僕がずっと死にたかったのは・6
“生きてる”
「······う、」
夢から醒めるように意識を取り戻して、ゆっくりと目を開いた。
気がつくと、僕はうつ伏せになって倒れていた。
気がつけば身体は擦り傷だらけになっていて、肘や頭からは出血があった。
氷に赤黒い自分の血液が染みていて、鉄臭い匂いが氷からも香って気持ち悪かった。
全身が車に轢かれた衝撃でとても痛くて、軋む身体を伸ばしてコンクリートに転がっていた携帯に手を伸ばして、時刻を確認する。
時刻は7時を過ぎたくらいで、気を失っていたのは1分程度だった。
あんなに長く感じた夢も、現実では1分くらいなのに、少し驚いた。
「兄ちゃん! 大丈夫か!」
その言葉につられて、ゆっくりと身体を起こした。声の主は黒い背広に、サングラスをかけた角刈りの男で、ランプが着いている車を見ると、黒塗りの外車のセダンだった。
轢かれてはいけない人間に轢かれてしまったようだ。そう自覚すると、全身の痛みがスーッと消えていった気がした。
「本当にすまん! 前方不注意で、今救急車よんだから無理せんで待っててくれんか?」
僕も焦りと痛みと興奮で感情がぐちゃぐちゃだった。
「いや、大丈夫です······すぐ行かなければならない所があるので」
「いやいや、そう言われても····酷い怪我してるで兄ちゃん」
抜け切れてない関西弁で、そう言われた。
片手には携帯を握りしめていて、手の甲までびっしり入った刺青が見えて鳥肌が立つ。
関西弁でそう言われるともっとそちら側の人間だと思ってしまって、怖くなって、思わず合わそうとしてなかった目を合わせてしまった。
強面で、でも目は優しそうで、それが逆に恐怖に感じた。
僕を見た男は、怪訝な顔をしながら僕に訊いた。
「兄ちゃん、アンタまさか──」
なにかされるのでは無いかと思ってしまい、男の問いを遮って立ち上がった。
立ち上がったのを見た男はぎょっとした顔で僕をずっと見ているだけだった。
「すみません、厚意は嬉しいですけど、急いでるので」
大丈夫、まだ大丈夫だ。
走れる、身体は死んでない。
アドレナリンが身体中で分泌されているのか、さっきまで感じていた全身の激痛は走れるくらいには引いていた。
「あ、兄ちゃん! 自分の話少し聞いてくれたっていいやないか!」
男の話も聞かずに、覚束無い足で走り出す。
男の図太い関西弁は1歩踏みしめていく度に遠くなっていった。こんなに身体は冷えているのに、頭は、心はこんなに熱いままで、必死に息を切らしながら足を回していく。
人間、限界なんて簡単に超えることが出来るのだな、と走り続ける思考の片隅で思う。なにもかも中途半端な事しかやって来なかった自分が、こうやって誰かの為に全力で走って、会いたい人の為に生命すら削れるような人間だった事に、まだ僕は人間だと実感する。
いつの間にか感じていた痛み、苦しみ、憎しみ、全てが僕が生きている実感全てに変わっていた。
痛いのは、生きているから。
息が苦しいのは、生きているから。
人が当たり前に感じている感情を今やっと実感した気がした。
限界に近い身体が、僕に圧倒的な生を訴えかける。
生きている。
心も、身体も死んでるわけじゃない。
動いてる。息をしてる。
ねぇ、茉姫奈。
これが君が言った“生きてる”って事なんだね。
やっぱり、君が言った言葉は気がついてから納得するものばかりだ。
だからこそ、君に会って伝えたい。
僕のぐちゃぐちゃの言葉で君を救ってみたい。
血を握りしめて、破裂寸前の心臓で必死に走り続けて、辿り着いた先は少し前まで居た学校だった。
校門は空いていて、そのまま校庭に入った。勿論人の気配などないし、冬休み前の学校は早く電気が消えて、警備員の人も居ない。
真っ暗で、明かりがつく気配もない学校の裏口まで回って、横開きのドアを開けた。
「開いた····」
この学校は、生徒が忘れ物をした時や、職員が自由に出入りできるように裏口だけはいつも鍵を開けているのだ。無論、それは僕も知っていた。
学校の中に入って、集中力が切れ始めたのか、車に撥ねられた負荷と、走り続けた負荷が今来たのか足が震え始めて、頭の中が殴られた様な頭痛が漸次広がり始める。
汗で制服は湿っていて、本当に今は冬なのかと錯覚する程だった。
真っ暗な学校の中は、目を凝らすと暗順応で数秒後には周りの輪郭が見える程度になった。
人体の仕組みは不思議で、暗闇も眩しい所も数秒要したら見事に順応してみせる。僕も例外ではなく、すぐに暗い場所が不明瞭だけれど大体は見えるようにはなった。
その瞬間も····生きてると、自分は人間として適応してると感じた。
僕も、人間も含め、地球に生息する生物全員が環境に適応しようと進化し、生命を咲かせている。なにか困難があれば手を取り合って助け合って進化の過程を踏んでいく、その根底にはきっと僕が計り知れない程の『愛』に基づいている。
生命は儚いものだ。
常に生物は死と隣り合わせで生きていて、明日も、この一瞬もどうなるか分からない。
そう思うと、尚更茉姫奈を失いたくなかった。
「急がなきゃ」
走り出す。
階段を上がって、躓きそうになってもすぐに体制を立て直す。
身体はボロボロで軋んでいて、痛くて、苦しい。
だが茉姫奈のいる所まで走り続けた。
でも茉姫奈のことを思えば、その痛みは、苦しさは次第に忘れていった。
今なら、茉姫奈の為に生命すらも賭けれる自信があった。
どんなに死にたくても、どんなに惨めな人生だと思っても、生きてさえいればきっと報われる。茉姫奈から教わって、救われた。
春から冬まで季節が巡って、沢山間違って、沢山の感情を知れて、僕の心にそよ風のような温かさをくれた彼女の屈託のない笑顔は、きっと偽物の感情なんかじゃない。
彼女が変わったのは僕のお陰でもあるし、僕のせいでもある。だから、僕は。
感情が溢れだしそうで、息が詰まる。
ずっと喉から出てこなかった言葉も、今ならきっと全部吐き出せる。
最上階の階段まで勢いよく駆け上がって、屋上に続くドアに手をかける。
ドアノブを捻ると簡単にドアが開いて、重みもなんも感じないドアだった。
勢いのままにドアを開いて、急激な冬風が僕を襲う、雪と一緒に吹く風は、喉から身体全部が凍り付きそうなくらい冷たかった。
「茉姫奈!」
風に目をやられて目が開けないまま、絞り出すような声で彼女の名前を呼んだ。
呻吟のような呼吸を繰り返しながら目を擦り、冷たい目をゆっくり開くと、人のシルエットが見えた。
ぼやけていた視界が、次第にピントが合って鮮明になる。
屋上の柵を飛び越える直前に、満月に照らされたセミロングの金髪が見えた。
茉姫奈は、清々しくも、顔に大きな穴が空いているような残酷な笑顔で、僕の方を振り向いた。
とてつもなく凄絶で、とてつもなく尊いとまで錯覚する。
「茉姫奈····?」
頭に雪が微量ながら積もっている。白、と言うよりは灰色に近い夜の雪──その瞬間、僕は気づいてしまった。
本当の灰被りは、僕じゃなくて茉姫奈だったんだと。
「ねぇ、玲依」
自分で自分をシンデレラだなんて何度も形容して自己陶酔に浸っていようと、目の前の茉姫奈を眼前にしてしまったら、灰被りなんて自称していたのが、酷く恥ずかしいと思った。
目の前に佇んでいるのは本物の灰被りなのだから。
色も何も見えない、ただ辺りを漂うのは、色とも言えない透明なモヤだけ、そのモヤが茉姫奈の心の中に渦巻いている“死にたい、死ななければ”という希死念慮の虚無感そのものだということは、理解に時間がかからなかった。
ドラッグに走った人間の無とも、生まれつき感情がない無とも違う、生きる事に対しての合理性、年を重ねる毎に生に対しての意味を失っている無。
彼女の抱える闇は、底がしれなくてとてつもなく怖くて、そして美しかった。
「私、何色に見える?」
茉姫奈は、全てが抜け落ちたような笑顔で、そう言った。
ここから本当にクライマックスのシーンに入っていきます
鬱になって、色々死とか、死生観とか、生きる事について、とてつもなく考えて考え抜いた結果、1番自分が生きてると実感した時は、一番死に近づいた時だと感じました。
鬱で1度自殺しようとして(踏みとどまったのですが)、車庫にある炭を見た時、とてつもない生を感じて、「あ、自分って生きているんだ」と思いました。
この瞬間が自分の中で一番死に近づいた瞬間でもあり、生きていると実感して、急に死を遠ざけたくなって、怖くなって、死に損なったチキン野郎です。
それか逆で、死んだ様に生きて、普遍的な生活を続けていくことこそが、一番生きていると実感する人も多いのかな?とも感じます。
だから、あの時から自分の命はあってないような物なんです。
だから自分の命を削ってでも、命を代弁したい、その一心で、言葉を書いてます。
もう少しで最終回です、この物語の行く末を、是非とも最後まで見届けて欲しいです。




