10:アホの子ほどかわいい
『”円満な男女の別れ”というのは矛盾の現代的表現と言っていいのではないだろうか』
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十七日の昼、つまりユウ達がアスクの街に到着した日。
リリィはいつものカフェでサンドセットを食べていた。
最後にトリップが起こってから、時間にして十日ほど経っている。
つまり明日の十八日の夜から、トリップで一週間以上前まで戻ったということだ。
(マーダークイーンとユートピア。この二つをまとめてこなすとなると、あの子には正直荷が重いわね。このままターニングポイントを全部使い切っちゃうかも……}
リリィはミルクティーを口に運んだ。
サンドイッチと違ってこちらにはあまりこだわりが無いので、レモンティーの時もあればコーヒーの時もある。
(今回は来るかしら? 来るとしたらもうそろそろだけど……、あ、きたきた)
向こう側からユウが歩いて来たのが見えた。
向こうも彼女の姿を確認したのか、早速近づいて来る。
「リリィ」
「……ん? あら、誰かと思えば。また死んじゃったのね? ご愁傷様」
話しかけられるまでユウの存在に気が付かなかった振りをしつつ、小皿に乗せたハムサンドをユウに差し出す。
実は内心で結構気にかけていることは秘密だ。
「何か飲む? ちょうど次のを買おうと思ってたところだし、奢ってあげるわよ?」
「えっと……、じゃあホットミルクで。」
ユウが最安値のホットミルクを頼もうとしたので少し笑ってしまった。
確か前回も最初はそれを頼んでいたはずだ。
「別に遠慮しないでもっと高いの頼んでもいいわよ?」
そう言って今度はメニューをユウの前に差し出す。
「うーん……。じゃあこの贅沢ミルクで。」
「結局ミルクなのね……」
てっきり金が無いから最安値を頼んだのかと思っていたのだが、どうやらそうでも無かったらしい。
まあ以前は他のドリンクを頼んでいたので、きっと今回たまたまだろう。
とりあえず二人で店の中に入る。
別にウェイターにチップを払って持ってきて貰っても良かったのだが、そういうのは性に合わないのでしなかった。
自分の身の回りのことはできるだけ自分でする。
それが一番落ち着く。
適当に話をしながら、サンドセットと二人分のドリンクを買って元の席に戻る。
ユウは宣言通りに贅沢ホットミルク、リリィはアイスレモンティーだ。
「それでターニングポイントの事なんだけどさ。残り回数ゼロで死んでも効果が発動することってあるのか?」
座るなり、ユウが話を切り出す。
「何よ急に。それなら前にも言ったでしょ? そんなことは起こらないわ」
「え? ……そうだっけ?」
「何よ、寝ぼけてんの? ちゃんと教えたじゃない。ハムサンドをあげた上にサンドセットまで奢ってあげたじゃないの。サンド絡みのことなら忘れないわよ?」
ユウは自分の記憶を辿った。
だがこの件で彼女と話した記憶はない。
「……いや、やっぱりしてないだろ。そもそも回数ゼロで死んでから会ったのってこれが初めてだし。」
「は?」
(なんか話が噛み合わないわね?)
リリィもユウの様子を見て首を傾げた。
――そう、噛み合っていない。
彼女は前回のループを基準にして話しているが、どうもユウはそうではないように見える。
まるで前回のループを全く認識していないような……?
(……なるほど、直近のトリップはこの子が原因じゃなかったらしいわね)
とりあえずレモンティーを口に入れて、リリィはユウになんと説明するかを考えた。
ユウはユウで話が噛み合わないことに戸惑ったのか、タマゴサンドを口に入れて彼女の言葉を待っている。
まるでご主人様の命令を待っている子犬のようだ。
(かわいいやつ)
そんな迷子の子犬に果たしてなんと言って説明してやるべきか。
(ひとつずつ順番の方が良さそうね。……バカそうだし)
リリィはふっと小さく笑った。
彼女には何が起こったのかおおよその見当がついている。
だが今のユウにそれを説明しようにも、余分な情報が多すぎるのは明らかだ。
「そうね……」
「ん?」
「ねえ、トリップする直前のことは覚えてる?」
「直前って……、死ぬ前ってことか? それなら……、まあ……。」
ユウは口ごもった。
覚えていないわけがない。
だが体が瞬間的にその記憶を掘り起こすことに抵抗した。
「どんなだったの?」
あまりいい死に方では無かったのだろうと感じつつ、リリィは続きを促した。
もちろん彼女はその時の内容についてはまだ知らない。
「……。ステラに……、後ろから刺された。」
「ふーん……」
ぶすっとした表情をしながら、ユウは自分を誤魔化すようにミルクに口をつけた。
どうやら最安値のミルクよりもリッチな味らしい。
リリィはその様子を保護者のような気分で見ていた。
(なるほど、好きな子に殺されちゃったわけね。)
なぜそんなことになったのか。
ユウはまだその答えに辿り着いてはいないようだが、今はその方が説明の手間を省ける分だけ都合がいい。
「それってどこでの話?」
「王都の、女神教の教会だったかな? そこの地下。」
「へぇ……。それって時期的にはいつの話なのよ? 明日? 明後日?」
「えーっと……。今からだと、たぶん一週間後ぐらいかな?」
その言葉を聞いたリリィは内心で舌打ちしたい気分になった。
なぜならそれに相当するトリップを彼女は確認していないからだ。
そもそも、そこまでこの世界の時間が進んだことすら確認したことはない。
「なんでそんなこと聞くんだよ?」
「いいから。それで、どこまで戻ったの?」
リリィは内心の苛立ちは表に出さないように注意を払った。
どうやら自分が想定していたのとは少し違う展開になっているようだ。
「……今日だ。戻ってきてからまだそんなに時間は経ってない」
「今日?」
(この子が嘘を言ってるとも思えないし……。もしかしてこの子じゃないのかしら?)
彼女が認識している直近のトリップでは明日の夜から二週間ほど前まで戻っている。
(ターニングポイント以外のトリップ能力が使われた可能性もあるわね。夜の騒動の最中にトリップが起こったことを考えると、その場合はその能力者もこの街にいた可能性が高いわ。トリップ性能はターニングポイントと同じぐらいなんでしょうけど、混線しない限りはこの子に認識できないのも無理ない――、あ、ダメだわ。それだとこの子が一週間前からトリップして来たっていう話が浮いちゃう)
「リリィ?」
考え込んだ彼女の様子をユウが伺う。
本当に飼い犬のようだ。
あるいは母親を気遣う子供だろうか?
(それが説明できるとすれば……。やっぱり記憶をいじるぐらいしか無さそうね)
リリィはユウが記憶を改変されたのだと改めて結論づけた。
直近のトリップがどの能力によるものかを判断するには情報が足りない。
「話はわかったわ。ターニングポイントの残り回数ゼロでのトリップ、確かにそれはおかしいわね」
「だろ?」
ユウは母親に話を聞いてもらう子供のように声を上げた。
だが同時に何かが引っかかるような気がする。
胸の奥にしこりが残る、そんな表現が近いだろうか?
「……その話が本当ならね?」
「え?」
「ストーリーライター。他人の記憶をいじれる福音にそういうのがあるわ。もちろんその福音の持ち主は女神教の人間よ」
「おいおい、記憶って……。俺はそんなことされてないぞ?」
彼女の言葉はユウにとって完全に予想外だ。
今のユウは自分の記憶が改変されていることなど微塵も疑っていないし、その実感もない。
(やっぱり。直近のトリップはターニングポイント以外の能力で発生したと考えた方がいいかしら?)
前回話した際にストーリーライターに関しては伝えたはずなのだが、ユウがその記憶を失っているのは明らかだった。
ということはユウ以外の人間の能力で時間が戻った可能性を疑うことになる。
「記憶をただ消去することはできないけど、上書きすることはできたはずよ? その時の記憶を上書きされたんじゃないかしら?」
「……嘘だろ? いや、でも……。」
記憶の改変。
ユウはリリィの言葉の意味を理解して疑心暗鬼になり始めた。
もしそれが本当だったとすると、いったいどこからどこまでが事実だったのかわからなくなってくる。
(ステラに殺されたのは偽の記憶なのか? いや待て、殺されたのは一回だけじゃない、この街でも殺されてる。……ってことは、王都に行った時の記憶は全部偽物? でも確かにそれならばターニングポイントの残回数ゼロで死に戻りが発生したことも説明できそうだ。)
ユウにはリリィが嘘を言っているとも思えなかった。
混乱するユウ。
リリィはそれを見ながら頭の中で考えを纏めていた。
他人が狼狽える様子を見ていると逆に自分は冷静になれるから不思議なものだ。
(トリップは明日の夜から……、確か十日前ぐらい戻ったはず。それを認識できていないってことはそれよりも後に記憶を上書きされたわけね。……違うわ。この子は自分が今日に戻ったって思ってるわけだから、上書きの対象になったのは今日までの記憶。ってことは接触したのはそれ以降、つまりこの数時間ぐらいの間ってことじゃない)
ストーリーライターが作れるのはあくまでも過去の記憶であって、未来の経験を誤認させるようなことはできない。
つまりユウに偽のトリップを認識させるには、戻ってきたとされる時間以降にストーリーライターを使う必要がある。
だとすると、ここに来る少し前に福音持ちと接触したはずだ。
(あれもホーリーウインドだったかしら? 普段は王都にいるはずだけど……)
時間的に考えれば接触は間違いなくこの街の中だ。
(確かU&B向けの部隊には入っていなかったはずだけど、どこかの組織に潜入してる可能性もあるわね。……王都にいる間に所在の確認ぐらいしておくんだったわ)
仮定の上に仮説が重なっていく。
だが少なくともストーリーライターの能力で周囲の記憶を上書きしてしまえばそれは十分可能だ。
(あんまりそういうことをするようなタイプには見えなかったけど……。いるとすればこの子にかなり近い位置。レッドノート家に……、確かエル・グリーゼだったかしら? その中に紛れ込んでる可能性が高そうね。他にもMAとU&Bのスパイに……、後はあのバカもか。二十人もいないぐらいだっていうのに、あの規模の組織でどれだけ不穏分子取り込んでるのよ……)
リリィは目の前の少年が酷く不憫に思えてきた。
周囲は敵だらけだというのに、その上まさか数少ない味方の中にまで敵性の人間が何人も潜んでいるとは思っていないだろう。
弱者が強者の論理の犠牲になるのが世の常とはいえ、流石に限度というものがある。
(……知ってて手を差し伸べない私も同罪か)
自己嫌悪。
その時、考え込んでいた彼女の目の前でユウは手を振った。
座ったままでは届かないのでテーブルの上に身を乗り出している。
「おーい、リリィ? ……まさか、目を開けながら寝てるのか? そんな地味に高等なテクニックを……。」
「うるさいわね、ちゃんと起きてるわよ」
自分が真面目に同情してやっているのにどうして当の本人がこうなのかと、リリィはついに苛立ちを顕在化させた。
残っているサンドをまとめて全部口に突っ込んでやりたい気分だ。
しかし、だからこそ救われる部分もある。
世の中には知らない方が幸せに生きられるということも多い。
もしもユウがもっと賢ければ今頃どうなっていたか。
(人間不信……、だけじゃ済まないでしょうね)
「へ?」
リリィはユウの頭を撫でた。
テーブルに身を乗り出したまま唖然とするユウ。
「アホの子で良かったわね」
「え? ……リリィが?」
「……アンタがよ」
リリィは頭を撫でていた手で軽くチョップした。
(あら?)
その時、リリィは視界の奥にステラ達がいることに気がついた。
ピンク色の髪の少女がこちらを見て固まっている。
(これは……、また修羅場の予感がするわ)
リリィは急いでここから逃げ出すことを即断した。
「ま、とにかく証拠は何もないわ。全部私の想像よ。でも少なくとも直近のトリップは明日の夜から十日前ぐらいまで。それは間違いないわね」
「明日の夜……。ってことはやっぱり俺が王都に行ったのは偽物の記憶だってことか?」
「さあね。もしかしたら予知夢とかかもしれないわよ? どこかにそんな福音持ちがいるのかも」
「そう言われてみれば……、戻ったときは寝てた気がする。なんか眠かったし。」
「考えたってしょうがないわ。死んで後が無いと思ったんでしょ? 生きていられて儲けたと思っておきなさいよ」
リリィはそこまで話すと立ち上がった。
視界の隅から送られてくる怨念めいた視線。
これ以上長居すると『彼女』に睨まれるだけでは済まさそうだ。
「私はそろそろ行くわ。まあ無理せず頑張りなさいな」
「え? ああ、うん。」
ユウはまだ背後のステラ達に気がついていないらしい。
(ま、あの子ならこれぐらいはなんとかなるでしょ)
リリィはこっそりとこの場をユウに任せ、足早に立ち去った。
いや、ここは逃げ去ったという方がより適切だろう。




