第4話 惑星大爆発
不意に、貨物船の窓の向こうが明るくなった。
M01クルーの面々は窓の向こうに視線を投げて、艦長の借金のことをしばし忘れ、そして息をのんだ。
光は惑星ムリレスの地表から発していた。
母なる惑星を縦断する巨大なひび割れが、真っ白な閃光を迸らせている。
ひび割れは縦横にどんどん広がっていき、ついにムリレス全体を覆い尽くした。
もはや職業病だろう。「惑星表面に異常発光を確認」と、誰かが報告するのが耳に入った。
異常な光が首都ラディアを縦横に引き裂いた瞬間、誰かが「ああっ!」と声を上げた。
その声はひとりのものではなかった。この場の全員のものだった。
声を上げなかった者も、心の中では悲鳴を上げていたからだ。
発光は見る間に強くなり、その色は赤く変化していく。
緊張が極限まで高まったそのとき、惑星ムリレスの、地表の表面が剥がれ落ちるのが見えた。
それはほんの一部分の崩壊としてはじまったが、次々に連鎖していく。
「ムリレスが……壊れる……!」
次の瞬間、惑星は一気にひしゃげた。
あまりにも非現実的な光景だった。
まるで卵の殻を押し潰すように、ひとつの惑星の形が崩壊していく。
間髪入れず、惑星ムリレスはその中心付近から爆発した。
誰にも何もできない。できようはずもない。ただ、高度50,000キロから呆然と見つめているしかなかった。
貨物船内の全てのアラームが鳴り響き続けている。
「いったい何が起きてるんだ!?」
「て、テラフォーミング施設の事故とか?」
「そんな規模じゃないだろ!」
ムリレス中央宇宙港管制が発するアナウンスが爆音で飛びこんでくる。
『こちらムリレス中央宇宙港管制、緊急事態を宣言します! 係留中の全艦艇は緊急退避態勢へ移行! 惑星接近側の船舶は全速で退避、出港可能な船から順次離脱してください。繰り返します、こちらムリレス中央宇宙港管制、これは訓練ではありません――』
経験十分なM01クルーたちも、混乱の極致にある。
誰にも何が起きているかわからない。
わかるはずがない。どのように行動すればいいかもわからない。
しかし、この場を何とか切り抜けなければならない――。
この混乱の極致で、そう考えていた者がいたとしたら。
それは東副長だった。
彼は『ムリレスが爆発した』という信じられないような事象からいちはやく意識を引きはがすことに成功した一人だった。
そして宇宙軍の軍人として、M01の副長として、即座に行動せねばならないという責務を思い出した。なぜなら――ここにいる全員の中で、その資格を有しているのは自分だけだからだ。
艦長は、トーリ・朝霧は、誰がどう見てもお飾り艦長だった。
彼は上層部に祭り上げられただけの若者だ。
それが宇宙軍での彼の評価だったし、かつ正当な評価だということも、つい先ほどの借金事件で明らかになったばかりだ。
六百億という並外れた金額に度肝は抜かれたが、しかしそれでも、ストレスから醜態を晒した愚かな若者でしかない。
艦長ができないのなら。
―—副長である自分が指揮をとらなければいけない。
けれど、あたりを見回したそのとき、その心はくじけた。
窓の外には、崩壊したムリレスから放出されたおびただしい量の海水と破片が、宇宙港に迫り来る絶望的な光景が広がっていた。
クルーは混乱し、誰もが我を失っている。
まずは彼ら全員を正気に戻さなければいけない。
——でも、どうやって?
見当もつかなかった。
ひどく重たい荷物を両肩に感じたそのときだ。
はっきりと声が聞こえた。
「係留解除。主機全開、緊急離脱。ムリレスから最大距離を取れ」
決して大きくはないが、はっきりとそう言う声が聞こえた。
不思議だった。誰もが泣き叫んで怒鳴りあっており、あらゆる警告音が鳴り響いて、決してやむことはない。
それなのに、ほんの一瞬だけ、そこで発生した声だけは、この部屋のどこにいても届く。そういうタイミングを縫って声を発した者がいた。
東副長をはじめとする全員が、その声を発した人物を見る。
痩せた青年だった。こんなに痩せていただろうか、と東は思った。
軍服ではなくつなぎ姿で、変装用の帽子を手に、そこに立っている。親譲りの黒いまなざしを、じっと窓の外に向けて、爆発する母星を見つめている。
トーリ・朝霧はただひたすらに観察し続けている。
「聞こえなかったか。係留解除。主機全開、緊急離脱。ムリレスから最大距離を取れ」
「艦長……!」
「東副長、できないか? 命令に従えないなら理由を述べよ」
ひどく平板な声だった。
「いえ、従えない理由はありません」
「では――復唱せよ! 係留解除、主機全開、緊急離脱! ムリレスから最大距離を取れ!」
鞭のように放たれた声が、空気を震撼させる。
波が届いた瞬間、全てのクルーたちが我に返り、己が誰であるかを思い出していく。自分たちが船の一部であることを。
「……復唱いたします! 係留解除! 主機全開! 緊急離脱!」
「総員配置につけ! この船の通信装置はどこだ!?」
「艦長、こちらです!」
トーリ・朝霧は艦内インターホンに取りついた。
「こちら艦長! 艦内にいるM01クルーに告ぐ! 本艦はこれより緊急発艦準備に入る。そして準備出来次第、中央港からの緊急離脱を試みる! M01ではなく、この船で! 誰がどこにいるかわからないから個別に命令はしない。各自が自身の職務に忠実なプロフェショナルであることを望む。手の空いているものは、民間人の誘導に当たれ! 可能な限り積み荷を捨て、人を乗せろ!」
「艦長、M01には戻らないのですか」
「戻らない。戻れない。数分でここは地獄になる。避難民が押しよせるぞ。軍艦は軍関係者の避難で手一杯だ。カーゴハッチを全開にしろ! 俺たちは民間人を乗せられるだけ乗せて離脱する!」
あと数分で地獄になる、という見込みは瞬く間に予言になった。
ムリレス崩壊からおよそ十分後、噴出した惑星の破片がデブリとなり、第一群が中央宇宙港に到達した。宇宙港はすぐさまシールドを展開し、迎撃態勢を整えるが、とてもではないがもたない。
何しろムリレスという惑星そのものに襲われているのだ。
破片の数があまりにも多く迎撃しきれず、さらに破砕されたデブリが衝突しあい、数えきれないほどの破片群となり、死の嵐となって港に降り注いだ。
直撃を食らった施設が粉微塵に粉砕され、停泊中の船舶を貫いて炎を上げる。大型の破片が居住モジュールを押し潰しながら吹き飛ばしていく。燃料設備から火の手が上がり、逃げ惑う人々を襲って片端から焼き払う。
『中央宇宙港管制より全船舶へ。全船舶は係留を解除。航行可能な艦は自力で退避せよ。繰り返す。中央宇宙港は破棄されます。これが最後の通信です、どうか、どうか一人でも多く無事に脱出できることを――……』
管制からのアナウンスは途中で断絶した。
通信装置が破壊されたか、それとも。
個人的な最後の願いは、ものの数秒で叶えられない祈りとなっていく。
現在、宇宙港の全ての船が港からの脱出を急いでいるはずだが、管制の機能が失われた今、それはとてつもなく難しい。地獄に底は無い。
トーリ・朝霧たちが乗りこんだ貨物船も状況は同じだった。
いや、もっと悪いかもしれない。貨物船のオリジナルメンバーはこの船に戻れなかったようだ。M01クルーたちは未知のオンボロ船に取りついて、あちこちで怒声を上げ続けていた。
「主機関、なんとか起動しました!」
「電力系統!」
「一部死んでます!」
「航法システム、起動——でも現在地がわかりません!」
「通信系、電波障害でいかれてます」
「小型の携帯無線機を発見! 優先度高いところから配ります」
「艦長、民間人が押しよせています! 居住区角からあふれてます」
「貨物区画に押し込め、入りきらないなら通路に詰めろ!」
ブリッジには種々様々な悲鳴が集約されていく。
そのどれもが、次の瞬間には断末魔に変わってもおかしくない危険性をはらんでいる。デブリは絶えず飛来し宇宙港を粉砕し続けており、それが今いるポートを吹き飛ばさないという保証はどこにも無い。
振動と爆音と「次はここかもしれない」という圧倒的な恐怖、死に方すら選べない絶望に耐えながら、ただただひたすらに幸運を祈り続けるしかない。
「ラッチ解除!」
「解除できません!」
「もう一回!!」
「解除できません!!」
「港を吹き飛ばしてでもいい、解除しろ!!」
そして最も断末魔に近い悲鳴がこれだった。
宇宙港側は全船舶の係留を解除しているはずだが、自動解除装置がいかれているのか何なのか、港が船を手放してくれない。どれだけ貨物船側の準備が整おうとも、港との接続が解除されないのであれば、共倒れを待つのみだ。
「船舶側に非常事態用の破断機構があるはずだ。東副長、ドローンで探せるか」
「やっております、艦長。それらしい物理レバーを発見しました。位置を整備班に指示します」
無線機での整備班とのやり取りを東と変わる。
そのとき、視界の端に、床に投げ捨てられていたレンチが宙に浮くのが目に入った。それを皮切りに、食べかけのスナックの袋やらマニュアルやら、固定されていない雑多なものが浮き上がり、天井に吊られた交通安全のお守りが揺れた。
重力が失われつつある。
星の死だ。
帰るべき場所が無くなった。その現実はもう目の当たりにしていたが、実感したのはこの瞬間だった。誰もがそれを悟り、しかし口に出すことはできず、歯を食いしばって耐える。
軽い衝撃音が聞こえた。
係留を解除する火工式ボルトに点火したのだろう。
しかし、整備班からの通信を受ける東副長の渋面は、それでも解除されない。
「——一番、二番、係留解除を確認。三番解除できず。艦長、三番のみ解除レバーが右舷後方にあります」
「なんで?」
「船主に聞いてください」
「わかった。整備班は忙しい。一番ヒマな奴に行かせろ。つまり、それは俺だな」
「艦長!?」
東副長が咄嗟に手を伸ばしたが、その指先は宙を掻いた。
艦長は固定された座席の座面を蹴り、無重力を泳いで操舵席に近づいた。
金髪頭の主席操舵手は周囲の混乱や港の惨状とはまるで無関係に、平静そのものの様子で舵に手を置いていた。
「半田、この船どうだ?」
「さんをつけな、デコすけ借金野郎。この船は飛ぶよ、艦長」
「半田さん、操艦は任せる」
「おう。これは勘だけど、すぐに出ないとそろそろ死ぬぞ」
「半田の勘は当たるんだよなあ」
追いすがる東副長の手を巧みにかわし、トーリ・朝霧は無線機をひとつ担ぐと通路に出た。
『艦長! ご案内します!』
艦長をブリッジに留めておくのはついに諦めたのか、東副長が操るドローンが文字通り飛んで来た。
飛行体の下部に取りつけられたハンドルを掴むと、ドローンは速度を上げた。
報告通り、貨物船の内部は通路まで避難民でごった返していた。負傷している者も多く、医療班が手分けをして救命活動に当たっている。
東副長が言った通り、右舷後方、貨物区画のそばに目的のものはあった。
赤いペンキが塗りたくられたレバーがちょうどサービスハッチの横手にある。防護カバーなどの安全対策は何もなく、『絶対に触るな』と書かれた紙が貼られているだけだった。
艦長は避難民の頭上をすり抜けてレバーに取り着く。
貼り紙を破り捨てて、一気に物理レバーを引き下げた。
ドン、と軽い破砕音がした。
『第三ラッチ、解除確認!』
東副長の報告のむこうから、歓声が聞こえてくる。
『艦長、緊急離脱のご命令を!』
『待ってください!』
震える声で、誰かが叫ぶのが聞こえた。
『外にはまだ……まだ、避難を求めている民間人が大勢おります……!』
『今すぐ出なけりゃみんな死ぬぞ!』と、乱暴に叫んだのは半田だろう。
『ですが、ですが……! 艦長!』
『艦長!』
ドローンのスピーカーの向こうから、様々な声が、様々な声音で、その二つの文字を叫ぶ。
*
トーリ・朝霧は――俺は。
そのときドローンのハンドルを握り、ブリッジに戻りながら、艦内に身を寄せ合う人々を見つめていた。訳も分からず泣き叫ぶ子供たち。血だらけになった怪我人を救おうと、必死で応急処置を施す者たち。疲れてうずくまり、死んだように眠っている老人がいる。信じる神に祈りを捧げる女性がいる。若者がいる。ありとあらゆる人々がいる。
惑星ムリレスに輝く、あの輝かしい勲章の光の、そのひとつひとつは、ただの人工の明かりではなかった。
彼らだった。
無数の家々の暖かな家庭の、職場の、移動する車の、すべての明かりを灯す手の持ち主が彼らだった。
「こちら艦長。——全ての隔壁を閉鎖せよ。以後、避難民の受け入れは緊急停止。抵抗あれば武力による鎮圧、および射殺を許可する」
マイクの向こうで、誰かが声を詰まらせる。
言葉にならなかった声もいつかまた、波を起こすだろう。でもそれは今ではない。
「これは艦長命令である。——主機全開、緊急離脱! ムリレスから最大距離を取れ!」
『了解! 緊急発進!』
「全速前進!」
貨物船が、舵を取る半田が、スラスターを吹かせる。
ワイヤやケーブルを引きちぎり、貨物船が宇宙港を離れた。
ブリッジに戻ると、東副長が見覚えのある軍帽と白い外套を手にして待ち構えていた。
M01から逃げる際、私室に残してきたものだった。
彼は俺の肩に外套を着せかけ、艦隊のエンブレムが燦然と輝くその帽子を頭にのせて、「お似合いです」と短く述べた。




