15:政争の具
『完璧な組織など無い、夢はみるな』
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「なるほど、二千五百ですか。なかなかの規模ですね」
執務室で報告を聞いた初老の男、女神教の教皇グレゴリアス三十五世は顎を撫でた。
傍らには報告したシルヴィアが立っている。
女神教の精鋭部隊ホーリーウインドに属する彼女は、福音ハイドアンドシークの使い手だ。
自分の姿を時間無制限で見えなくすることができるその能力は偵察任務にうってつけである。
「数で言えば王都にいる王国軍だけでも対応は可能。しかし魔族の基礎能力の高さをどう評価するか……」
過去の文献に人間と魔族の戦力比について分析した物はない。
つまりそれだけ昔から魔族は奴隷として扱われていたということだ。
「聖下、ノワルア国王から封書が届きました」
少し慌てた様子の男が手紙を持って入ってきた。
普段は滅多に連絡など寄越さない国王がこのタイミングで送ってきたなると、その内容の方向性は読まずとも想像がつく。
具体的にはどんな要求をしてきたのだろうかと見当をつけつつ、教皇は無言で封を切った。
「ふむ、魔族討伐への参戦要請ですか……。あの国王も慎重というか臆病というか」
「断るのですか?」
シルヴィアが口を挟んだ。
封書を持ってきた男とは違い、ホーリーウインドかつ福音持ちの彼女はそれが許される立場である。
「いえ、受けますよ。確かに女神教としても放置できない案件ですからね。ついでに恩を売っておくのも悪くはない」
魔族軍がアスクを占拠してから数日後。
こうして王国軍と諸侯軍、そして女神教軍からなる魔族討伐軍の派遣が正式に決定された。
その急先鋒として選ばれたのは、もちろんホーリーウインドである。
★
「いよいよ来たか……」
魔族軍のリーダーであるアズは、街の南西で一番高い建物の上から王都ノワルアの方向を見ていた。
視線の先には魔族討伐軍、つまり人間達が展開している。
「……」
アズの横で一緒にそれを見ていたドルはおもわず息を飲んだ。
敵の数は街の外に展開した味方よりも明らかに多い。
目算で二倍といったところだろうか?
「やっぱり逃げた方がいいんじゃねえのか? これ」
退却に一票を入れたのはアーガという少年だ。
アズ、ドルとは幼少の頃からの付き合いで、普段からよく一緒にいる。
「できればそうしたいけどな。今から下がったんじゃ後ろからやられるだけだ。くそっ、ハウルの言う通りにしとくんだった。まさかこんなにいるとは思わなかったぜ……」
生まれた頃から奴隷だった彼らはこの世界のことをよく知らない。
知識もなければ教育らしい教育だって受けてはいないのだ。
そのため、この世界にどれだけの人間が生きているのかすらもまったくわかっていなかった。
二千五百の軍勢は彼らにとって無敵と錯覚にするに十分な数値であり、まさか王都だけで自分達の倍の軍勢を簡単に用意出来るなどとは、夢にも思わなかったのである。
「とにかくここまで来ちまったんだ、腹くくるしかねぇな」
ドルはアズの言葉に曖昧に頷くことしかできなかった。
ブォオオオオオ!
「おい、角笛が鳴ったぞ!」
目に見えて動揺する魔族軍。
対して職業軍人達で構成された討伐軍側は冷静に前進を開始した。
「ビビるんじゃねぇぞ! 一人一人の力なら俺達の方が上なんだ! 先祖の分までここで借りを返してやろうぜ!」
建物を飛び降りて魔族軍の戦闘に立ったアズが仲間達に向かって叫ぶ。
「おお!」
「そうだ! お袋の仇を討つんだ!」
「俺は親父と爺さんの分だ!」
「人間どもをぶっ殺すぞ!」
アズの言葉を聞いた魔族達の士気が急上昇し、目前に迫った死の恐怖を人間に対する怒りが上回る。
それが果たして指揮官としての天性の才と呼べるものであるかは別としても、その言葉はこの時の彼に取れる行動の中でほぼ最善と呼んて良いものだったのはまず間違いないだろう。
「お前ら覚悟はいいな! いくぞ!」
建物から飛び降りたアズは先陣を切って敵の方向に走り始めた。
それを見た他の魔族達も血気盛んに駆ける。
「おっしゃあ!」
「お袋の墓に人間の首を供えてやるぜ!」
「土産は敵の肉だぁぁぁ!」
彼らの中にまともに指揮官を務められるような人間は一人もいない。
教育らしい教育など、せいぜいが長老の話を聞くぐらいなのだから当然だ。
隊列もクソもなく、二千五百人が雑多な一団となって正面から突っ込んでいく。
それを見た討伐軍の指揮官は鼻を鳴らした。
「フン、所詮は猿と変わらぬ下等生物か。進軍を停止! 定石通りに前衛で止めて後衛から弓と魔法を腹いっぱい食わせてやれ! いつも腹を空かせているそうだからな!」
指示を伝える角笛を聞いた討伐軍は前進を止めると、槍と大盾を持った前衛は腰を低くして衝撃に備えた。
勢いを止められた敵に撃ち込むべく、後衛は弓を構え、魔法の詠唱を始める。
「女神教の連中は?!」
「ハッ! 我軍の後方を回り込んで敵の左翼を突こうとしているようです!」
指揮官が討伐軍の後方を確認すると、女神教の集団一千人が一糸乱れぬ動きで移動を始めていた。
その極めて統制の取れた行動は魔族軍とは正反対だ。
中団後方付近には指揮官らしき少女が犬のような大型の四足獣に乗っている。
周辺を固めているのは白地に青と金、つまりホーリーウインドだ。
その少女自身も金色の入ったローブを着ている。
「あのアナスタシアとか言う小娘め。教皇の威を狩るだけかと思ったが……。やはりホーリーウインドだけあって油断ならんようだな」
義勇軍という名目で参加した女神教軍を任されているのはアナスタシアである。
この規模の指揮官を任されるにはかなり若いが、集団戦を得意とする福音マーダークイーンの使い手であることから抜擢された。
もちろん彼女自身が非常に優秀だということもある。
少なくともホーリーウインド内で彼女の実力に疑問符を付ける人間はいない。
おまけに護衛として白兵戦ならホーリーウインド最強と目されるサントスがついていれば尚更だろう。
ハイドアンドシークで姿は消しているがシルヴィアも横に控えている。
「正面の部隊が食い破られる前に敵の側面を突きます! 全速前進!」
アナスタシアは四足獣の手綱を持ち替えながら敵軍を睨みつけた。
視線の先では降り注ぐ魔法と弓を潜り抜けた魔族達が、待ち構えている王国軍にいよいよ食いつこうとしているところだ。
「――オラァ!」
ドッ! ガシュ!
「ぎゃ!」
文字通り先陣を切ったアズが王国兵の盾を蹴り飛ばして剣を突き刺した。
他の魔族達もそれに続いて待ち構える槍の中に突っ込んでいく。
「何だこいつら!」
「くそっ!」
予想外の打撃力の高さに、五列に並んだ前衛の最前列は一気に恐慌状態手前まで追い込まれた。
しかし魔族達も二列目までを突破することはできず、そこで勢いが止まる。
「慌てるな! 冷静に撃ち落とせ! 隙だらけの素人だぞ!」
前衛部隊を任された隊長から激が飛ぶ。
「一対一になるな! 複数で押し返せ!」
「人間相手に怯むんじゃねぇぞ!」
双方の怒号が飛び交う乱戦。
「くそっ! 手強い!」
「隊長! あれを!」
隊員の一人が魔族軍の側面から近づく女神教を指差した。
四足獣の上では、指揮官のアナスタシアが杖を構えている。
「皆さん! いっきますよぉー! マーダークイーン!」
福音『マーダークイーン』。
それは特定の相手への攻撃衝動を植え付けると共に、身体能力を強化する。
一人当たりの強化は特筆するほどでもないが、効果対象数には制限がないため、今回のように大人数に対する補助を得意としている。
「ウォおおおおおっ!」
「女神様ばんざぁぁぁぁああああああいっ!」
「悪魔を殺せぇェェェェッ!」
正面の部隊に襲いかかっていた魔族達に対し、今度は女神教の僧兵達が側面から食らいついた。
ガシュ! ドシュ!
「うわっ!」
「何だこいつら!? 強いぞ!」
マーダークイーンによる強化幅は女神アインスへの信仰心に比例する。
そのため女神教の僧兵、特にホーリーウインドに関してはその身体能力が魔族同等まで強化されていた。
身体能力の優位性が無くなってしまえば、訓練を受けた女神教軍が質的に上になることは言うまでもない。
「アズ! 後ろの味方がやられてる!」
「なんだと!」
意識が正面の部隊に集中していたということもあって、陣形的にも魔族は非常に分が悪い。
魔族側優位に傾きかけた戦局がこれで一気にひっくり返った。
「女神教の小娘め……。やってくれるな」
討伐軍の指揮官は舌を打つ。
この世界における軍事の常識でいえばありえない展開であるし、実際にマーダークイーン無しでは実現しなかったのだから当然だ。
しかし味方が助かったのは事実だが、それが女神教によるものというのは面白くない。
彼らが高い軍事力を有しているという認識が広がれば、それはそのまま王国軍の影響力低下につながるからだ。
(向こうもそれが狙いだろうがな……)
指揮官の視界の先で女神教に次々と狩られていく魔族達。
もはや完全に政争の具でしかなくなった彼らが無残に敗走するまでには、それから一時間も掛からなかった。




