカ。チカ。不規則に点いたり消えたりを繰り返している。


「前からたまにあるでしょ」

「頻度が違う。前は一晩に一、二回。今日はもう——」


 チカ。


「——十四回目」


 天音が数えていたことに驚くべきか、十四回も明滅していたことに驚くべきか。鬼怒川店長は何も言わず、蛍光灯を一瞬だけ見上げて、すぐにレジに目を戻した。


「……問題ねぇ」


 問題ねぇ、が店長の口癖になりつつあった。


 自動ドアが開く。最初の客は常連の犬の霊だった。ペットフードの棚の前で尻尾を振って、何も買わずに帰っていく。いつもの光景だ。次に来たのは、中年の女性だった。御守りを一つ買って「息子に届くかしら」と寂しそうに笑った。天音が「届きますよ」と返した。これもいつもの光景。


 三人目が、おかしかった。


 自動ドアが開いた瞬間、空気が変わった。温度が下がったのではない。温度はそのままで、空気の「質」が変わった。重い。湿った布を顔に押しつけられたような、呼吸が詰まる感覚だ。


 入ってきたのは、スーツ姿の男だった。


 四十代半ばくらい。仕事帰りのサラリーマン、に見える。ネクタイが曲がっていて、革靴の踵がすり減っている。普通の人間にしか見えない——ただし、右の脇腹に包丁が刺さっていることを除けば。


 包丁が、刺さったまま、歩いている。


「いらっしゃい——」


 声が途切れた。俺の喉が勝手に閉じた。包丁の柄が、男が歩くたびにわずかに揺れる。刺さった部分から血は出ていない。代わりに、黒い霧のようなものがじわじわと滲んでいる。


 怨念おんねん。という言葉が、頭に浮かんだ。


 男が店内を見回した。目に光がない。何を探しているのかもわからない、という顔。迷子の顔だ。ただし、迷子が持つような柔らかさはない。男は何かが壊れた後の、空洞のような目をしている。


「お客、様……?」


 俺がもう一度声をかけた。男がこちらを見た。口が動く。


「——ここは、どこですか?」


 声に感情がなかった。


「ドン・ゾコです。あの、お探しのものは——」


「知らない。知らない店だ。なんで俺はここにいるんだ。俺は帰っている途中で——」


 男の目が、自分の脇腹に落ちる。刺さっている包丁を見た。


「——ああ。そうだ。刺されたんだ」


 抑揚のない声。まるで天気予報を読み上げるように。


「清水駅で、電車を待っていたら、知らない人間に」


 清水駅で、刺された? 一昨日ぐらいだろうか、テレビの緊急ニュースで「清水駅で40代ぐらいの男性刺される。容疑者は現行犯逮捕。駅のホームで帰宅ラッシュ時に起きた悲劇」とどこのテレビ局でも流れていた。40代、清水駅、ホーム……全部一致する。こんなことがあるのか。


 男は棚を二周して、何も手に取らずに自動ドアの前まで戻っていった。


「……家に、帰れないんです。家が、わからない。」


 男がドアの向こう——境界の先を見ている。


「帰る場所は、もうねぇんだ……」


 鬼怒川店長が言った。店長の声は、いつもよりずっと低かった。


「お前は……死んでいる。ここは、現世とあの世の境目にある店だ」


 男の目が、初めて焦点を結んだ。


「——死んで? 俺が?」

「ああ」

「でも、明日の朝の会議が——」

「ない」

「妻に連絡を——」

「届かねぇ」


 男が膝から崩れる。膝から下は見えないが、絶望している様子だけは怖いほど伝わる。それから、泣いていた。包丁を脇腹に刺したまま。


 俺は何もできなかった。POPも描けない。声もかけられない。こういう客には——言葉がない。


 鬼怒川店長だけが、黙って男のそばに立ち続けていた。


     ◇ ◇ ◇


 男が泣き止む前に、四人目が来た。


 若い女。二十代前半。パーカーにジーンズ。首に——手の痕。絞められた痕が、青黒くくっきりと残っていた。女は男と違って、泣いてはいなかった。代わりに、怒っていた。


「殺してやる」


 入店の第一声がそれだった。


「殺してやる殺してやる殺してやるあいつを殺してやる——」


 声は小さい。でも蛍光灯がその声に呼応するようにバチバチと明滅した。棚に並んだ商品がカタカタと震える。


「天音、下がれ」


 鬼怒川店長が天音の前に立った。


「お客様。買い物する気がないなら——」

「うるさい」


 女の体から黒い霧が膨張した。さっきの男から滲んでいたのと同じものだ。だがこちらは桁が違う。怒りで煮詰まった、どろどろの怨念。


「スーツの人は通り魔だったけど、このお姉さんは、誰か知ってる人にやられたんだ。信頼してた相手に殺されると、怨念が段違いに濃くなる」


 天音が俺の隣で呟いた。女の目が、店内を這い回る。探している。殺した相手を。だが、ここには当然いない。


 顔を再度確認すると、1週間前にニュースでみたストーカー殺人の被害者に……よく似ている気がする。彼女もまた、ここ数日で亡くなった方なんだ。


「いない! どこにもいない! なんで——なんであいつはのうのうと生きてて、わたしがこんなところに——!」


 棚が一つ倒れた。缶詰が床に散らばる。ざしきが棚の上で丸くなって震えている。奏太かなたがざしきを抱えて、バックヤードの方に退避した。


「おい」


 鬼怒川店長が一歩踏み出した。声が変わった。人間の声じゃない。前にあった戦いで聞いた、この店の主としての声だ。


「——ここは俺の店だ。壊すなら叩き出す」


 女の怨念が店長の言葉にぶつかって、一瞬だけ揺れた。


「でも」


店長が、声のトーンを落とした。


「怒ってるなら、怒っていい。泣きたきゃ泣け。ただし、棚は直してから帰れ」


女の動きが止まった。怨念の霧が、ほんの少しだけ薄くなる。


「……なんなのよ、ここ」

「ドン・ゾコだ。深夜営業のディスカウントストア。幽霊もご来店いただける」


 女が鬼怒川店長を見た。それから、倒れた棚を見て、散らばった缶詰を見た。


「……ごめんなさい」

「手伝おう」


 女と店長が、缶詰を拾う。彼女の手は震えていた。首の痕から黒い霧がまだ漂っているが、さっきよりだいぶ薄くなっていた。


 天音が俺の横で、小さく息を吐く。


「……今夜、多分、長くなるよ」


     ◇ ◇ ◇


 天音の言葉通り、夜は長かった。


 五人目は火傷だらけの中年男性だ。全身が煤けている。放火、だったのだろうか。男性は「家族は」とだけ聞いてきた。鬼怒川が「わからねぇ」と正直に答えた。男性は、「そうですか」と言って帰った。


 全員、死んだことをイマイチ理解していない。あるいは理解したくない。あるいは理解した上で、怒っているか、泣いているか、空っぽになっていそうだった。


 共通しているのは全員が「殺された」ということだった。事故ではなく。病気でもなく。誰かの意志で、命を奪われた人間たち。そして、ここ1ヶ月以内に……亡くなった人たち。


「……店長」


 閉店まであと四十分。俺はレジの横で店長に問いかける。


「今日の客、全員——」

「ああ。殺された連中だ」

「前にも、こういう夜は——」

「ない」


 店長の声が硬い。


「普通はこうならねぇ。死んだばかりの霊がいきなり境界の店に来るなんてことは、そうそう起きない。死んでから店に辿り着くまで、普通は数ヶ月かかる。長ければ数年だ」

「じゃあ、なんで——」

「境界が緩んでる。緩んでいると、イレギュラーなやつらが来やすくなる。ハードルが下がるんだ。普通なら彷徨さまよって、時間をかけて、やっと辿り着く。それが、死んだ瞬間に境界を越えてきてる。——まるで、ドアが開きっぱなしみてぇにな」


 蛍光灯がチカ、と明滅した。今日何度目かわからない。


「直ります?」


 俺が聞くと、店長は蛍光灯を見上げて、長い沈黙の後にこう言った。


「……問題ねぇ」


 また、それだ。ほんのわずかだが、店長の指先が震えている。天音が俺を見た。俺も天音を見た。二人とも同じことを思っていた。


 ——問題が、ある。


     ◇ ◇ ◇


 午前五時。蛍の光。今夜は通り魔に刺されたサラリーマンと、やけどの男性が残っていた。二人とも「帰り方がわからない」と言う。鬼怒川店長が「朝になりゃ戻る。境界が閉じるときに一緒に流れる」と説明して、二人は消えるように店から出ていった。本当に消えた。朝の光に溶けるみたいに。


 ——成仏、ではなかった。「流された」だけだ。たぶん、また来る。


 閉店作業をしながら、俺は今夜の客のことを考えていた。通り魔に刺されたサラリーマン。恋人に絞められた女。放火に巻き込まれた男性。みんな、誰かに殺された人間だった。


 ドン・ゾコはいつも変な客が来る。首がない人も来るし、口が裂けた人も来る。でも今夜の客は「変」ではなかった。「普通」の人間だった。ついさっきまで生きていたはずの、普通の人間。それが一番、怖かった。


 天音が帰り支度をしている。俺もリュックを背負う。鬼怒川店長はいつものようにカウンターの向こう側だ。今夜は疲れた顔をしている——と言いたいところだが、店長の顔はいつも同じ仏頂面なので、正確に疲れているかどうかは判別できなかった。


「店長、お疲れさまでした」

「ああ。明日も遅刻するな」

「ちゃんと5分前には来ますよ」


 天音と一緒に外に出ると、朝の空気は澄んでいて、冷たくて、ちゃんと呼吸ができた。


「ねぇ」

「ん」

「わたしがここに来た二年前と比べて、蛍光灯の調子がだんだん悪くなってる。客も、昔はもっと穏やかだった。未練はあるけど、怒りは薄い人が多かった。最近は——」


 歩きながら、天音が自分の左腕を見た。パーカーの袖の下から、霊紋が見えた。


「最近は、重たい客が増えてる。わたしの腕がそう言ってる」


 信号が赤になり、立ち止まる。いつもの交差点。車は、通らない。


「天音、店長に聞いたほうがいいのかな。店のこと。境界のこと」

「……聞いても、あの人は『問題ねぇ』って言うだけだよ」

「うん。知ってる」


 信号が青になった。黙ったまま2人で歩き出す。東の空が白む。ドン・ゾコの看板が、朝の光に溶けていく。いつもの光景。でも今朝は、看板が消えるのがいつもより遅かった気がした。


 ——気のせいだと、思いたかった。

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