白き夏、黒き影・3
優しさが痛い
『自分勝手』──最初に茉姫奈が言って、そして昨日茉姫奈を倣って僕も言ったことが、今日になってそのまま返されるとは思わなかった。
自分勝手の押し付け合い、最初は億劫なもので、鬱陶しいと感じていた茉姫奈の自分勝手も、すこしキラキラして見えた。
生産性もクソもない自分の人生と比べたら惨めになって来るような、光り輝いている彼女自身に胸焼けがしてくる。
子供の頃の僕のように繊細で、感受性が豊かな人間で、人の仕草、声、喋り方、目の色、感情全てに憧れている時。だけど、今の僕は変えられない現実と理想の間で今も溺れ続けていた。
公園に1人佇んで、無言で座りながらその公園で遊んでいる年齢が変わらないだろう子供達が無邪気に遊んでいる姿を目に焼き付けて離さなかったあの頃。
全てがキラキラと輝いていた。汚い世界を知る前の美しい自分。
何もかもが満たされていて、世界の汚さと、人の冷たさを知らなかった自分が、今じゃ何ににも期待をできない、温もりを忘れてしまった人間だ。
世界を綺麗に生きている茉姫奈は。
これからもずっと、死にたいだなんて、思うことなんてないのだろう。
「······きっとさ、玲依は自分を信じてないんだよ」
「それは、ずっとそうだよ」
「自分を信じれないなら、無理にでも自分を信じないと、ずっと同じ世界だよ」
何回も言われてきたであろうその言葉。
自分を信じろ。
1番簡単そうに見えて、1番難しい行動だ。
ずっと生きる事に息苦しさを感じていた僕が、少し息がしやすくなったとはいえ、その言葉を飲み込む事はまだ出来なかった。
言葉が大きすぎて、飲み込もうとしても本能が拒絶する。
壁から手を離し、茉姫奈はおもむろに僕の手を握って、再び静寂が訪れた廊下を切り裂くように口をまた開いた。
「でもさ····偉いよ、玲依は」
「いきなりどうして」
「玲依の事だもん、私との誤解を解くために玲依が今までされてきた事言ったんでしょ?」
「····うん」
「それってさ、すごい悩んだ末に言った結果だよね。同情して欲しいとかじゃなくて、自分の本心から出たんだよね」
「····そうだと思う」
「そうだと思うじゃなくて、そうなんだよ。君は優しい人だって知ってるから」
「······」
違うよ。
優しいのは僕じゃなくて君の方だ。
「私は、悩みとかあっても、多分人には言えないで自分で塞ぎ込んじゃうからさ、玲依は言える勇気があるっていうだけで、自分を信じる事が出来る材料になるんじゃない?」
そういう所が、優しすぎて僕は押し潰されそうになる。
茉姫奈に握られた手は温かくて、冷たくなくて、ちゃんと生きていて──ただ人生のレールに任せて息を吸っている僕とは違って、言霊に乗せて僕の心を軽くする意志を持っていた。
皆はそれを知らなくて、そんな事なんて僕からは言えなくて、茉姫奈と同じで今まで言えなかったから。
変わったのは僕じゃない。
「僕は──」
僕の言葉を制止するように茉姫奈は笑みを零しながら言った。
「もうさ、下校時間過ぎちゃってるから一緒に帰ろ? 那由には私から言っておくからさ」
茉姫奈は那由さんが通った道をゆっくり歩き出す。
人と一緒に学校から帰るのは初めてで、どんな対応をしたらいいのか分からないけど、僕は茉姫奈の言われるがままにバッグを持ってその後ろに付いて行った。
「一緒に帰ろう」
薄暮の夕陽に照らされて恥ずかしそうに言った茉姫奈の笑顔は、何故か遠くを見つめているような気がした。
そのまま何事もなく茉姫奈と一緒に下校して、家に着く。女性と話す環境が出来てしまった以外は普通で、昨日とも形容できる今日にまたドアを閉めて、そして戸締りをした。
家はやけに静寂に満ちていて、夕焼けが所々影を作っていて薄暗い場所が出来ていた。
静かなのは、多分母さんが物音を立ててないからだ。
確か昨日、母さんが僕がいない間に施設に送られたって言っていた、僕はその時援交をしていたのかと勘違いしていたが、母さんを施設の人に送り届ける手続きをしていたのだろうか。
多分、今姉さんは寝ている。
僕が学校に行った後に課題や、自分のすべきこと(援交も然り)をやった後は、夜になるまで部屋から出てこないのだ。
姉さんも色々ストレスが溜まって疲れていたのだろう、だからうつ病の施設に母さんを移したのだと思うし、父さんとも決めたんだろうか。
『仁美は、もう駄目だな』
という言葉が憎たらしく頭の中に反響して目を眇めた。
黒い感情を押し殺しながら靴を揃えて、リビングを通り、階段を上がって真っ先に自分の部屋に向かう。
自室の時計を見たら5時前で、それまで寝ようと思い、制服をハンガーに掛けて、普通の部屋着に着替える。
そのままベッドに潜り込んで目を閉じようとした時に、突然ラインがなった。
茉姫奈からなにか来たのかなと思って携帯の電源を入れたら、通知の上には「那由」と書いてあった。
「····?」
ラインを開いて、文面を確認する。
『今日のことで、電話したい』
僕は那由さんの連絡先を入力してなかったのに、僕のラインを知っていた。
『分かった』
とだけ入れて、那由さんの返信を待った。
脳裏には少し前のいざこざが浮かんで、緊張で心臓が早鐘を打っていた。
すると、そのまま電話が掛かってきて、着信主は『那由』と書かれている。震えそうな指で受話器のボタンを押して、恐る恐る口を開いた。
「もしもし」
『玲依君? 聞こえる?』
「はい、聞こえ····ます」
『いいよ敬語じゃなくても、同級生なんだから』
「あ····うん、分かった····」
予想していた事ではあるのだが、全く話す内容が見つからなくて、内心は酷く焦っていた。
だけど、さっきの事は謝らなければ、先に進めない気がした。
「あの、さっきの事は──」
『ごめんね』
那由さんから放たれた予想外の言葉に、一瞬、頭が混乱した。




