第15話:手を汚してでも
格納庫21。
仮起動を試みたF-14Dは、再び静かに沈黙していた。
警告灯は消え、作業用の照明だけが冷たく光を投げかけている。
周囲には、疲れた整備士たちの無言の気配。
「……もう、これ以上は無理じゃないか」
誰かがぽつりとつぶやいた。
「中枢が飛んだ時点で終わりだろ。代替もないし、解析も間に合わない。
部品だって……今さらどうするんだよ」
「現実見ようぜ。時間も人手も足りない。
このまま無理に進めても、誰かがケガするだけだ」
否定する者はいなかった。
それが、今の“事実”だった。
澪も、黙ってその場に立ち尽くしていた。
制服の袖には工具用グリースの痕、指先には細かい切り傷。
痛みよりも、焦燥が勝っていた。
──整備士として。私は、何ができる?
(兄さんなら……)
そんな言葉が喉まで出かかったとき、澪はそっと目を閉じた。
それに頼りたくはなかった。これは“私自身”の問題だ。
「じゃあ、どうするんですか?」
静かながら、芯のある声が格納庫に響いた。
整備士たちの視線が、一斉に澪に向く。
「やめるんですか? ここで諦めたら、あの機体は二度と空を飛べない。
それでも……本当に、やめるんですか?」
一瞬、空気が凍る。
「私は、まだ……やれるって信じてます。
どんなに古くても、あの機体が誰かを守れるなら、私は……手を汚す」
若手の一人が苦笑気味に言う。
「……気持ちはわかるけどさ。理想だけじゃ、どうにもなんないんだよ」
「理想じゃありません。覚悟です」
澪は一歩、前に出た。
「私は整備士です。整備士が諦めたら、パイロットはどうすればいいんですか」
場が静まり返る。
と、その時──
「おいおい、盛り上がってんな」
真壁颯士の低い声が、格納庫に響いた。
整備士たちは思わず背筋を伸ばす。
彼は澪の横に立ち、ゆっくりと腕を組んだ。
「古い機体に命を懸けるバカがいる。
じゃあ、それを支える整備士もバカでなきゃつとまらねぇだろ」
「真壁さん……」
「澪の言うとおりだ。文句あるやつは、寝てろ。
でも、続ける覚悟があるなら、今すぐ工具を取れ。
飛ばすって決めたのは、もう俺たちなんだよ」
一人、また一人と整備士たちが無言で工具を手に取る。
澪も、静かに手袋をはめ直した。
◇
夜の格納庫。
照明が落ち、外の風の音だけが微かに聞こえる。
澪は一人、F-14Dのコックピット下で作業を続けていた。
破損したケーブルをまとめ、手書きの回路図を見ながら古い端子の型番を確認する。
指先はすでに真っ黒で、肩も痛む。
だが、不思議と心は折れていなかった。
──私が、この機体を飛ばす。
誰よりも“空を信じてる”パイロットのために。
ふと、兄・神谷尚弥の言葉が脳裏に浮かぶ。
「整備士はな、命を“預けられる人間”になれ」
澪は、小さく呟いた。
「……私は整備士です。
パイロットの命は、私の手にかかってる。
だったら、止まれない」
夜の静けさに溶け込むように、澪の決意が確かに刻まれていた。
◇
同時刻、作戦司令部。
「F-35による迎撃記録、ここまで。敵AIの反応速度が上がってきています」
東郷誠一郎が資料を置きながら、吉岡総理に報告を入れる。
「“狩られる側”になるのも時間の問題か……」
「総理。我々だけでは、限界です。
旧式機の再稼働には、他国の協力が不可欠となるでしょう。
問題は──彼らがそれを、信じるかどうかです」
「信じさせろ。……それがお前の仕事だろう、東郷」
「了解しました」
東郷の背筋が、わずかに伸びる。
◇
そして、敵母艦・ザ・アーク。
無機質な空間に、作戦指令が伝達される。
「第七戦術型、地上制圧フェーズへ移行。
対象:日本列島、首都圏周辺」
次なる一手が、静かに準備されていた。
物語は、再び動き出す。
それぞれの“覚悟”を胸に──。




