第3話 艦長大脱走
深夜。
まず最初の難関は、だれにもバレずにM01を降りることだった。
艦内に留まっているクルーだけでも百名を優に超える。その誰にも見咎められずにM01を脱出できるかどうか。
だが、これは案外とすんなりいった。
艦長権限をフルに使ったせいもあるが、驚きなのは、逃げる最中に誰ともすれ違わなかったことだ。
M01を降りた後も軍用区画をしばらく進まなければいけなかったが、これも大した問題にはならなかった。出入り業者を騙った身分証は確かだったし、何よりすれ違う人間の誰もが、俺が英雄とよばれている人間だということにまるで気がつかなかった。
緊張のあまり記憶のほうが間違っているのかもしれない……。
あるいは、やたら立派な軍帽や徽章にばかり目がいって、顔はろくに覚えられていなかったという説もありそうだ。
とにかく脱出そのものは、拍子抜けするほどすんなりと成功した。
ムリレス中央宇宙港は、惑星ムリレスの軌道上に位置し、宇宙軍の軍艦のほかに民間客船や商船の出入りもある大規模宇宙港だ。船が停泊するドックだけではなく、宿泊施設や商業施設、港湾で働く人々の居住区画などを含めた大規模な施設群が、まとめて宇宙空間に浮かんでいる。港というより、都市がひとつ宇宙に浮かんでるといったほうが正しい。
民間区画にも数千人、数万人といった単位の利用客がいるはずだが、時間帯もあってか目的のポートに人気はなかった。
透明な天井には夜のムリレスが迫っている。
ほの青く輝くムリレスの大海原に、人口120万人を擁する首都ラディアの環状構造が輝いて見えた。
首都ラディアは海洋の上に、宇宙移民団が最初に建設した人工島だ。
テラフォーミングの進度にあわせて、ラディアの周囲に人工島を作り足し、現在は周辺地域をふくめ、総人口500万人が暮らしている。深夜になっても、その明かりは消えない。各島をつなぐ交通網までもが輝いている。その姿は、まるでムリレスという星の胸に飾られた勲章のようだった。
俺はその島々のどこにも帰ることはできない。
もう二度と目にすることもないだろう……。
美しい故郷に別れを告げて、目的のものを探す。とにかく、一刻もはやくムリレスを脱出しなければいけない。
案内表示を探すと、ちょうどよく、軍用区画からほど近い港に、明朝出港予定の貨物船が留まっていた。行き先は遠い星系だ。
目的のポートに行くと、すぐに貨物船の姿が確認できた。
M01の白磁のような美しい船体とは見事に対照的な、いかにも鉄むき出しといった感じの、黒く、ずんぐりとした船体だ。正面からなら、標準型の貨物船に見えなくもない。
しかし、横手に回るとすぐにその異様さがあらわになる。船体を這うむき出しの配管やケーブル、古い太陽光パネルやアンテナ、無理やり横づけされた燃料タンク……。それよりなにより、おびただしい数の貨物コンテナが船体の上部と下部にウンザリするほど積載されている。
「……これで出港許可が降りるのか? どうやって検査を切り抜けたんだよ」
こんな船に乗って宇宙に出れるか。
慌てて引き返そうとしたところ、遠くでライトが点灯するのが見えた。
明滅しながら、こちらに接近している。ライトは一定の高さを保持したまま水平に移動している。伴走する人影はない。
まず間違いなく、中央港の警備ボットのライトだろう。
「まずい……!」
背に腹はかえられない。
乗りこみ口を探すと、小さなサービスハッチに、小型リフトが横付けされたままになっているのが見えた。
*
貨物船のクルーは港に繰り出しているのか、船内は無人だった。
外観から予見していたとおり、かなり混乱した内部構造をしている。複雑ではない。混乱だ。混沌ともいう。
何か変なものを踏んだと思ったら、それは片足だけのゴム長靴だった。
「ああ~~やだやだ。これが俺の船だったら絶対にこんなふうにはしないね」
密航者としては、こんなにもありがたい船はないだろう。船員たちの私物なのか貨物の一部なのか、あちこちに意味不明の物が詰め込まれており、人間ひとりが勝手に乗りこんだとしてもわかりそうにない。どこかの港に寄港するまで隠れられるところは探さなくても無数にありそうだ。
俺は暗い通路を、ハンディライトで照らしながら進んだ。
「どれ、この英雄様が操船室でも見物してやるかね」
とはいえ、この巨体のどこにそんな上等なものがあるのか、検討もつかない。
しばらく船内を歩き回っていると、かすかに音が聞こえてきた。雑音混じりの音楽だ。耳を澄ましていると、すぐにそれが宇宙港内でよくかかっているラジオ番組の音声だということに気がついた。
ラジオの音に導かれるように、目の前に明かりがついた区画が現れた。
慎重に扉をくぐった。
その瞬間、俺は横殴りに殴られ、訳の分からぬまま床に叩きつけられた。
おそるおそるまぶたを開けると、そこには思ってもみなかった光景が広がっていた。
「艦長、このっ……!! 大バカやろうめが!!」
まずは、俺の体に跨り、拳をかため、今にも二打目、三打目を打ち込みそうになっている狂暴きわまりない女がいる。半田である。親の顔より見た金髪ショートヘアの派手な頭と、細身の体にありあまる攻撃性を、この俺が見間違えるわけがない。
マウントポジションの下の方からあたりを見回すと、そこには見知った顔がずらりと並んでいた。
彼らは全員、M01のクルーたちであった。
「お前たち、なんでここに!?」
見知った顔代表、副長の東が進み出た。
「艦長の考えることなどお見通しです。というか、これだけの人数に金を借りておいて、よく逃げ切れるとお思いですね」
東副長の外部接続ポートにはデバイスが接続されていた。
通路の奥から、二台の監視用小型ドローンと、一台の作業ロボットが現れた。三台はまるで東の手足のように動き、ライトを明滅させている。
ポートで俺が警備ボットだと思ったのはどうやら、東副長が操るボットだったらしい。
東副長は氷の瞳で俺を見下してくる。
「借りた金額も結構なものですし、長期任務が終わり次第、絶対に飛ぶだろうと思ってましたよ。ただ、艦長権限を使って逃げられたら非常に厄介です。そこで逃亡先を絞りこみ、罠を張って、ここで待ち伏せしていたのですよ」
「そ、そこまでして……。あ。もしかして、俺のことを心配してくれてた、とか……?」
そうだったらいいな、という軽い気持ちからした発言であったが、反応は散々だった。その瞬間、この狭い操船室に詰めかけたクルーたちが一斉に怒号を上げた。
「金返せ、このカス!」
心配なんかしているわけがあるか。貸した金を返せ――という大合唱が続く。
全員の気持ちは俺にとって不利な方向性で一致しているようだ。
「なんで今さら!? この720日間、誰も借金のことなんて口に出さなかったじゃないか……!」
「違います。この720日というもの、誰がいち早く艦長に貸した金を回収するかで、M01内部は非常に高度な情報戦と艦内政治が繰り広げられていたんですよ。艦長の耳に入らなかったのは、お互いが抜け駆けしないよう監視しあった牽制の結果です。正直、任務終了を待たずに刃傷沙汰に発展する可能性すらありました」
「知らない間に艦内の空気がそんなにも険悪なことになっていたなんて……」
誰のせいって、俺のせいなんだが。
「でも半田、お前は俺のこと心配してくれたよな!?」
同期に一縷の望みを賭けたが、半田は「なわけねーだろ!」とにべもない。胸倉をつかまれ、たちまち宙づりにされる。
「ムカつきすぎて一発殴らないと気がすまなかっただけだ! このカス!」
「ひどい! 苦楽を共にした同期じゃないか!」
「うるせえ、あるあるゲームすっぞ!」
「何なのそのゲーム!? 流行ってるの!?」
まだ俺のことを殴りたそうな半田を押しとどめたのは、東副長だった。
いつも笑顔で人当たりがいいことで有名な東副長だが、今回ばかりは笑顔はない。
「さあ、申し開きを聞かせてもらいましょうか」
振り返ると、退路もM01のクルーたちでふさがれていた。
ずらりと並ぶその顔は、いずれも俺が金を借りたクルーたちだった。
船内のあちこちに隠れて、俺の動向をうかがっていたにちがいない。
逃げられないことを悟った俺はその場に土下座をする。
「すまない、みんな! 本当に申し訳なかったと思ってる。……軽い気持ちで借りた六十万が膨らんで、とても返せなくなって……でも、みんなに借りた金は返すつもりだった。それだけはホントなんだ!」
「白々しいですよ。そもそもなぜ金を借りたんです?」
「それは……ストレスで……」
「ストレス?」
「た、耐えられなかったんだ。艦長って呼ばれて、あちこちで祭り上げられて……。だっておかしいだろ。二十のクソガキが艦長だの准将だの艦隊司令だの……。それで気がついたら……金を何に使ったかは自分でも覚えてない」
「で、返すつもりがあったというなら、なぜ逃げたんですか」
720日間醸成された怒りは相当煮詰まっているようだ。
東副長は遠慮容赦なく詰めてくる。
俺は仕方なく、明日の式典には、恐ろしい借金取りが勢ぞろいすること、そして利息が払えないことを告白した。
そしてもう一度、床に手をつき、深々と頭を下げる。
「頼む、この通り。この船を降りたら、俺は八つ裂きにされて捨てられる。みんなの金は、宇宙マグロ漁船に乗ってでも返すから……だから行かせてくれ!!」
「そんなに切羽詰まった状況になっているとは……。いったい、いくらくらいあるんですか。借金」
俺は指を六本立ててみせた。
「六百万? そんなものなら、たとえ闇金の金利でも全然問題なく返せますよね。艦長なら年収一千万を超えてるはずですし」
俺は首を横に振った。
「六千万……? 確かに厳しい額面ですが、軍を捨てて逃亡するほどでも……」
「いや、六百億だ」
答えると、これには優秀な東副長も想定外だったらしい。
「ろ、ろっぴゃく……、ろっぴゃくおく!!!?」
そう叫んだ途端、彼の頭脳に搭載された優秀なCPUは停止してしまったのだろう。他のクルーたちも絶句している。
しかし、沈黙は一瞬だった。
はっと正気に戻ったクルーたちが怒号を上げた。
「ふざけんじゃねえ!」
「ちくしょう、金かえせ!」
「俺の金を返してから逃げろ!」
「いや、まずはあたしの金が先だ!」
「ひとりだけ楽な商売に鞍替えするなんてずるい!」
「私だって辞められるなら辞めたい! でも怖くて言い出せない!」
「なんとか軍に残れないんですか。残って一緒に苦しみましょうよ」
なんだかいろいろな私情も混じっているような気がするが、みんなの訴えはもっともである。
「みんな、ごめ~~~~ん!!」
情けない艦長でゴメン、の意味である。
そのときだった。貨物船全体が下から突き上げられたように震えた。
間髪入れず、ムリレス中央宇宙港全体に、耳をつんざくような警告音が鳴り響いた。




