僕がずっと死にたかったのは・7
僕がずっと死にたかったのは
やはり、彼女は僕の見える色の事を知っていた。
あの時の少女が、紛れもなく茉姫奈という裏付けにもなった。
そして、違和感。
茉姫奈からは、たまに感情が見えない時があった。そしていつも渦巻いている陽炎の様なモヤ····元々ずっと根付いていた感情がそれで、それを上書きする様に僕に対して色をつけていったのだろう。
「····色は、何も見えないよ。見えるのは、透明な君の虚無感しか見えない」
そう言った直後、茉姫奈は笑った。
怖いくらい空っぽな笑顔で。
「······そっか、良かった。これが私の本当の感情なんだ。あの時の感情も、言葉も、私の希死念慮に基づいてそれっぽく演出しただけ、嘘つきだよね。ずっと死にたくて死にたくてたまらないの、結局──あの時言った言葉と同じで、私も逃げられないんだ」
死んだ人は、逃げられなかった人だと、茉姫奈はあの時言っていた。
その言葉こそが、僕に対する彼女なりのSOSだったのかもしれないのに。
「私は、満たされるのが怖かった。他人の優しさとか、そういうので満たされる度に死にたくなった。それで中3の時に1回死に損ねて、その後に自分っていうのが分からなくなって、私の希死念慮を必死で隠す為にこんな格好にしたの。あの時言った経緯とはかなり違ってるでしょ? これが私の本当の姿なんだよ」
本当だ。
茉姫奈の言っている事に、全く嘘はなかった。
「那由にも、お母さんにも····本当の私の気持ちを吐き出せなかった。希死念慮を打ち明けられない私は、すごく臆病なの」
ずっと笑顔で、眩しかった茉姫奈のイメージが1秒ごと──いや、コンマ1秒事に塗り替えられて、頭の中が氾濫したみたいに明るい“マッキー”と本来の“茉姫奈”のビジョンが見え隠れして冬なのに僕の頬から冷や汗が伝う。
人のイメージはやはり第一印象や、外面で見られ、評価されることが殆どだ。茉姫奈もその明るいマッキーという姿を強いられ、ずっとタブーな感情を表に出す事を憚られていたのかと思うと、茉姫奈はとてつもない大きな感情と戦っていたのだろうと感じた。
きっと、那由さんも彼女の感情に気づいていた。
あの時、自殺未遂をした時から。
だから、僕にバトンを渡したんだと思う。
彼女は、僕が茉姫奈を救うべきだと感じたんだ。
那由さんでは、茉姫奈を救いきれなかったから。
彼女の死にたいという気持ちは本物だ。
漏れ出す感情がそれに拍車をかけている。
生きる意味も、価値もないと、そう濁った瞳が訴えかけているような気がした。
でも、一つだけ腑に落ちない事がある。
「茉姫奈は、なんで姉さんに死ぬ事を言ったの?」
「····玲依に、私が死ぬ所を見て欲しかったから」
「······それは、本当?」
「本当だよ。私は玲依を救う為にここまで生きてきた。だからもういいの。私は私で全部終わらせるから、この場所に来てくれたのが、私はもうそれだけで死ねる」
「本心、なの?」
「········うん、本心」
そう言った瞬間。
一瞬、ほんの一瞬だ。
茉姫奈の虚無から灰色が見えた。
灰色は一瞬だけ顔を出して、そして虚無に吸い込まれて消えていく。
あぁ、やっぱりそうだと確信した。
涙が出そうになった。
それを見た時、僕は拳を握りながら口を開いた。
「嘘だよ。茉姫奈····君は、僕に来て欲しかったのは嘘じゃない。でも死ぬところを見てほしいって言うのは、嘘だよね」
「······ちがう、私は──」
「本当は····心の片隅では、僕に助けに来て欲しかったから、姉さんに言ったんじゃないの?」
核心を突くような言葉に、茉姫奈は顔を歪めた。
「······違う、」
「····違わないよ」
「違う····」
「違わないよ」
「違う」
「違わない──」
「違うっ!!」
聞いたことも無いような慟哭が、僕の耳を劈く。
世界中の人間が抱えている希死念慮を全て集めて解き放ったような血声は、屋上は愚か、後ろのドアを貫通して響き渡っていく。
「私は弱虫なの。逃げられないの、だからもう死ぬっていうのが怖くないの。その最期を、大好きな人に見届けて欲しいだけ」
頭の中は意外と冷静だった。
彼女の嘘を暴いても、きっと茉姫奈は嘘をつき続ける。
ここで引いたら、本当に死んでしまう事は分かっていたから。
「····どうしたら、自殺を止めてくれる?」
けれど、色んな言葉を思い浮かんでは消えて、結局口から出たのは、在り来りすぎる疑問に似た問いだった。
「····もう分からないの。自分が何なのか分からない。明るく振舞っても、他人に優しくされても、私の希死念慮が溢れて歯止めが効かないの、玲依が死のうと思わなくなったら死のうって決めてたのに途中で死のうとしてる····馬鹿だよね。結局私が1番中途半端な人間なんだ」
そのまま、茉姫奈は言葉を続けて僕に向かって言った。
「玲依がプリント届けに来てくれた日、私、首吊って自殺しようとしてたんだ。縄で首を括ったタイミングでインターホンが鳴ってね、誰かと思ったら玲依だった。正直····運命だと思ったの、玲依が昔のような明るい人じゃなくなってたって事はずっと前から知ってたし、死にたいっていう顔をずっとしてた。だからあの時、君を救ってから死のうと思った。私はずっと、君の事が好きだから、好きな人に笑顔になって欲しくてここまで生きてきたんだけど、満たされた感情と虚無感が同居して、それが首を絞め付けて····もう心に余裕が無いや」
ふと思い出す、あの時のバケツ。
あそこの中に、きっと縄が入っていた。
あの時、死のうとしていたと思うと、僕自身もゾッとした。
茉姫奈の言葉を否定する事なんてできなかった。
クリスマスイブに死のうとした理由は、世界が愛で溢れる日だからだ。
クリスマスイブの日に反抗して死に向かおうとする彼女は、英雄であり、死神のようだった。
きっと、彼女の散り様を目の当たりにしたり、電波で知った人間は眠っていた感情に目覚めて死に走る人が沢山出てくる。
英雄だと讃えられ、自殺志願者は軒並み自殺に向かう。小さい規模なのかもしれない、けれど茉姫奈が死ねば、クリスマスという幸せな日は死に染まる。
その惨状を人間はクリスマスイブに死んだ彼女を死神と侮蔑し、忌み嫌うのだろう。
世界はシンプルだ。誰にだって正義がいて、悪がいて、それに沿って人間は日々を生きている。SNSが普及して、名前のない狂気で傷つけられていく事が、もう日常茶飯事になった今の時代で、文字だけの言葉だけで致命傷を負って自分を見失い、傷の深さが悪ければ破滅に進んでいく。
僕のような若者はとてつもなく生きる事すら息苦しい世の中だ。
今の世界で、人を殺すのも、人を生かすのもいちばん多い凶器にもなり、救いの手にもなるのは言葉だ。
そんな世界で、僕に人間らしさを取り戻してくれたのは、茉姫奈だった。
演じているだけだったかもしれない、期間限定の感情だったのかもしれない。
でも、時折見せる屈託のない笑顔や、僕に向ける言葉に、絶対と言い切れる程に嘘はなかった。
「··········分かった。茉姫奈の言ってる事は正しいし、僕なんかが否定する事なんて出来ない。だけど、僕にも言いたいことがあるから、少しだけ、僕の話を聞いて欲しい。話を聞き終わったら、死ぬかどうか決めていいから」
恐らく、これは僕にとって世界一重要な瞬間で、そして世界一恥ずかしくて──寒い演説する瞬間だ。
きっと思い出すだけで別の意味で死にたくなるだろう。
けど、それがどうした。
それがなんだってんだ。
「茉姫奈」
寒さも、痛みも、時間も全て僕の世界では無になっていて、僕の世界に佇んでいるのは茉姫奈だけだ。
不思議と、自覚をしても何も感じなかった。
寒くないし、身体も痛くない。
僕は、ゆっくりと口を開いた。
「僕は、何も無かった。
自分の愛などなくて、僕は多分、壊れてた。
まるで、シンデレラのような人生だ。
灰被りのような、希望なんて持てない人生。
なんとも死のうとした。
僕を壊した親にさえ手をかけようとした。
でも出来なかった。
どんなに腐りきっても、どんなに汚れていようと、自分の親だから。
どんなに恨んでいても、自分の血が唯一流れている存在だったから。
僕は、多分生きる事が怖かったんだと思う、どんなに生きても報われるような事がなくて、解けた感情が結び直されるようなことなんて1度もなかった。
僕も、まともに生きたかった。
普通に息を吸いたかった。
でも、他の人たちから見たら僕は恵まれていて、その人達は知りもしないどこか遠い国の出来事を引き合いに出して比較して、かりそめの物差しで僕の全てを、薫陶、沽券を測りたがる。
そうやって身勝手な正義を振りかざして、それで人を救った気になっている人達が、死ぬほど嫌いだった。
死にたい。
生きるって何なのだろう。
漠然と、永遠にそれを考えていた。
だけど、
だけどね。
君と出会えて、生きたいって思える様になったんだ」
喋り出すと、伝えたい事が多過ぎて、止まらなかった。
茉姫奈の感傷を他所に、頭より先に言葉が出てしまう。
けして器用な人間じゃないし、変な言葉も口走っているかもしれない。
人生を満了したような全てを知っているような言葉も紡げない。でも、世界の全てを知ったかぶって大口を叩くほど偉い人間でもない。
ただ分かることは1つ。
僕の人生は、もう君が居なきゃ輝かないという事だ。
君がいない人生なんて、もう僕にとっては生き地獄のようなものだ。
さよならをまだ知らない僕は、君を言葉でしか救えない。
だからこそ。
「分かったことがあるんだ。伝えたい事が、沢山あるんだ」
君のよく言う、自分勝手なんかじゃない。
死にたい君に、僕の本当の言葉で、死から救いたい。
「僕がずっと死にたかったのは──」
うん、そうだ。
そうだよ、絶対。
「僕がずっと死にたかったのは、“幸せ”に気づかないフリをしていたからなんだ」




