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僕がずっと死にたかったのは。  作者: 青山葵
第3章 秋、絡繰

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秋、絡繰・5

悲憤

 目を向けると、スーツに身を包んだ父がいた。


 僕より身長が高くて、僕の憎悪を具現化したような黒いスーツ。

 今更なんで来たのか。


 姉さんがこうなってから何ヶ月も経っているのにも関わらず。


 くだらない。


 どうこう言う事すら無駄だと思った。


 僕は無視して通り過ぎようとした。


「話がある」


「僕は何も話したくないよ」


「····ついてきてくれ」


「お金の代わりに関わっちゃダメなんじゃないの?」


「頼む」


 と、無感情な声で言われて、何が頼むだよと思った。


 結局父は歩き出して、僕もその後をついていくしかなかった。


 父が向かった先は、病院の端にある談話室だった。そこにもドアが付いていて、防音式になっているようだった。


「入ってくれ」


 言われるがままに談話室のドアを開けて、中に入る。ますます何も聞こえない静かな空間は、窓から見える夕焼けの日差しが煩いくらいにこちらに差し込んでいた。


 父の感情は、見ないようにしていた。


 見る価値もない人間だからだ。


 だけど、父が僕に向けた目は、何故か少し哀愁が漂っていた気がしたのは、気のせいか。


「こうやって、目を見て面と向かって話をするのは、久しぶりだな」


 椅子にも座らないで、2人で立ち会っている状態で父がそう言った。


 なんでも、こうやって目を見て話をするのは、何年ぶりかも分からない、そもそも父が不倫をするようになってからは家に殆ど帰ってきて無かったし、母の世話は父が半年くらい続けていたが、それからは帰ることが少なくなった。


 僕からしたら、それが嬉しかっただけだ。


 母は鬱病で廃人同然だったし、意味は違えど姉さんは僕を好いてくれていた。


 何年ぶりというか、あの時が最後なのかもしれない。


『玲依、お前には何が』


 母が鬱病だと医師から診断された後、家で急に父は、僕にのしかかってきた。


 髪を掴まれてながらそう告げられ、そのまま何も言わずに手を離して、放置された時。あれが確か中学2年生の時だった筈だ。

 その後は、暴力が無くなった。


 理由もなく続いていた虐待もプツリと消えて、死んだように生きてきた。


 開き直った様に口を開いた父の姿。

 その声、その振る舞い、その服装。


 全ての行動に虫唾が走る。


 睨みすえて見ていた僕の視界からふと見えた落莫とした色は、ふとまた消えて無の色に変わる。看護師が食事を運んでいる時に聞こえる配膳車の音も、廊下の足音すらも聞こえない閉鎖された世界に、僕と父は立っていた。


 父の言葉に何も言わずに父を睨んでいる僕と、それを何も言わずに見つめている父は、何か抗争が起こる前の動物の睨み合いのようだった。


「中二、以来だったか····面と向かって話したのは」


 面と向かってじゃなくて、父が僕に馬乗りをしながら僕の目を見て話しただけじゃないか。


 肝が据わっている声音で父はそう言うと、言葉を続けた。


「····答えてくれ、頼む····ちゃんとお前と話がしたい」


 予想外の言葉に、少し面食らった。


 いつもの会話と違う、最低限の言葉で僕を突き放していた父とはまた違うような気がした。


 いや、少し違う、動揺しているだけだ。


 その態度を取られたとしても、されてきた事は変わらない、募らせてきた感情は変わることは無い。


 まだ月並みな人間だった自分を、その頃から鼈のような見方をしておいて、急に掌を返すのか。


 膨れ上がる感情を必死に噛み潰した。


「そうだよ。それからは目も合わせてないよね」


「そうか、4年ぶりか」


 上の空のような発言。


 50歳は越している父の言葉には、なんの重みも感じなかった。


 受けてきた事がそうさせたのか。


 父の瞳から淡く漏れる薄暮の光は、無だった父の感情に何かを灯した気がした。


「玲依」


 素直にそう呼ばれて、父の目を見た。


 すると突然、僕は想像もしていなかった光景を目にした。




「すまなかった」




 父が、僕に頭を下げたのだ。


 その姿を見下ろしてはいたが、内心は冷や汗が頬をつたいそうになるほど困惑していた。


 父がとった謎の行動に、僕も心臓が跳ねた。


「私は、自分の教育や、考えが全て正しいと思っていた」


 そう語りだした父に、色が初めて見えた。


 本当のことを言っている色だった。


 それが見えた時、姉さんが言っていたにわかには信じられない理由が本当なのだな、と確信してしまった瞬間だった。


「お前は、私が苦労して出来ていたことを、全て完璧にこなせる人間だった」


 その言葉と同時に浮き上がった感情は、憎しみでもなく、父に対する清々しさだった。


 何かを成してきた人間でもないし、その才能とやらを意図的に潰そうとしていたことは、今ここでやっと腑に落ちた。


 暴力の理由も、姉さんが言っていた自分の才能が父を嫉妬させていたと思うと、逆に清々しい気持ちになった。本当の劣等感を抱えていたのは父の方で、僕は金を貰う代わりにその劣等感を押し付けられる権利を強制的に“押し付けられていたということ”だ。


 普通の親ならば平等に愛を渡して、平等に子を愛すという行為が出来ないほど、息子相手に嫉妬に狂っていたのは、世界を探しても父だけなのではないかと思った。


 ハイブランドのスーツで身を固めて、高い革靴と腕時計を衒うかのようにギラつかせて、どれだけ自分を着飾っていても、僕からは逆に本質が透けて見えるようだった。


 外面だけいい顔をして、内側は真っ黒。


 結局そのような人は、上っ面だけで人を測って、上っ面だけで付き合って、人の本質を見定めないで上っ面だけで全てを判断する。狡い真似しか出来ないで強者ズラしている本当の弱者はどっちだと。


 色が見えるとしたら、欲しかない色。私利私欲で全てを決める汚い人間。


「命依がこのような状況になって、やっと私は自分が間違っていた事に気付いたんだ」


 頭を下げながら、そういう父に僕は目を眇めた。


 あぁ、と思った。

 此奴は、多分。


 逃げるための道筋を作っている。


 僕はお前の呪縛から解放されつつあって現実と向き合い始めたというのに、お前はただ支配する側で、いざピンチになると、逃げ道を作って人に支配されるのを拒む。高すぎるプライドがそうしてる。


 どっちが間違っているんだ。


「お前は、お前。他人は他人だ····だからもう、私はお前に対して高圧的に接するのは辞めようと思う」


 お前が1番僕を天秤にかけて比べてきたのに、それを今更言うのか?


 それが逃げ道になると思っているのは、笑いが出そうなくらい愚かだった。


「薄っぺらい言葉だね」


 僕がそう言うと、父は少し顔を上げて目線だけを僕の方に送った。


「そう言われるのも構わない」


 他人は他人お前はお前。


 それが、息子に暴力を振るってきた父が言う言葉なのだ。


 言葉が上辺すぎて逆に清々しかった。


 1番他人と比べて、僕を貶めた奴が掌返すなよ。


「結局、父さんは何が言いたいの?」


「······私が全て間違っていたのだ。私が否定したのは、玲依だけでなく、命依も否定してしまった。確かに許されない事をした。お前の事も沢山傷つけたと思う」



 そうか。

 成程。

 これで確信した。



 結局、思ってもいない懺悔をその汚い口で零し尽くした後に、逃げようとしてるだけか。


「こんな私を許して欲しい、今度からは、前の事は忘れて普通の親子として──」


「許せるわけないじゃん」


 責任逃れするような言葉が、なんでこんなにポンポン出てくるんだよ。


 なら1番汚いのは僕じゃなくて、此奴だろ。


 汚れてるのは、穢れてるのは。きっと僕じゃないだろ、姉さんじゃないだろ。


 怒りが溢れて止まらない。


 それが真っ白になるまで蓄積されて、飽和した瞬間。


 何かが切れた気がした。


「顔上げてよ」


 そう言うと、素直に父は顔を上げて、こちらを向いた。


 瞬間に、僕は父を談話室の壁まで追いやって、胸ぐらを掴んでいた。


 父の背中が壁に勢いよく衝突して、恐らく外にも聞こえるくらい大きな音を立ててぶつかった。父は苦悶の表情などは見せてはいなく、ただ焦点が合わない瞳で時々僕の目を見るだけだった。


「そうやって最後自分の都合の悪いところは取って付けたような言葉で許してもらおうとするなよ。最後は向き合わずに逃げようとする。結局1番なんも知らなかったのはどっちだよ!」


 初めて声を荒らげた。


 こんなに僕は、大きな声を出せたんだと思う。


 声を荒らげるほど、僕の感情は怒りで満ちていた。内側から侵食するような赤い怒りが、神経を巡って行く感じがする。漸次膨らむその感情に僕は身を任せていた。


「殴るなり好きにしてくれ、お前の気が済むのなら」


「違うでしょ、なんで向き合おうとしないの? 僕が学校とかでいない間に、父さんが別荘なんかに居ないで姉さんを気遣ってあげられれば、末期にはならなかったはずなんだよ? いざ手遅れになったら簡単に謝って無かったことにしようとして逃げようとするなよ!」


 怒りが爆発して、爆発しすぎて、目には涙が溜まっている自覚があった。


 悔しいよ。こんな親が僕の親で。


 こんな親から姉さんを守れなくて、不甲斐ないよ。


 自分の人生観を僕や姉さんに押し付けて、ただのエゴで僕らの人生を振り回して。


「目を逸らそうとするなよ! 耳を塞ごうとするなよ! 現実ちゃんと見ろよ! 申し訳ないと思ってるんなら、自分でそれが罪だと感じてるんなら、ちゃんと償えよ!」


 喉が痛い。


 こんなに声を出したのは初めてだ。


 だが、誰かが言っていた。


 怒りは、自分を動かす最大の原動力になる、と。





「これ以上、悲しいことが起こらないように、僕達は現実見なきゃいけないんじゃないのかよ!?」


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