表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

63/70

第二部・第15話:外骨格の似合わない男

土曜日の朝、翔は珍しく自分から目覚ましが鳴る前に目を覚ました。


 カーテンの隙間から入る光はまだ柔らかく、部屋の中は静かだった。


 復讐のために動いていた頃なら、土曜日は「調べる日」か「考える日」だった。


 復讐が一段落し、学校に通い始め、テニスまで始めた今でも、完全に休める日はほとんどない。


 何かを考えていないと、逆に不安になるからだ。


 けれど今日の翔は、少しだけ違った。


 考えることはある。


 由美のことも、録音のことも、唯奈の物騒な提案も、消えたわけではない。


 ただ、それとは別に、前から一つだけどうしてもやってみたいことがあった。


 建設現場の、強化外骨格みたいなやつを、一度でいいから実際に着けてみたい。


 その欲望は、我ながらどうかしていると思う。


 博物館の展示を見てから、動画で現場の省人化技術を見てから、頭の中のどこかにずっと残っていた。


 あの世界のズレを、自分の身体で確かめてみたい。


 動画では分からない重さ、補助の感覚、身体が「持てる」に変換される瞬間を、自分の筋肉で知りたい。


 考えれば考えるほど、ただの好奇心では済まなくなった。


 そして翔は、都内近郊の単発バイトアプリを開き、建設系の軽作業募集を見つけた。


 資格不要。


 日帰り。


 未経験可。


 資材運搬補助。


 ――これだ。


 自分でもびっくりするくらい、決断は早かった。


 ◇


 現場は再開発エリアの一角だった。


 仮囲いの中に入ると、まず音が違う。


 金属がぶつかる音。車輪の軋み。遠くで動く重機の低い唸り。無線の短い応答。朝の冷たい空気の中に、機械油とコンクリートの匂いが混ざっている。


 翔はヘルメットを渡され、安全靴と手袋のサイズを確認され、簡単な説明を受けた。


「初めてだよね?」


 現場監督らしい女性が、タブレットを見ながら聞く。


 年は三十代前半くらい。声がよく通る。無駄な言葉がない。


「はい」


 翔が答えると、彼女は一度だけ翔の顔を見て、それから名簿にチェックを入れた。


「危ないことはさせないから。今日は資材の仕分けと運搬補助。分からなかったら勝手に触らないで、必ず聞いて」


「分かりました」


 そこまでは普通だった。


 問題は、そのすぐ後に起きた。


 朝礼が終わり、各自の配置が決まっていく中で、翔の目は現場の端に置かれている機材に釘付けになっていた。


 簡易型の補助外骨格。


 腰から脚にかけて装着するタイプと、腕と背中を支えるタイプがいくつか並んでいる。


 動画で見たものより、実物はもっと「道具」だった。


 未来っぽい夢の装備じゃない。


 擦れた樹脂、金属フレーム、油圧補助の細いライン。実用一点張りの見た目。


 だからこそ、余計に触りたくなる。


 翔は気づけば、監督のところへ行っていた。


「あの」


「はい?」


 監督が顔を上げる。


 翔は指差した。


「これ、付けたいです!」


 一瞬、現場の空気が止まった。


 近くにいた作業員が二人ほど、同時にこちらを見る。


 監督も、数秒、無言になった。


「……は?」


「これです」


 翔は真顔で言う。


「一回でいいので、付けてみたいです」


 監督の表情が「何を言ってるんだこいつ」に変わる。


「いや、バイト生にそんな危険な業務させられないから」


 正論だった。


 あまりにも正論だった。


 だが翔は諦めなかった。


「お願いします!」


 監督が少し引く。


「これ付けて重いものを運ぶの、夢なんです!」


 その場にいた何人かが、露骨に固まった。


 夢。


 強化外骨格で重量物を運ぶのが夢。


 それを言っているのが、どう見ても現場慣れしていない若い男。


 この世界では、その絵面自体が異常だった。


 監督は頭痛を堪えるような顔で言う。


「いや、今これ付けるほど重いものなんて……あっても、そもそもそれ扱える前提じゃないし。というか、この補助外骨格って男子が付けるものじゃ……」


 そこまで聞いた瞬間、翔は反射的に言い返していた。


「何言ってるんですか⁉」


 現場の空気がまた止まる。


「男子をなんだと思ってるんですか⁉ 男女平等ですよ!」


 自分でも何を言っているのか一瞬分からなかったが、勢いで押し切った。


「この荷物は僕が持って行きます! 重いものあれば遠慮なく言ってください! どんな仕事でもこなして見せます!」


 完全に場違いな熱量だった。


 周囲はドン引きしていた。


 無理もない。


 この世界で男子はほとんどいない。


 だから“男子が自分から力仕事をやりたがる”という状況そのものが、珍獣を見るようなものなのだ。


 元の世界で言えば、たとえば女子高生が工事現場に来て、目を輝かせながら「これ着けて重い資材運ぶの夢なんです!」と言い出すような感覚に近いのだろう。


 反応に困る。


 止めるべきだと分かる。


 でも本人は本気で、しかも目が輝いている。


 監督はこめかみを押さえた。


「……ちょっと待って」


 そう言って、近くにいたベテランらしい女性作業員を呼ぶ。


「この子、どう思う?」


「どう思うって……」


 呼ばれた女性は翔を頭から足まで見て、そして外骨格を見て、最後に監督を見た。


「絵面が終わってる」


 即答だった。


「でしょ?」


「でも、まあ……今日は一台余ってるし、資材の小運搬くらいなら、危険区域に入れない前提なら……」


 監督が眉をひそめる。


「本気?」


「本気っていうか、ここまで言ってるのに触らせない方が後で面倒そう」


「それは分かる」


 ひどい言われようだった。


 だが翔は気にしなかった。


 触れるなら何でもいい。


 監督は長く息を吐いた。


「分かった。条件付き」


 翔の目が少しだけ見開く。


「危険区域には入らない。吊り荷の下に入らない。単独行動しない。勝手に補助レベルをいじらない。あと、変だと思ったらすぐ外す」


「はい!」


「返事だけはいいな……」


 ◇


 装着は思ったよりも面倒だった。


 腰の位置を合わせ、太ももとふくらはぎのフレームを固定し、背面の補助ユニットを接続する。


 起動音は小さい。


 もっと大げさな音がするかと思っていたが、実際には軽い電子音と、内部の圧が整うような低い作動音だけだった。


「歩いてみて」


 監督に言われ、翔は一歩踏み出す。


 違和感はすぐ来た。


 重いわけじゃない。


 軽すぎるわけでもない。


 自分の脚なのに、自分の脚だけではない感覚。


 踏み込んだ力を、一瞬遅れて“支えられる”感じがある。


 もう一歩。


 もう一歩。


 慣れない。だが面白い。


「顔」


 さっきのベテラン作業員が言った。


「すごい楽しそう」


「楽しいです」


 翔は即答した。


「素直か」


 そのやり取りで、周囲の空気が少しだけ緩んだ。


 最初は引いていた作業員たちも、今は半分面白がっている。


 監督はまだ不安そうだったが、とりあえず試しにということで、小さめの資材箱を運ばせることになった。


「持ってみて」


 翔は箱に手をかけた。


 重さは、見た目よりある。


 だが持ち上げる瞬間、腰と脚が自然に補助される。


 力任せではなく、持ち上がる。


「……っ」


 思わず声が漏れた。


「どう?」


「すごいです」


 これも即答だった。


「重いのに、重さの逃がし方が分かる感じがする」


 監督と作業員たちは微妙な顔でそれを聞いていた。


 感想がいちいち理屈っぽい。


 だが、翔は本当にそう感じたのだ。


 身体のどこで受ければいいかを、機械が先回りして教えてくる。


 持てる、ではなく、持ち方が分かる。


 それが一番近い。


「じゃあ、それ、あっちの仕分け場まで」


「はい」


 翔は箱を運んだ。


 歩幅を合わせる。


 急がない。


 置く位置を確認する。


 放送部だった頃の癖なのか、翔は「物の位置」と「人の動線」を読むのが得意だった。


 どこに何を置けば邪魔にならないか。どこを通ると他人の仕事を止めないか。そういうことは、考える前に身体が拾う。


 一往復。


 二往復。


 三往復。


 作業が進む。


 気づけば、翔はかなり普通に戦力になっていた。


「……なんでそんなに手際いいの?」


 若い作業員の一人が、素で聞いてきた。


「分からないです。多分、位置取り考えるのは得意で」


「そこ多分じゃなくて確定で得意なやつだよ」


「あと、外骨格が面白いです」


「そこは知ってる」


 笑いが起きる。


 最初の“ドン引き”が、いつの間にか“扱いに困るけど有能”くらいの空気に変わっていた。


 だが問題はそこではない。


 翔が有能だったわけではない。


 もちろん、翔自身の覚えの速さや集中力もある。


 けれど周囲がいちばん戸惑っている理由は、単純だ。


 男子が自分から力仕事をやってのける。


 それが、この世界ではファンタジーなのだ。


 午前の後半、長尺の資材を移動させる場面で、ベテラン作業員が思わず言った。


「いや、ほんと何なの……」


 翔が振り向く。


「何がですか?」


「何がって……本人が一番楽しそうにしてるのが怖いのよ」


「楽しいです」


「だからそれ」


 周囲がまた笑う。


 だがその笑いには、少しだけ本物の感心が混ざっていた。


 ◇


 昼休憩に入ると、監督が缶コーヒーを片手に翔の前に立った。


「一応言っとくけど、今日は特殊だからね」


「特殊?」


「うち、単発バイトに外骨格触らせるの、普通やらない」


「ありがとうございます」


 翔が素直に頭を下げると、監督は少しだけ困ったように笑った。


「……まあ、怪我しないでちゃんと指示聞くし、勝手に突っ走らないし、思ったより全然まともだったから」


「思ったより、ですか」


「最初の“これ付けたいです!”の時点でかなり不安だった」


 それはそうだろう。


 翔は自分でもそう思う。


 監督は缶コーヒーを一口飲んでから、少し真顔になった。


「でも、ああいうの好きなんだね」


「はい」


「なんで?」


 翔は少し考えた。


 “世界のズレを自分の身体で確かめたいから”は、そのまま言うには重すぎる。


 だから、少しだけ言葉をずらした。


「……人が足りないなら、どうやって埋めてるのか気になって」


 監督は一瞬だけ目を細めた。


 意外そうな顔だった。


「そういう視点で見てるんだ」


「たまたまです」


「ふうん」


 それ以上は聞かれなかった。


 だが翔には、それで十分だった。


 この世界の人間にとっては当たり前でも、自分にはまだ全部が新しい。だから、たまたまでも、好奇心でも、入ってみる意味はある。


 ◇


 午後の作業も、翔は真面目にこなした。


 危険区域には入らない。


 無茶はしない。


 指示されたものだけを動かす。


 だが、ひとつひとつの作業に、妙な充実感があった。


 配信とは違う。


 学校とも違う。


 テニスとも違う。


 目の前の仕事が減る。


 置いた資材が次の工程に回る。


 自分の動きが、誰かの作業の続きを楽にする。


 それが分かる。


 単純で、だからこそ気持ちがいい。


 翔はふと気づいた。


 これまで自分は「誰かの役に立つ」という感覚を、ほとんど復讐の中でしか考えてこなかったのかもしれない。


 母のため。


 自分のため。


 被害者のため。


 そんな大きな言葉じゃなくても、ただ一つ資材を運ぶだけで、現場は少し楽になる。


 そういう単純さを、自分は知らなかった。


 ◇


 作業終了後、外骨格を外す時、翔は少しだけ名残惜しかった。


 ベルトを外す。


 フレームを外す。


 脚が急に自分の重さを取り戻す。


 さっきまで“支えられていた”感覚が消えて、逆に少し不安定になる。


「名残惜しそう」


 ベテラン作業員が言った。


「分かります?」


「分かる。けど普通はそこまで露骨にしない」


「また付けたいです」


「まだ言うの?」


「機会があれば」


 その返事に、相手は吹き出した。


「変な子」


 変な“子”。


 その言い方が、この世界の中で自分がどう見えているのかを端的に表していた。


 男。


 若い。


 しかも力仕事を楽しそうにやる。


 存在としてファンタジーすぎるのだ。


 だが、それでもいいと翔は思った。


 ファンタジーでも、役に立てるなら。


 監督が最後にタイムカード処理をしながら言った。


「また来る?」


 翔は少しだけ迷ってから答えた。


「……たまになら」


「今度は最初から外骨格目当てって言わないでね」


「努力します」


「努力するのそこなんだ」


 周囲がまた笑う。


 その笑いの中に、最初のドン引きはもうなかった。


 完全に受け入れられたわけではない。


 でも、“どう扱っていいか分からない男”から、“変だけど仕事できる変な男”くらいには昇格した気がした。


 それだけで十分だった。


 ◇


 帰り道、夕方の風が汗の残る首筋を冷やす。


 身体は疲れている。


 腕も脚も、じんわり重い。


 だが頭の中は不思議なくらい静かだった。


 復讐のことを忘れたわけではない。


 由美のことも、録音も、唯奈の物騒な提案も、全部まだそこにある。


 けれど今日は、それらとは別に、自分の身体で“仕事が終わる”感覚を知った。


 それが今の翔には、思っていた以上に大きかった。


 外骨格を着けたかった。


 世界のズレを知りたかった。


 その欲求は満たされた。


 だがそれ以上に、ただ単純に、役に立てたことが胸に残っていた。


 誰かのため、なんて大げさじゃない。


 でも、自分が持ったものが、誰かの手間を減らす。


 自分が運んだものが、次の工程に繋がる。


 その感覚は、悪くなかった。


 翔は、駅へ向かう途中で小さく息を吐いた。


 復讐以外のことで、こんなふうに疲れる日が来るとは、少し前の自分なら想像もできなかっただろう。


 そして、それを少しだけ嬉しいと思っている自分がいる。


 この世界は、まだ理解できない。


 男女比は歪んでいるし、歴史はずれているし、オスマントルコはあるし、地雷系は普通に生きていて、建設技術だけ妙に発達している。


 なのに、その世界の中で、自分はちゃんと働けてしまった。


 ファンタジーみたいなのは、世界だけじゃないのかもしれない。


 自分自身も、この世界から見れば、十分すぎるほど異物なのだ。


 それでも。


 異物でも、役に立てるなら、それでいい。


 翔は駅のホームに立ちながら、少しだけ笑った。


 強化外骨格は、思っていたより夢がなかった。


 だが、思っていたより現実的で、思っていたより面白くて、思っていたより――自分を前に進ませる道具だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ