第2話 720日前
―—720日前。
ムリレス宇宙艦隊旗艦M01の若き艦長、トーリ・朝霧(20歳、男性)はスクラップ工場にいた。
彼は服を着ていなかった。厳密にいえば、水色のストライプ柄の男性下着をはいてはいたが、社会通念上、これは「着ている」とはみなされないだろう。たとえば、彼は後ろ手に縛られていたのだが、その手首を縛る縄が「アクセサリー」とみなされないのと同じことだ。
工場では大型のプレス機が稼働しており、轟音が鳴り響いていた。艦長はそこで小一時間ほど、くず鉄やありとあらゆる産業廃棄物がいかにして押し潰されて、見る影もない延べ棒になるのかについて学んだ。
恐怖の社会科見学を引率しているのは、強面の黒服の男たちである。
いずれも体格に優れ、軍学校の教官よりも目つきが悪く、指が無かったり、顔に傷があったり、スキンヘッドに派手な刺青を入れたりしている男たちだ。
そんな男たちを率いているのは、この場にいる荒くれ者たちの特徴の全てを一身に備えた男である。体格がよく、死ぬほど目つきが悪く、左手の指が二本なくて、スキンヘッドで、右頬のところに派手な切り傷がある。顔の反対側には火傷の痕まで広がっていた。
「艦長サン、借りたもんは返さないといけない。これはガキでもわかる簡単な理屈だ。そうだよな? おたく、俺たちからいくら借りたのかわかってんの?」
と、絶対にカタギではない男が言った。男は借金取りであった。
艦長は半泣きになりながら、訴えた。
「——ろ、六十万だ。俺が借りたのは、たったの六十万だ!」
借金取りは「ウンウン」と言って頷いた。
「利息っての、知ってるか? あんた、支払い遅れてるよな。今日中に三百万持ってくるって約束はどうなったんだ」
「ム、ムリだ! 給料の前借りだって限界までしてるし、三百万なんて……」
「こちとら、寝言が聞きたいわけじゃないんだよ」
借金取りはあごをしゃくってみせた。
部下が、艦長の貧相な体を抱え上げ、屑鉄が投げ込まれる穴の前まで連れていく。
「いやだ! 死にたくないっ! 死ぬにしてもこんな死に方は嫌だァ!」
借金取りは混乱し、恐怖に取り乱す艦長を冷たい瞳で見下ろしている。
そして、突然大声を上げた。
「あるあるゲぇーーム! 宇宙戦艦あるある!」
「……は?」
「宇宙戦艦あるある~♪ 宇宙戦艦にあるモノ言いたいな! 艦長、テメエからだぞ」
妙な節回しのついた声で迫られ、艦長は数秒前とは違う種類の混乱の極致へといざなわれる。
「……宇宙戦艦にあるモノと言えば~!?」
「え? なんで? 戦術指令ブリッジ?」
「ブーーーーッ!! 正解はだし巻き卵!!」
その瞬間、隣に立っていた男の平手が飛び、艦長の頬を打った。
衝撃で吹き飛びそうになるのを必死にこらえる。少しでもバランスが崩れたら、その瞬間にスクラップになってしまう。死体も発見されないだろう。
「宇宙戦艦にあるモノと言えば~!?」
「……び、ビーム砲?」
「ブーーッ、目玉焼き! 次!」
「艦載機!」
「ブーーッ、スクランブルエッグ!」
何を答えても理不尽にビンタを食らう。
「お前ら、こんなことして……出るとこ出てもいいんだぞ!」
苦し紛れの叫び声を聞きつけ、借金取りは静かに言った。
「何言ってんだ、これはゲームだ。そうだよなあ? 俺と艦長サンは楽しいゲームをしている。だから罪にゃ当たらねえ。いつまでだって続けてもいいんだぜ」
「そ、そんな屁理屈……」
「いいか。三百万だ。お前の下で働いている戦艦のクルーがちょうど三百人。ひとり一万ずつ借りてこい。わかったな」
「む、無理だ……」
「720日後、ホテル・グランド・ムリレス・ポートのエントランスで待ってる。びた一文まけるつもりはねえ。わかったな」
借金取りはそう言って、部下を引き連れて去って言った。
部下たちが、笑いながら言うのが聞こえてくる。
「あいつ、軍属でよかったですね。でなけりゃとっくの昔にスクラップですよ」
「公務員は取りっぱぐれがなくていい。英雄は高給取りだしな」
「軍のスケジュールで動いてくれるのも、回収の手間が省けますよねえ」
彼らが自分のことを、まるで小銭が出てくるずた袋程度にしか考えてないことが明らかになったが、艦長にできることは何ひとつなかった。
何しろ、M01のクルーに一万円ずつ金を借りて三百万にするというアイデアは、すでに別のところで使ってしまっていたからである。
艦長が金を借りているのは、残念ながら、ハゲの借金取りだけではない。
最初は六十万だった。
それがあっという間に膨らんで、返すあてがなくなり、次の金融会社で借金をし、瞬く間に膨らんでいった。
そう。彼は多重債務者なのだった。
*
720日後——。
M01の艦内に設けられた私室で、俺は刻々と迫りくる命のタイムリミットにおののいていた。
明朝11時からの艦隊司令官就任記念式典には、軍関係者と報道陣が詰めかける。そして同時に、スクラップ工場の連中を代表として、種々様々な借金取りたちも押しよせてくるだろう。
ムリレス中央宇宙港には英雄の帰還を祝し、様々なお祝いメッセージや、顔写真をデカデカと配置したポスターが飾られているが、それらを見かける度に指名手配犯の気持ちが身に染みてよくわかる。
次は宇宙戦艦あるあるゲームでは済まない。
殺される。
それも、いろんな金融会社が、いろんな方法で殺そうとしてくるだろう。
工場見学だけでなく、山とか海とかにも連れて行かれることになるだろう。
それと同時に、宇宙軍も責められるに違いない。
なんで多重債務者が艦長をやっているんだ。世紀のクソ采配、ゴミ人事だと――。
ぶっちゃけそちらは同情する気にはなれないが、矢面に立たされるだろうクルーがかわいそうだ。
そうなる前に。
俺は艦長服を脱ぎ捨てて、その上に帽子を置いた。
バスルームの鏡に映ったトーリ・朝霧は青白い顔をしていた。もう何か月もまともに食べていないから、軍人のくせに体も痩せてみすぼらしい。もう限界だ。
「みんな、すまない……! もともと器じゃなかったんだ……!」
そもそも艦長が多重債務者っておかしいだろ。
それが艦隊司令官に就任なんかしたら、今度こそ取り返しがつかない。
俺は、以前から用意していた偽の身分証明書を掴み、M01を飛び出した。




