第1話 接舷
宇宙開拓。
その四文字が「地球」という星で叫ばれたそのとき、声は波となって宇宙を、星々の合間を駆け抜けて行った。その波が最後にたどり着いた星がムリレスである。
植民惑星ムリレスに使用されたテラフォーミング技術は、宇宙開拓移民団が実際に用いたシステムの中で最も古く、第一世代のものだ。
1000光年のはるか彼方、地球圏ではもはや骨董品だろう。科学博物館とかに展示されているかもしれない。
地球で一番古いシステムを使い、一番最後に完成した植民惑星。
それがムリレスだ。
ムリレス宇宙軍旗艦M01はブリッジの観察スリットを解放し、故郷の星へと向けていた。
地球を思わせる白い雲に覆われた青い星が、手が届きそうなほど間近で輝いている。資料映像を見るかぎり、地球よりもずっと青いように思える。ムリレスは陸地が少なく、表面積の85%を海洋が占めているからだ。
ブリッジクルーたちはしばし持ち場を離れて、スリットの下に集まっていた。
M01は周辺宙域における720日の巡回任務を終えて、ようやくムリレス中央宇宙港へと戻ってきたところだ。
宇宙港はムリレスの地表から50000キロの高度にあり、はるかな故郷はいまだはるか彼方であったが、「見える」と「見えない」の間に横たわる距離については、戦艦乗りにしか測りがたいものがある……のかもしれない。
持ち場から離れられない通信手と操舵手ですら、そわそわと落ち着かない雰囲気でブリッジの天井を見上げていた。
「さっさと港に入っちまえば、好きなだけ見られるのに……」
そうぼやく声は必然として小声になった。
うれしげにムリレスへと手を伸ばし、艦を降りたらまずは何をしたいかと浮ついた話をするクルーたちには、とても聞かせられないような独り言である。
長期間、故郷が「点」にしか見えないような――あるいは無明の闇に飲まれて気配すら感じられないような――宙域をさまよい続け、ようやく帰還し、一刻もはやくその姿を見たい、という気持ちはわからなくもないのだ。
何より、この戦艦にはそういう欲求を掻き立てるよけいな部品がひとつあった。
実はというか何というか。M01に搭載された観察スリットはモニターではなく、宇宙を肉眼で捕らえることのできる「窓」なのだ。宇宙軍が所有する戦艦の中で、その心臓部とも呼べるブリッジに窓を持つものはM01のみである。なぜ、戦艦に窓がないのかについては――それは百通りの説明が可能であり、すべてが「脆弱性」の言い換えになっている。
ではなぜ、M01がその機能を有しているかというと―—M01の艦長に指名された男が、それがなければ乗らないと駄々をこねたからだ。
結局、宇宙軍はその男を艦長にするために、観察スリットを採用してしまった。ムチャクチャな話だ。
「艦長、中央港管制より通信。入港許可が降りました」
通信手が報告する。
観察スリットの下に集っていたクルーたちも、いつのまにか雑談をやめ、視線を集中させている。
こちらへ。
総勢十五名のまなざしが、意識が、自分自身へと向けられる瞬間。
口の中が干上がって、からからに乾くのがわかった。首の筋肉が緊張して、まるで後ろから締め付けられているように息が苦しい。
自分が着けているやたら大きな軍帽と、派手過ぎるこの外套が、もっと大きくて、その中に隠れてしまえたらいいのに、と子どもじみたことを思う。
「——現時刻をもって植民惑星ムリレスの観察任務を終了とする……。総員速やかに通常任務へと移行せよ。持ち場へ着け」
ただ声を発するだけで、先ほどまでの浮ついた空気はかき消えた。
「軍用優先レーンより第三侵入回廊へアプローチ」
「第三侵入回廊、確認。進路異常なし!」
航海士が応答し、戦艦は動きだす。
「艦長より機関部へ、推進出力三十パーセント。全兵装をセーフモードへ移行せよ。これよりすべての艦載機の発艦を禁止する。操艦は半田、任せる」
艦長席の目の前に位置する主席操舵手は、一度もこちらを振り返らない。その派手な金色の頭だけが見えていて、「おう」とだけ返事があった。
「半田……ぶつけるなよ」
「ったりめーだ、バカ。親の顔よりも見た母港だぞ。かすりもしねーんだわ!」
半田は、やはり振り返りはしなかったが、かわりに中指を立てた。
もっと親の顔を見てやってくれ、と思う。
「艦長。主砲、ミサイル、近接防御兵器、待機状態を確認いたしました」
戦術士官の返答を待ち、それとほぼ同時にムリレス中央宇宙港の管制側からも、応答があった。
「隔壁閉鎖!」
観察スリットは、外から見ると銀色の亀裂に見える。それを二重の隔壁が覆い隠していく。
よく白鯨とたとえられるM01は、ムリレスの青い海の中を泳ぐように身をひるがえし、ムリレス中央宇宙港に接近する。
外側からみれば優雅な動きだろうが、内部はかなり慌ただしい。
「相対速度毎秒0.8、姿勢偏差0.08。接近角、規定値内です」
「侵入速度毎秒2メートル」
「2メートル、了解」
「第三ドックまで500メートル」
「停止!」
「相対速度ゼロ、センサー確認」
「M01姿勢正常、異常なし」
「微速前進。100メートルまで進め!」
M01は500、100メートル地点で停止し、状態を確認しつつ、微速前進をくりかえす。
誰もが計器とモニターににらめっこになり、ここにはいない乗組員たちとも、常に緊密なやり取りが続けられている。通信網は白鯨の体内を流れる血流だ。少しでも乱れれば、白鯨は宇宙港に頭から突っ込んで、それで終わりだ。世紀の大事故。戦艦側も、宇宙港側も、ただではすまない。
しかし——むしろそうあってほしい、と、俺だけが――M01 クルー総勢300名の中でこの俺だけが、切実に願っている。この戦艦が不慮の事故で大破してくれたら、そうなったら、どんなにか……。
「係留システム、スタンバイ!」
10メートルの最終保持点をクリアし、そして、ようやくM01は中央宇宙港が指定してきたドックに接舷した。
半田の腕前は見事であった。まるで氷の回廊を滑るようだ。
完全な停止の際も、わずかな制動を感じただけだった。
「ドッキングラッチ、一時固定を確認」
「二次固定を確認。問題ありません」
M01に積まれたあらゆる計測器が情報を送信してくる。
気密、圧力差、正常。電力系統と通信系統についても、戦艦と宇宙港のあいだで正常に結ばれている。なんの問題もない。
「入港完了!」
その瞬間、拍手が起きる。半田が右手を広げて応じる。その指先には火をつけていない煙草が挟まれていた。はやく吸いたくてたまらないんだろうな。
俺は、ただ艦長席に深く腰掛けて、長い溜息を吐いた。
今度の任務も、何事もなかった。
何事もなく帰って来れてしまった……。
これで、また、長い一日がはじまる。
「艦長、この後のご予定を覚えておられますか?」
たずねて来たのは、副長の東である。
今年で32歳と、ブリッジクルーの中では比較的、若々しい。首のあたりに埋め込まれた外部デバイスとの接続ポートが少しものものしい雰囲気を醸しだしてはいるが、まだ二十代の雰囲気を残した好青年といった容姿だ。
ただ、その爽やかな笑顔の奥には、有無を言わさない圧力があった。
「いや……なんだったかな……最近物覚えが悪くって……」
「ご冗談を! ご自分の年齢まで忘れたとは言わせませんよ」
「うっ……」
「いやはや、若干二十歳でムリレス惑星防衛艦隊旗艦M01の艦長となられた方が、宇宙軍の若き英雄が、加齢による健忘症だなんて、冗談以外の何ものでもありませんよ。ねえ、准将殿!」
「旗艦M01艦長」「英雄」「准将」と、二十歳という年齢と結合するには重すぎる、バカの書いたラノベみたいな称号が次々に並べ立てられる。でも不幸なのはこれが夢物語ではなく現実なのだということだ。
俺の顔色は青いを通り越してもはや白くなっている。鏡を見てないが、わかる。ストレスのあまり固形物を受けつけない胃がキリキリと痛む。
「艦長、今夜は絶対に外出しないでくださいね。出かけようというなら、M01クルーを全員倒してから行ってください」
半田が気だるげに「あたしを勝手に数に入れるのはやめろ」と文句を言った。東は無視をした。
「なぜなら、明朝11時より、ホテル・グランド・ムリレス・ポート57階にて、記念式典があるからです。艦長……、艦隊司令官就任、おめでとうございます!!」
殺してくれ、と俺は切実に神に祈った。
しかし神は存在しないか、俺のことを見てはおらず、ただ粛々と時計の針を時計回りに回し続けるという、カスにもできる単調労働に従事しているだけなのだった。




