伊達巻の母
突然、すぐ隣にあった窓がバリーン!と割れ、3人ともギョッと目を丸くする。
「ちょっとっ!お母さん落ち着いて!」
「なによっ!ママの邪魔をしないでよ!!」
藍那と母親であろう騒がしいやり取りが聞こえてくる。
「チッ。めんどくせ」
奏が中を覗くと、暴れる母親の周りには、部屋いっぱいに蠢き充満している真っ黒い影憑が見えた。
「あれはっ私が必死に貯めた大学資金だったのよ!」
「そうやってあなたもっ!ここを出ていって私を見捨てるつもりなのね!」
影憑は、さっきのものより遥かに大きい。
強力で手強いのは見て直ぐに分かった。
「どうする月詠。やってみるか」
「いや俺がとっとと片付けるわ、ダリィけど」
本当にダルそうに奏はそう言い、
「持ってて」と言ってギターを光に押し付けた。
目を瞑り、バッと両腕を広げた。
奏の耳に、今現在の様々な場所の様々な音が混ざり合い、メロディーとなって頭の中に流れてくる。
車の音、虫、鳥、動物の鳴き声、人間の話し声、笑い声、怒り声、泣き声、飲食店のBGM……
その全てが、絶対音感のある奏の中では自動的に音楽が創り出されるのだ。
奏は広げていた腕を混ぜ合わせるように動かした。
光はその様子に目を見張る。
奏の腕の中、手の中で、音から作られたメロディーたちがみるみる大きな渦巻きのようになっていく。
そしてそれは奏の指に集まり、まるで指揮をとるように影憑をくるくると囲みだした。
影憑はそのメロディーによって眠るように動かなくなった。
「す、すごい……」
影憑を石にするまでの流れるような美しい一部始終を見て、光はつい感嘆してしまった。
「さて、そんじゃあ帰るわ」
「ちょいと待て音琴」
石をポケットにしまいながらクルリと踵を返す奏を、愁磨が呼び止める。
「…んだよ」
「今回は月詠がそれを抹消する」
「……あ?んなことできんのお前」
「っえあ、えっと、」
迷っている暇はない。
俺は伊達巻さんのことを唯一知ってる。
それに彼女は……友達じゃないか。
奏は自分の聴覚を利用して状況を伺うため、自分が普段使っている小型のマイクを光にくっつけた。
そして面倒くさそうにため息を吐いていたら、愁磨に抱えられ屋根裏に運ばれた。
光が玄関のチャイムを鳴らすと、青白い切羽詰まったような顔の藍那が出てきた。
「え?!光くんどうして……」
「あぁ……久しぶり。その……今更だけど……謝りたくてさ。体育祭、結局出られなくてごめんね」
藍那はポカンとした表情になった。
「伊達巻さんがあんなに喝入れてくれたのにさ……」
「……もう、いいよ。どうでも。
私も頑張るの疲れちゃったからさ……」
「え?」
藍那らしからぬセリフを聞いてしまい、光は慌てて本題に入る。
「伊達巻さん、俺に何かできることない?」
「は……?」
「少しでも力になりたいんだ。やれるだけのことはやりたい。友達だったから……」
「っ……別にっ、私は今までなんだって自分でやってきたの!誰かに頼んなくたって私は自分でなんでもっ」
「誰にも頼らないってことは、誰にも助けてもらえないってことだよ。」
目を見開いた藍那は徐々に眉を寄せ、ギュッと拳を握った。
「……じゃあ……お金、くれるの?」
「……うん。そうだね。できることがそれしかない場合は…」
「はっ……バッカじゃないの。
どうせうちの母親に使われるだけなのに。
私もアンタも、バッカみたい……
人のために生きて、自分ばかりが苦労してっ」
震える拳を握って俯いている藍那から、ポタポタと雫が落ちるのか見えた。
「俺……最近気づいたんだ。
人のために何かしているように見える人も皆、実は自分のためにしてるんじゃないかって。誰かのためを思った方が、原動力になるから。誰でも皆、いろんな方法で自分を満たしたいんだ。」
今まで親切にしてあげた人たちや何かを手伝ってあげた人たち、病院の子たちの笑顔が浮かぶ。
人から何かを求められると、自分のためだけに生きる人生よりも強く生き生きと生きることができる気がする。
でもそれはね、伊達巻さん、
自分が心の底で満足できるときだけなんだ。
自分を押し殺して犠牲にすることではないんだよ。
「……ねぇ、伊達巻さん。
伊達巻さん自身はどうしたい?」
「………。」
「本当は……どうしたいの?」
「………。」
「どう生きて、どうなりたい?」
ゆっくりと光が近付くと、藍那は下唇を噛みながら涙をふいた。
「私はっ……早くここを出たい。
ここを出て、本当は……
本当は自分のために生きたい…っ
自分が満足できる人生にしたいっ…。」
何年も、ずっと母のために頑張ってきた。
いつか母が、元気を取り戻してくれると信じて……
今はこうでも、いつか、いつか……また笑ってくれるって。
でも私はまだ成人すらしてない。
やれることなんて限られてる。
だからどうしていいか分からない。
知識にも限界がある。
だから逃げ出したくなった。
1人になりたくて。
気がつけば私は…一人で生きていくためのお金を必死に集めていた。少しずつ……少しずつ……
自分を少しでも幸せに近付けたくて……。
それを遣われた時は、死ぬほど絶望した。
いや……ホントは死のうとした。今日。
「伊達巻さん、わかった」
「……え?」
「ここを出よう。自分の望みを、1番に叶えよう。」
「でもっ……」
「伊達巻さんはもう、充分お母さんのために生きたよ。そろそろ自分のために生きる番。お母さんのことは、俺たちに任せて。」
藍那をゆっくりと抱きしめる光。
「大丈夫。伊達巻さんは自分の力で幸せになれる人だ。今まで……よく頑張ったね」
藍那の中で、張り詰めていた糸が切れた。
目からみるみる大粒の涙が溢れ出ては零れ、光の肩を濡らしていく。
パリンー……
「お。」
愁磨の持っていた石が割れた。
藍那は光と共に、錯乱している母親の元へ行く。
母はブツブツと何かを呟きながら震えている。
「許さない許さないっ……絶対に許さないっ……私を捨ててっ……あの人もあの女もっあんたもっ……」
「お母さん……私ね、お母さんが元に戻るまで、絶対に見捨てないよ。いつか必ず迎えに行くからね。」
ゆっくりと母を抱きしめて、優しく語りかけた。
「ごめんね。私も……誰かの手を借りたいの」
「……やだっ……嫌いにっ、嫌いにならないでっ……」
「嫌いになんてならないよ。大好きだよ。
だって私の唯一の家族だよ?
私は何があってもずっと、お母さんの味方だから」
「……藍那ぁっ……」
母の震えが止まり、
奏の持っていた石は一回り小さくなった。




