エリカのシャドウレコード
「ねぇどうして……誰も私を愛してくれないの……」
私はあの日、死んだはずだった。
私の働いている歌舞伎町のキャバクラが入ったビル。その屋上から身を投げた。
私は、生まれた時からずっと、人生にウンザリしていた。
両親はとても仲が悪くて、私は毎日喧嘩の声を聞いて育った。
父はいつも機嫌が悪くて私に八つ当たりしていた。
母にはいつも愚痴を聞かされていた。
自分のことを聞いてもらったことなんて1度もない。
離婚してからも、母はいつも自分の恋愛にしか興味がなくて、私はいつも孤独だった。
私は、母親の連れてくる男と会いたくなくていつも家を出ていた。
私は、人の愛し方が分からない。
だから友達も恋人もできなくて、ただただ周りの人間が幸せそうにしているところを見るのが大嫌いだった。
"人の幸せを見て自分も幸せを感じる"
なんて……笑っちゃうくらい偽善者の言葉、誰が信用してるの?
そんな人、ホントにこの世にいるの?
家にいたくないから、私はよく新宿界隈をふらふらしていた。
初めてキャバクラにスカウトされ、初めて自分が求められている気がした。
この世に、私を必要として声をかけてくる人がいることに昂揚した。
だから高校を卒業すると同時に、キャバクラで働くようになり、私はお金ではなく、"求められる"ということへの錯覚に依存した。
誰かに必要とされることが、こんなに嬉しいことだとは思わなかった。
でもなぜか、いつまで経っても心は満たされなくて、むしろ虚無感ばかりが生まれるようになってしまった。
それでも街を歩けば、道行く人間たちは楽しそうに笑っている。
手を繋ぎ仲良さげに歩く親子、初々しい男女、オシャレなカップル、女子会の少女たち、居酒屋から出てくる酔っ払いたち、飲み会帰りの学生、外国人観光客、非行少年少女、夜の世界の人間たち。
私の目には全員、幸せそうに見える。少なくとも、私よりは……。
私だって頑張って生きてみたつもりだった。
いつか、周りと同じように笑える日が来るのかななんて馬鹿げた妄想を信じ込んで。
でも結局、生きててよかったなんて思ったことは一度もない。
なんで生まれたのか、なんのために生まれて、生きて、死ぬのか。命はどこから来てどこへ行くのか。
そこに意味なんて絶対にない。
なぜなら人は、自分の意思で簡単に人生を終わりにすることができるからだ。
あのビルから確実に飛んだはずなのに、気がついたら男の腕の中にいた。
" やぁ君、大丈夫? "
死神は美しいのだとその時思った。
不思議となぜか、自分の中を渦巻いていた黒いモヤモヤが僅かに取れて、体が軽くなっている不思議な感じがした。
"いかなる理由があろうと、自殺は肯定できないなぁ。なにか助けになれることがあったら遠慮なく言ってよ "
そう言いながら、私の手首にある無数の切り傷を見ていることに気付いた。
あ、この人は死神じゃない。
だって死神は、こんなふうに人間の心配なんかするはずない。
だったら……
「あなたは……天使?」
男は、不思議そうにジッと私の目を見つめてきた。
その目は、今まで見てきたどんなものよりも美しく見えた。
「僕ね、天使って、好きじゃないんだ。
天使ってね、自分が気に入った奴の生命を欲しがる強欲なサディストなんだよ」
「……じゃあ…誰……」
「そうだなぁ……僕は……
天使に喧嘩売ってる、王子様ってとこかな。
んで君は、天使の大のお気に入りらしい。」
その時私はハッとした。
そんな考え方もあるのだと……
悪くはない、なんとも言えない感情になった。
でも………
「なんで助けたんだよ…」
「え?」
「どうせ、勝手に助けといてハイサヨナラでしょ。私の人生の責任とってくんないくせに、中途半端に助けてんじゃねぇよ……」
私は涙と共に感情が溢れ出た。
「人の自殺の邪魔するとか迷惑なんだよ!
誰がどう死のうと勝手だろ!
他人がとやかく言うんじゃねぇよ!」
ぽかんとした目で見つめてくるこの男が、そんな顔で今何を考えてるのか全く読めない。
何か言い返せよ……。
「じゃあさ……」
男がようやく口を開いたかと思えば、私の頬を両手で包んだ。
「僕の目を見て」
「……は?」
「君に、少しでも生きたいと思える理由、あげるよ」
無理矢理まっすぐと、その吸い込まれるような瞳で目を合わされた瞬間から、私は彼のことが生き甲斐となっていた。
これが、亜蘭フェルナンドと私の出会い。
私は彼のおかげで、誰かを想って誰かのために生きることが、こんなに幸せを感じることだと初めて知った。
だけど………
私が本当に望んでいたのは、たった1人の私だけを愛してくれる人。
他の人には目もくれず、ずっとずっと愛だけを与え続けてくれる人。
亜蘭が私以外にその目を向けている時が、死にたくなるほど嫌になっていった。
ねぇ私はここだよ。私がいるのになんでそっちを向いてるの?なんで目を合わせてくれないの?
どうしたら振り向いてくれるの?
もっとお金を使えば……私だけのものになってくれる?
女の子なら稼ぐ方法はいくらでもあるよ!
なんて、いろんなスカウトマンに言われて、働こうとしたら、亜蘭に止められた。
「キャバクラ止まりにしといたら?
って…僕が何か言える立場じゃないかもだけどさ。やめてほしいかな…。」
私だけに言ってくれている言葉じゃないらしい。
だからきっと亜蘭は根が優しすぎるんだと思った。
優しすぎるから、本当は絶対ホストに向いてない。
でもさ、じゃあ……
誰が私を愛してくれるの?
誰かの愛が、欲しくて欲しくてたまらない。
自分は上手く人を愛せないくせに、誰かに愛してほしくてたまらない。
私のことだけを一生愛してくれる人
たった一人でいい。
そう思えば思うほどどんどん心に穴が増えていく。
誰かをずっとずっと、生まれた時から捜してる。
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「そんな運命の相手が、いつか必ず現れるよ、なんて……僕は言わない。」
亜蘭は、いつの間にか目を開いて呆然としているエリカをゆっくりと抱き締めた。
「エリカちゃんの気持ちさ、本当によく分かるよ。僕だけじゃない。誰だってそうだ。
皆誰だって、たった1人の誰かの無償の愛が、欲しくて欲しくてたまらないんだ」
エリカの目から、涙が溢れてきている。
「でもそれってさ、本当に必要かな?」
光が息を整えながら顔を上げ、朧も写メを撮っていた手を止めて亜蘭の方を見た。
「それを捜して捜して病んじゃうくらいならさ、それって本当に価値のあることなのかな?」
亜蘭の表情も口調も穏やかだ。
ここが何処なのかということを忘れてしまうくらい、周りは静寂だ。
「僕はそうは思わない。だからいいと思うんだ。誰だって愛のいろんな代替品で心を埋めても。
どんな人でも皆、自分にとっての代替品を、必ず持ってる。そうやって、なんとか正気を保って生きてるんだよ」
いろんな人を見てきた。
それはホストだったりキャバクラだったり、タバコだったり酒だったり、薬物やギャンブルだったり、金や犯罪、権力だったりする。
「ホストが与えるのはね…確かに本物の愛じゃないのかもしれないよ。本当は、それを分かった上で楽しめる人だけしか、来ちゃいけない場所なんだよ。」
亜蘭は苦しそうに目を瞑った。
「でも人間って、そんなシンプルな生き物じゃない。むしろこの世で1番複雑で1番厄介だ。だからこそ僕は、無理に誰かを愛したり愛されなくっても、別にいいと思ってる。……それで良くないかな?」
エリカの目から、一筋の涙が流れた。
「誰かに愛してもらうために自分を犠牲にするんじゃなくてさ、自分をちゃんと愛するために自分を利用しようよ。それが、生きてるってことだろ?」
エリカはギュッと亜蘭の服を掴み、声を押し殺して泣きはじめた。
「この世に自分のことが嫌いな人なんていない。
忘れているだけで本当は皆、自分のことが大好きなナルシストなんだよ。」
それは自信があって、自分を無条件で愛せる強い人間のことだ。
「僕はね、世の中全員がそうなれば、世界は絶対平和になると思うんだ。
だから毎晩ここで、その手助けをしてるだけ。
だってどんな人でも皆、その価値があると思うから」
パリッー……
石の割れた音がした。




