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平安京エイリアンズ~補足・設定メモなど  作者: 岬口大鴉


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天宇受売命に見る、巫女の仕事

 天宇受売(あめのうずめの)(みこと)という女神は、日本神話の中でもかなり異彩を放つ存在です。


 天岩戸の場面では、岩戸の前で踊り、神々の笑いを引き出します。天孫降臨の場面では、地上への入口に立つ猿田彦と向き合います。

 どちらの場面でも、彼女は戦うわけでもなく、命令するわけでもなく、裁きを下しているわけでもない。


――では、彼女は何をしているのか。


 彼女は「場をほどき、結び直している」のだと思います。

 空気が固まり、誰も動けなくなった場面。秩序や世界そのものが行き詰まったときに、天宇受売命は現れます。

 そして、力で押し通すのではなく、笑い、身体、問いかけによって、こわばった場をほどいていきます。この「場をほどき、結び直す」という働きこそが、巫女の役割を考えるうえで、とても重要になる。


 天岩戸神話は、日本神話ではよく知られていますが、念のため概要を見ていきます。


 素戔嗚(すさのおの)(みこと)の乱暴によって、天照大神が岩戸に籠もってしまいます。その結果、世界は闇に包まれます。太陽が隠れ、秩序が止まり、神々は困り果てます。

 そこで八百万の神々が集まり、さまざまな準備をします。


 天児屋(あめのこやねの)(みこと)が祝詞を奏し、石凝姥(いしごりどめの)(みこと)が鏡を作り、太玉命(ふとだまのみこと)が祭祀を整え、天手力男(あめのたぢからおの)(みこと)が岩戸を開くための力を担います。


 どれも欠かせない役割です。


 そして、岩戸の前に立ち、実際に場の空気を整えたのは天宇受売命でした。

 彼女は岩戸の前で踊り、身体をさらし、神々の笑いを引き出します。その声を聞いた天照大神は、外で何が起きているのか気になり、岩戸を少し開くことになります。


 ここの要点は、説得でも、力ずくで岩戸を開けたわけでもないということ。彼女がしたのは、閉じた岩戸の外に、別の空気を持ち込んだだけでした。


 ちなみに、この岩戸は単なる扉ではないのには注意が必要です。伊邪那岐と伊邪那美が黄泉の国で決定的に別れたとき、黄泉平坂を塞ぐために置かれた岩と同じ性質を持つものとして読むことができます。生と死、こちら側とあちら側を分ける境界の象徴が岩戸です。


 天宇受売命の行いは、表面的には単なる宴会芸に見えるのが、彼女の面白いところです。

 神と神、人と神、生と死、内と外。そうした境界が固く閉じてしまったとき、その境界を壊すのではなく、越えられる状態へ整える。天宇受売命の踊りには、そういう意味があると描かれているのだと思います。


 巫女という存在について見ていくと、神話や古い伝承において、女性はしばしば「差し出される存在」として登場します。

 この言い方には、不快感があるかもしれません。ただ、ここでいう「差し出される」とは、単に男たちの争いの道具にされた、という意味だけではありません。


 人間同士の争いに対して差し出され、神の怒りに対して差し出される。さらに自然災害を鎮めるために、海、川、山、疫病、飢饉、旱魃といった、人間にはどうにもできない力に対して差し出されます。


 たとえば、素戔嗚尊の神話に登場する櫛名田比売(くしなだひめ)は、ヤマタノオロチへの生贄として差し出される存在でした。村を守るために、娘が一人ずつ差し出されていく。その最後に残ったのが彼女です。

 また、日本武尊の東征においては、弟橘比売(おとたちばなひめ)が海に身を投げます。荒れる海を鎮めるために、自らを差し出すことで航路を開こうとする行為です。


 これらは単なる悲劇として語られたりもしますが、その本質は、共同体がどうにもならない力と向き合うための行為でした。

 古い社会において、人間は自然を完全に制御できません。疫病や干ばつ、川の氾濫。地震に噴火、そして津波。

 こういった災害を前にしたとき、人々は「何かを差し出す」ことで、その力と向き合い、収めようとしました。

 それは供物であったり、祈りであったり、祭りであったり、時には人の身そのものであったりします。


 その最前線に置かれた存在の一つが、巫女となります。

 巫女は、神に近い場所へ差し出される存在です。けれど、完全に神の側へ行ってしまうわけではありません。人の世にも残り、神の言葉を受け取り、共同体に返します。

 つまり巫女は、生贄に近い場所に立ちながら、生贄そのものではないことも多いのです。

 神の妻でありながら、人の側にもいることもあれば、自然に差し出されながら、生きて帰ってくることもある。共同体の外へ出されながら、共同体の中に言葉を持ち帰る。

 この境界の位置こそが、巫女の職場なのだと思います。


 巫女の役割が「場をほどき、結び直す」ことであるならば、その職場は「境界」です。

 人と神のあいだにある境界、内と外を分ける境界、生と死を隔てる境界、味方と敵を分かつ境界、そして日常と災厄を隔てる境界。

 こうした境界がゆらいだとき、共同体は危機を迎えます。けれど、その境界を力で壊してしまえば、さらに大きな混乱が起きます。


 そこで必要になるのが、境界を壊さず、しかし固まりすぎた意味をゆるめる存在です。

 天宇受売命は、まさにその役割を担っています。

 彼女は岩戸を破壊しません。天照大神を責めもしません。ただ、外の世界に笑いを生み出し、「閉じこもるしかない」と思われていた状況を、少しずつほどいていきます。

 これは、巫女的な働きそのものです。


 巫女は、神に命令することも、自然を支配することもできませんが、人間が神や自然の力に呑み込まれそうになるとき、そのあいだに立ちます。

 そして、言葉や舞や祈りによって、どうにか人の世へ戻る道を整えます。


 神話において天宇受売命が活躍するのは、天岩戸だけではありません。

 天孫降臨の場面でも、彼女は重要な役割を果たします。


 天上の神々が地上へ降りようとするとき、その道の途中に猿田彦が現れます。猿田彦は、敵というわけではありませんが、何者かわからない異形の存在として、道の境界に立っています。

 ここで前に出るのは、ニニギでも、武力を担う神でもない。天宇受売命の出番となります。しかも、天照大神のご指名で。


 天宇受売命は猿田彦と向き合い、その正体を問い、敵として排除するのではなく、道案内をする存在として迎え入れます(若干のハニトラ感はありますが)。


 ここでも、彼女がしているのは「場を整えること」です。


 道を塞ぐ存在を、道を導く存在として位置づけ、境界に立つ神を、境界を越えるための案内役として整え直します。


 天岩戸では、閉じた岩戸の前に立ち、天孫降臨では、地上への入口に立つ猿田彦と向き合う。どちらも、境界の場面です。

 再び天宇受売命は、神話の中で「境界が問題になる瞬間」に呼び出される存在として描かれています。


 天宇受売命は、ただ明るく踊る女神ではありません。

 彼女は、世界が止まったときに現れ、神々が深刻になりすぎた場に笑いをもたらし、道が塞がれたときにはその前に立って塞ぐ者と向き合い、対立しそうなもの同士を別の関係へと結び直していきます。

 これは、巫女の役割そのものに見えます。


 巫女は、ただ神に祈る人でも、神秘的な力を持つ女性というだけでもありません。

 共同体が、自分たちだけではどうにもできない力に直面したとき、その前に立つ存在です。

 神の怒り、荒ぶる自然、疫病や飢饉、そして敵か味方かもわからないもの。そうした人の手に余る力の前に、巫女は差し出されます。

 けれど、ただ失われるために差し出されるのではなく、差し出されたうえで、場を整え、人の世に戻る道を作る。その危うい役割こそが、巫女の本質なのだと思います。

 天宇受売命は、そのもっともわかりやすい姿として神話で描かれています。


 彼女は王でもなければ、戦士でもありません。最高神でもありません。けれど、世界が動かなくなったとき、彼女がいなければ次の場面へ進めない。だからこそ、天宇受売命は神話の中で異彩を放っているのだと思います。


 本作品では、巫女や水の女、神に近い場所へ置かれる女性たちを、かなり重く扱っています。

 それは、彼女たちを単に神秘的な女性として描きたいからだけではありません。


 人と神のあいだに立ち、人と自然のあいだに立ち、共同体と災厄のあいだに立ち、さらに人と人のあいだにまで立たされ、それでも現実と異界の境界に立つ存在。そうした役割を背負わされる存在としての、巫女を描きたかったからです。

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