19:沼人
『亀も兎も関係ない。走らない奴に勝ち目なんてないんだよ』
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「それで、何を知りたいの? 言っとくけど、私だって本当に何もかも知ってるわけじゃないわよ?」
ユウから青い本に書いてある内容を一通り聞き出したリリィは、頬杖を突きながら隣に座ったユウを見た。
まだ痛む頭を撫でながらハムサンドをかじっている。
(ロゼッタストーンだけならまだしも、まさか勢力戦についてまで知ってるとわね……。完全に予想外だったわ)
誰かが入れ知恵をしたのは間違いないだろう。
それが直接なのか、あるいはこの『青の預言書』を介してなのか。
(この子に腹芸が出来るとは思えないし、こっちの可能性が高いわね……)
今はリリィの目の前にある青い本。
これは間違いなく女神教で『白の預言書』として扱われているのと同種のアーティファクトだ。
各陣営が一冊ずつ持ち込むことができ、コストを支払うことで神が文章を記すことが出来る。
その都度の指示をするために使えば預言書、知識の伝授に使えば魔導書などと呼称されるが、使い方に関して強力な制約があるわけではない。
だがそこにループ前の記憶を残すという使い方は、リリィも初めて見た。
(因果律もつけてあるのね……。書いた本人以外には見えないようにしてあるのは、上がった分のコストを相殺するためかしら……って、あれ?)
情報を伝える道具として使用される預言書において、書いた本人にしか読めないというのはかなり大きなディスアドバンテージ、つまり不利な要素だ。
そんなことを考えながら青の預言書を左手で持ったリリィは、それ以上に重要なことに気がついた。
(これ、神自身まで対象になってるじゃない?!)
青の預言書に書き込まれた記述。
書き込んだ本人以外は、たとえこれを用意したであろう『青』の神本人であっても読むことはできないということだ。
リリィの経験から言って、これはにわかには信じ難いことだった。
これでは、いよいよ本当に忘備録としての使い方しかできないではないか。
(いったい何のために……。まさか、コスト転嫁?)
コストの転嫁。
俗にそう呼ばれているテクニックがある。
わざとデメリットを背負うことによってコストを浮かせ、その分のリソースを他のところで使うというものだ。
先にデメリットの方を発生させないと使えないという制約はあるが、この方法を使えばその分だけ他のところで大きな力を使うことが可能になる。
(でも……)
それでもまだ違和感は拭えない。
なぜなら、例えここでコストを転嫁をしたとしても、稼ぎ出せるリソースは高が知れているからだ。
あるいは、片っ端からリソースをかき集めなければならないほどに大きなコストが必要となる行動を取ろうとしているだろうか?
先日、ちょうどこの場所でオリヴィエから聞いた『青』の勢力。
他の世界群からやってきたと思われる彼らがいったい何を考えているのか。
リリィにはその意図を掴みきれなかった。
「――ィ? おーい、リリィ?」
「――!」
気がつけば、物思いに耽っていたリリィの目の前でユウが手を振っていた。
「ああ……。ごめんなさい、ぼーっとしてたわ。それで? なんだっけ?」
「だから、俺がコピーだって言う話。」
「ああ、そのことね……」
リリィはため息とともに頬杖を付き直した。
本当のことを話して楽になりたい衝動が彼女の背中を押す。
「……ロゼッタストーン。それがゴーストロッドを修復するための福音なのよ」
「……?」
ユウはリリィの言葉の意味が理解できずに首を傾げた。
自分のコピーの話だったはずだ。
それがなぜゴーストロッドの修復の話につながるというのか。
「その福音を発動すると同時に保有者は石の中に封印されて、代わりに本人そっくりのコピーが生成されるの。……それがアンタってわけよ」
「石の中……」
しかし彼女の言葉を聞いて湧いてきた疑問はいくつもある。
まず真っ先に思い浮かんだのは、ゴーストロッドのあった部屋で見た石の中の人間だ。
リリィの言葉を信じるのなら、自分そっくりの姿をしたあれが本物の自分だということになる。
「ちょっと待て。でも……、俺は記憶もあるし……。」
むしろあの石の中にいた方がコピーじゃないのか?
そんな考えがユウの中で支配的になる。
だがそれも直後のリリィの言葉でかき消された。
「記憶もコピーされるわ。……自分がそうだとは気が付かない程度にね」
リリィは少し気まずそうに視線を逸した。
「そんな……。だって俺は元の世界から転移して……。」
「それは本物の遠武優の記憶よ。少なくともオリジナルの方が別の世界から転移してきたのは事実だから……。アンタが勇者の加護を持ってないのと、にも関わらずこの世界の言葉にだけは苦労しないのもそれが理由。勇者の加護はあくまでも本人とは独立してるからコピーされないけど、言語能力は本人に自動習得させる形だから、それだけがコピーされたのよ」
じわじわと。
現実感がユウの背中を這い上がる。
「それに……」
リリィは続きを言おうとして言い淀んだ。
続きの言葉が喉に引っかかって出てこない。
ここから先はこれまで以上に言う必要は無いし、言わない方がいい。
もう一線は十分に超えてしまっている。
これまで通りにサンドイッチを摘みながら呑気な話をすることは出来ないだろう。
だが仕事ならもう果たしたはずだ。
関係を悪化させるような言葉をこれ以上発する必要はない。
理由はどうあれ、経緯はどうあれ、そして立場はどうあれ、彼女もユウのことを気に入っているのだから。
「なんで、そんなことを……。」
そしてリリィが続きを話すよりも先にユウが口を開いた。
その言葉は震えている。
「……コストを払えなかったからよ。アインスはまさかゴーストロッドを壊されるなんて思ってなかったから、ノーリスクでゴーストロッドを修復する福音を作るためのポイントを確保してなかったの。だからデメリットを付けてコストを落としたのよ」
ユウは自分の背後で誰かが嗤っていると感じた。
それはあまりにも高すぎる支払いだったな、と。
しかし今のユウにそれを気にしている余裕はない。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
ユウは思わず叫んだ。
幸いに周囲には誰もいない。
「そんなこと言われたって――。……?」
受け入れられるわけがない。
そう言おうとした直前、ユウはある事実に気がついた。
「……なあ、リリィ?」
「……何?」
ユウの唇が震える。
だが確認しておかなければならない。
「本物の俺は……、女神教だったのか?」
「……違うわ。壊しに来た側よ」
ユウが何を確認しようとしているのかを即座に察したリリィは、諦めたように答えた。
つまりエル・グリーゼが最初にゴーストロッドを壊しに行った時、”本物の遠武優”もそこにいたということだ。
ということは――。
それを理解したユウの背筋が、ついに凍りついた。
しかし現実を見なければならない。
辿り着くべき結論は一つだけだ。
これまで時折感じていた僅かな違和感の正体。
誤解や思い違いだと言ってしまえばそれで済むような些細なやり取り達。
ステラがなぜ自分のことを”ユウくん”と君付けで呼ぶのか。
しかし確かにそれが答えだった。
それを前提として思い返してみれば、そのやり取りの全てが違う意味になる。
つまり――。
リアも。
ラプラスも。
エル・グリーゼのみんなも。
そしてステラも。
――他のみんなは、自分と出会う以前から”本物の遠武優”のことを知っていたということだ。




