第5話 相対速度の悪魔
惑星が弾け飛んだその瞬間から、無数の船が、救助艇が、地獄そのものの様相を呈する宇宙港から逃れようと足掻いていた。
大多数の船が港と運命を共にする中、宇宙に抜け出た船たちも、管制の誘導を失って構造物に衝突し、運悪くデブリに追いつかれ、次々に航行不能に陥っていく。そして航行不能に陥った船がデブリになる。船同士が衝突して轟沈していく。
あちこちで救命信号が飛び交うが、それに応える余裕のある船は一隻もない。
M01クルーが乗りこんだ貨物船も、いまだ死神の手からは逃れられていない。
船が発進した直後だった。
「左舷、巨大デブリ!」
宇宙港の中心に、信じられないほど巨大な岩石が突き刺さるのが見えた。
デブリというより、小惑星の衝突といったほうが正しい。
その衝撃によって港が一枚の布のように波打つのがわかった。
中央港の管制施設、格納庫、居住区、商業施設、ありとあらゆる質量を繋ぎ止める楔が弾け飛び、衝撃に巻き上がっていく。
「耐衝撃態勢!!」
どこか見覚えのあるビルや街路が、ポートの頭上に落下してくる。民間ポートどころか、隣の軍用区画を覆い尽くすほどの都市の破片——いや、都市そのものが襲いかかってくる。貨物船が激しく揺れた。
吹き飛ばされた街区とポートが接触した瞬間、それらが数億数百億、数千億に砕け散り、大惨事は加速していく。押し潰されたありとあらゆるすべてのもの、コンテナ、機械、パネル、配管、切れたワイヤーやケーブル、ボルトやガラス片、金属の欠片が、船たちを追いかけはじめる。人の手によってこの世に生み出されたすべての物質が、破壊の大津波になり、みずからの創造主たちの命を刈り取りはじめる。
貨物船はその波の先端を、生と死の境界線上を飛翔し続けている。
「全速前進!! 機関部、なぜ出力が上がらない!?」
『主機出力45パーセント! 艦長、この船はダメだ、これ以上回したらエンジンが吹っ飛んじまう!』
「上げろ、回せ! その方が楽に死ねるぞ!!」
「第一波、来ます!!」
誰も聞いたことのない死神の絶叫が聞こえた。デブリの波が船を飲みこみ、千々に引き裂いて行く音だ。激しく揺れ、一瞬、ブラックアウトする。
電力系統がわずかに戻り、赤色灯がついた。
そのとき全員が自分を「生きている」とは思わなかっただろう。魂の半分はいまだ死の国にある、そんな顔つきをした十五名の姿が浮かび上がる。
「損傷個所を確認、報告せよ!」
「整備班より報告、船体に破損個所多数! 外部配管に損傷! 艦内の熱コントロール十分ではありません。外部センサーも反応ありません!」
「主機は!?」
「主機健在! 出力維持!」
「最低限の生命維持に注力せよ! 全リソースをエンジンへ!」
「主機出力、上昇——! 圧力上がってます! 冷却系統正常!」
「前方、障害物多数!」
「回避可能な航路は!?」
悲鳴の深度がまた一段階深まった。オンボロエンジンはまだ回っているが、これはただの民間船だ。どれだけ必死に逃げ続けたとしても、物理法則までは振り切れない。
しかも外部センサーが破壊され、デブリの位置がブリッジからはわからない。
誰にも何も察知できないまま、船体が再び大きく揺れる。
「貨物区画外壁に損傷!」
「隔壁閉鎖!!」
「主機出力56パーセント……! 限界です! 上がりません!!」
「半田!」
「艦長、船が重すぎる! 舵もきかない!」
五分後に自身が生存していることを、もはや誰も信じてはいなかった。
完全に、完膚なきまでに完璧に、誰も彼もが何もできないまま一瞬のうちに死ぬ。そういう死がやって来る。
「命の賭け時だ。これ以上は賭け金がなくなる」とやけに冷静にトーリ・朝霧が呟いた。「東副長。通信班、航法班、整備班の若手から二、三名を適当に選んで艦内に満遍なく配置してくれ」
「艦長、何をするつもりですか?」
「失った外部センサーのかわりに目視観測を行う。情報は通信手に集約。ブリッジ前方は俺が見る」
「艦長、何をするおつもりですかと聞いたのです!」
「この船は色んなものを失いすぎた。でもまだ残ってるものがひとつある。操舵手の腕だ」
トーリ・朝霧は通路の手すりに掛けていた安全固定装置のカラビナを解除し、一瞬で操船席に近づくと、固定座席のフックに再度カラビナを固定する。
「半田さん、頼むよ」と、トーリ・朝霧は前を見たまま、言った。
「……タバコ、すいたいな」と、半田が億劫そうに答える。
「これ終わったら奢るからさあ」
「金ねーじゃんお前。他に何かないの?」
「ない。エンジン回らないし、あちこち壊れて、手足をもがれたアヒルより悪い」
「じゃ、しゃあねえなァ」
「うん、しょうがない」
「わかった。でもやっぱり今すいたい」
艦長はポケットから一本取り出すと、半田に咥えさせてやり、ライターで火をつける。そして、白い額から流れ落ちる血をぬぐってやった。
半田の額には鋭い切り傷があった。先ほどデブリに襲われた際、座席に体を固定するための安全帯が壊れ、その拍子に計器にぶつけたようだ。しかし彼女は流れ落ちる血なんてものは、ものの数にも入らないとでもいうふうに暴れる舵をにぎりこみ、いつも通り前を向いている。
そのやり取りをブリッジクルーたちは固唾を飲んで見守っている。
白い煙が一筋、立ち昇る。
共に二十歳。同期ふたりの世間話のような会話は、ただの会話ではない。
二人の間で何かが決定する。
それは三百人という命の行き先だった。
「第二波、予測到達時間!! 来ます!!」
そのとき、もしも神がこの未曾有の大惨事を見ていたとしたら。
高速飛翔体の大群に飲み込まれる哀れでちっぽけな貨物船を見ただろう。
その乗組員の命が、すべて自身の所有物となることに、何ら疑いを抱かなかっただろう。
「艦長より全乗組員へ通達!! 本艦はこれより――回避不能な高速飛翔体に接触し!! その速度をもらう!!」
「艦長! どういう意味です!?」
「相対速度を殺す」
「……は!?」
「機速が出ず旋回性能に劣り、デブリとの接触が不可避であるなら、デブリとの相対速度を利用してこちらの船を運んでもらう」
「は!!!?」
「俺たちよりも速いデブリに乗っかって、この船に加速をかける!!」
東副長の動揺をなだめる暇もなく、目視観測を行う乗組員からの報告がブリッジに届きはじめる。
「目視観測結果を報告! 前方に小規模デブリ群多数、数えきれません! 右舷、金属鉱物群横断中! 左舷上方、建物片!」
「中、小規模デブリは無視せよ! ねらうのは、後ろから飛んで来る重くてデカイやつだ!!」
「六時から十一時方向に巨大デブリ! 急速に接近しています! 幅300メートル、全長2キロメートル、おそらく中央港から放出された滑走路です!」
「速度!」
「推定10キロ毎秒!」
「艦長から機関部へ! 主機停止準備!」
「再稼働できませんよ!!」
「推進装置のみ維持せよ! 接触後、船体を滑走路から引きはがす!」
「可能なんですか、艦長!?」
「総員、ハーネス確認、衝撃備えっ!!!!」
神はその万能性をもってして、このちっぽけな貨物船が運命という白い糸に絡め取られることを拒み、背後から飛来した構造物——中央宇宙港の滑走路のひとつ――へわざわざ接近していくところをも見ただろう。狂ったと思っただろう。みずから死を選び、断頭台に頭を差し出すなんて。
「滑走路、来ます! 距離30!」
「20!」
「10! 接触まで10秒前!」
「9! 8――!」
「主機停止!! 神に祈れ!! 半田、推進装置だけは壊すなよ!!」
「クソ艦長!! 神じゃなく、あたしに祈りやがれ!!!!」
「船首あと二度右!!」
「口出しすんじゃねえ!!」
半田の操船により、貨物船は下部を滑走路の路面に向けて接近していく。そしてその瞬間がやって来る。
貨物船の底がデブリに乗る。接触の瞬間、船体下部に積載された貨物コンテナが、滑走路に削られて超高速でスクラップになり、後ろに弾け飛んでいく。
船体が大きく横滑りする。ここが宇宙空間であることが信じられないほどの、猛烈な振動がブリッジのみならず船全体を襲う。固定されていない全ての物体が壁に叩きつけられる。悲鳴も出せない乗組員のかわりに警報機が鳴り響く。
この船はいま巨大な滑走路の上を、秒速数キロの速度差を抱え、下腹を擦りながら滑り続けている。
「速度差1.8!」
「まだだ、まだ!! 半田、離すなよ!!」
「わかってる!!」
「0.2……! 0.1!」
「もらった!! 離脱!!」
振動が緩んだ。
その瞬間、半田が推進装置をふかした。
貨物船はその瞬間、つかの間の生命を得たかのように、滑走路上から飛び出して行く。
デブリの速度を受け取った貨物船は、速度を上げて再び絶望の海へと繰り出した。
「——次っ!!」
その瞬間、艦長の放ったその短い言葉が、全員の意識を神話と祈りの世界から現実の物理世界へと引き戻していく。
「巨大デブリ発見!」
「船腹をぶつける!!」
「艦長、居住区角が危険です!!」
「祈れ!!」
貨物船は次々にデブリへと体当たりを慣行し、その身を削り、その度に加速を繰り返す。デブリの波に襲われ続けている限り、そこから抜け出す出口を発見しない限り、貨物船は飛び続けなければならない。絶えず奇跡を連打し続けなければ、船は運命の狭間ですり潰されてしまう。
「右舷接触!」
「船体、左へ振られてます!!」
「離脱不能! 脱落した構造物が引っかかっています!」
「予備タンクを切り離す! 燃料弁閉鎖! 急げ!」
いつまで、という言葉を誰もが飲み下す。いつまで、この地獄が続くのか。もう一秒も耐えられそうにない。希望はひとかけらもない。自ら命を絶ってしまうほうが楽だと断言できる。苦痛と真新しい恐怖が絶えず押しよせてくる。それでも。
「燃料弁閉鎖を確認!」
「緊急切り離し系を作動! 点火っ!」
切り離された予備タンクに残された燃料が、デブリとの間で引火し、反動と破壊を生み出していく。船がデブリから離れていく。
轟音に震える船のブリッジ、その先頭にトーリ・朝霧は立ち続ける。
絶望を見すえ、乗組員の絶叫を聞き分け、前を向き、命令を下し続ける。
駒を前に進める。
ただひたすらに、生存の一手を指し続ける。
そのとき、彼はひとつの船の意志であった。




