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第11話:激辛爆辛・獄炎ラーメン試食会

 幽霊船の事件から三日が経った。


 店内はすっかり元通りだ。海藻の匂いも消えて、棚の缶詰も整列している。ざしきが棚の上から「きれいになった!」と喜んでいた。奏太かなたは相変わらずパイプ椅子に座って天音あまねのスマホを遠くから眺めている。


 その夜の問題は、店の奥の、さらに奥にあった。


 掃除中に見つけた段ボール三箱。側面のラベルには『激辛爆辛・獄炎ラーメン』と赤黒い文字が踊っている。製造元は見たことのないメーカーで、パッケージには燃え盛る鬼の絵。明らかにヤバそうだが、さらにヤバいのは賞味期限だった。


「店長、これいつ入荷したんですか」

「……一昨年おととしの夏だ」


 一昨年の三箱×二十四個=七十二食。一個も売れていない。


「まずいですよこれ、賞味期限——」

「境界の中に賞味期限はねぇ」


 いや、そういう問題じゃない気がする。


「なにこれ、激辛だって! いや、爆辛?」


 奏太がパイプ椅子から目をキラキラさせながら飛んできた。髪の毛がふわふわの犬のように揺れている。


「食べてみたい〜」

「え、霊って食べられるの? 物理的に」


 奏太がパッケージを掴むと、伝票の整理をしていた天音が口を開いた。


「ドンゾコの中でなら、霊とか妖怪も食べられるよ。ほらあっち、イートインスペース」


 薄々気づいていた、店の端にある寂しそうな机と椅子。あれはイートインスペースだったのか。何年製かわからない電気ポットと、電子レンジもある。俺がカップ麺を食べるなら、あのポットは一度消毒したい。


 鬼怒川きぬがわ店長がレジから出てきて、段ボールを見下ろした。


「七十二食の在庫、試食して売り方を考えろ。それも仕事だ」


 別に激辛好きじゃないけれど、仕事と言われたらやるしかない。深夜二時半にカップ麺の試食会が始まった。


 ポットを洗い、お湯を沸かしている間にカップ麺の蓋をぺりぺりと開ける。中にはかやくと後付けのソースが入っていた。その下の乾麺は……真っ赤だった。背後でウキウキで待っている奏太から、ちょっとヒヨった空気が流れる。


「うわ、色えぐ……」


 ここまできたんだから、とお湯を入れて四分。再度蓋を開けると、真っ赤を通り越してほぼ黒い液体が現れた。麺が見えない。底が見えない。ただただ暴力的な唐辛子の香りだけが、店内に充満する。


「……誰から行く?」

「新人クンでしょ。見つけたのは新人クンなんだから」


 天音の理不尽な指名。俺は覚悟を決めて、箸で麺を一本すくって……一口。


「————ッッッ!!!!」


 辛い。辛いなんてもんじゃない。口の中で爆弾が炸裂した。舌が溶ける。目から涙。鼻から何か出た。喉が焼ける。胃が燃える。


「ぶはっ、む、無理、水、水——!」

「はい」


 天音が冷蔵ケースから牛乳を出してくれた。会計してないとなると、給料から天引きだろうか。


「次。店長」

「ふん。この程度で騒ぐな」


 鬼怒川店長が箸を取り、堂々と麺をすする。三秒。


「…………」


 無言。リーゼントの先端が微妙に震えている。


「店長?」

「…………辛くねぇ」


 嘘だ。鬼怒川店長は嘘が下手だ。目の端に光るものが見える。


「店長、泣いてません?」

「泣いてねぇ。汗だ」

「目から汗は出ないですよ」

「出る。昭和の男は目から汗をかく」


 俺は突っ込まないことにした。


「はい次、天音」


 天音が細い腕で麺をひとすくい。ちゅるっとした小気味よい音が聞こえたが、そんなに勢いよくすすったら気管に……。


「……ん、おいしい」


 は?


「え、おいしい?これが?」

「うん。ちょうどいい」


 天音がもう一口食べた。平然としている。汗もかいてないし、目も潤んでない。


「天音ちゃん、味覚どうなってんの!?」


 奏太が恐ろしいものを見るような目つきで、天音を見つめる。「この人、一番やばい」と呟いた。お前が言うな、霊のくせに。


「ざしきも食べるー!」


 棚の上からざしきが降りてくる。


「ダメだ」

「ダメ」

「ダメだよ」


 三人同時に止めた。これは五歳児(の見た目の妖怪)に食べさせたら、虐待で地獄行きになる。


「じゃあ〜〜いよいよ!! 俺! 俺いきます!」


 奏太が箸を奪い取ると、麺をすくって口に入れた。


「…………」


 三秒。


「かっっっっ!!!! 死ぬ!!!!! 死んじゃう!!!! ゲっあ!」


 奏太が床をゴロゴロ転がり始めた。透けた体が棚の脚をすり抜けている。


「奏太もう、死んでるよ」


 天音が冷静に突っ込んだ。


「死んでるのにこんな辛いの!? なんで!? なんか、あの、概念? とかじゃないの!?」

「この商品、霊も味わえるんだね。あ、書いてある“激辛好きだったあの人の仏壇にも”だって」

「……なんか、生きてた時の気持ち思い出したかも。生命の危機を感じるっていうか……なんだろ、ちょっと……切ないきもち」


 その一言に、店内がちょっとだけ静かになった。


「……もう一口いく?」

「いく!!」


     ◇ ◇ ◇


「で、この七十ー食、どうするんだ」


 鬼怒川店長が目元の涙……もとい、汗を拭きながら聞いてきた。


 俺はレジの下から赤い蛍光紙を出した。一番攻撃的な色。マーカーのキャップを外す。


 ——どう書く? 「激辛です」じゃ売れない。「美味しいです」は虚偽広告になってしまう。奏太を見た。騒ぎながら、泣きながら、でも嬉しそうにすすっている姿。


 ペンが動いた。


 『この一杯、霊も泣けます。』


 鬼怒川店長が蛍光紙を受け取って、しばらく眺めた。


「……嘘は書いてねぇな」

「書いてないです。店長も泣いてましたし」

「汗だつってんだろ」


 白い着物に長い黒髪。見惚れてしまうような美しさだが、肌が青白いを通り越して透き通っている。吐く息が白い——いや違う、この人の周りだけ気温が下がっている。冷蔵ケースの前を通ったら、ケースのほうが結露した。


 雪女はさっき俺が書いたPOPを、じっと見ている。


『この一杯、霊も泣けます。』


「……これ、本当ですか」


 静かな声だった。冷たい声じゃない。むしろ、どこか切実だった。


「え、あ、はい。なんていうか、あの、めちゃくちゃ辛くて、涙は自然と——」

「一つください」


 雪女が1つ手にとると、パッケージが一瞬で薄い氷で包まれた。


「あの……泣きたい、んですか?」

「……わたし、出た瞬間に凍っちゃうんです。涙」


 静かな声だった。


「悲しくても、悔しくても、涙が頬を伝わる前に氷になって、ぽろって落ちるだけ。泣いてみたいんです。ずっと」


 なるほど。俺にはわからない気持ちだが、彼女にとっては切実なんだろう。


「え、あっと、こういうの、食べたことないんですけど、どうしたら……?」

「あ、そこで食べていきますか? おはし、おつけしますね」


 近くにいた天音あまねがテキパキと席に案内し、カップ麺にお湯を注いでいる。じっとカップを見つめている雪女は、泣くというよりはワクワクした表情だ。漫画を読んでいた奏太かなたも、興味深そうに見守っている。


 四分。蓋をめくると先ほどと同じくドス黒い湯気があがる。やっぱり痛い、空気だけでむせてしまう。少し顔をしかめた雪女だったが、意を決して一口、食べた。


「——っ」


 青白い顔が、ほんの少しだけ色づく。もう一口、食べる。


「——っ!!」


 目尻に、光るものが浮かんだ。透明な雫が、ゆっくりと頬を伝っていく。凍らない。店の中だから、だろうか。涙が顎の先から落ちた。ぽたり。床に小さな染みができる。氷じゃない。まだあたたかい涙だ。


「…………い、痛い……っふふっ、ははっ」


 雪女が、泣きながら笑った。もう一口食べて、また泣いた。辛いから泣いているのか、泣きたかったから泣いているのかはわからないが、多分両方なんだろう。


 俺は黙ってティッシュを差し出すと、受け取った雪女は鼻をかんだ。雪女が鼻をかむ絵面はちょっとシュールだ。ティッシュは一瞬で氷の塊になっている。


「……ごちそうさまでした……あの、持ち帰りで、それダンボールごと、お願いします」


 雪女はダンボールを抱えて、自動ドアの向こうに消えた。外に出たら、また涙は凍るんだろう。でも、一回でも、泣けたことは消えない。


「……店長、もう一枚POP書いていいですか」

「好きにしろ」


 赤い蛍光紙の下に、もう一枚。黄色。


『在庫わずか! 雪女が“泣けた”ラーメン』


 天音がそれを見て、ふっと笑った。


「新人クン、POPうまくなったね」

「……字はまだクソだけど」

「字の話はしてないよ」


 時計は午前四時五十分。


 あと二箱の在庫は、天音の夜食にでもしてもらおう。

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