失うのが怖いから
白金台の薄暗い空の下、瑠真はぼんやりと自分の手のひらを見ていた。
程よくでてきた月明かりに照らされて、真っ赤な血に染った手を握った。
そばには梓美の遺体。
思えば俺は、本当に欲しいと思ったものを手に入れたことがなかった。
失うのが怖いからだ。
「や、やっぱり……瑠真くんと離れるの、嫌……」
あのとき、そう言ったアイツを無視していれば……
「なぁ梓美。そういうこと言うのはせめて普段だけにしてくれよ。こんなときにまでそういう態度は不謹慎にもほどがあるだろ」
「分かってるけどっ……でも……これが最後かも……」
震えている梓美に、俺は目を見開いた。
子供の頃からこいつがこんなふうに弱気になるところを、俺は見たことがない。
こいつはいつだって、俺よりも強かったんだ。
「このままもう二度と……会えなくなりそうな気がして……永遠のお別れかもって……」
「おい梓美!!」
やめろ。なぜお前がそんなことを言う。
お前はいつだって俺のことを支えられるくらい強い女だったんだぜ?
「そんなことは起きない。馬鹿な妄想はよせ」
二度とお前に会えなくなる?
そんなことがあったら俺は、今度こそ俺じゃなくなる。
「1つ約束して、瑠真くん……」
歩き出した時、梓美が背後で言った。
「次会った時は、私と結婚して」
……あ?
なんだって?
俺はお前を極道の世界に巻き込みたくなくて、昔から必死で遠ざけようとしてきたんだぜ?
お前を失うのが、なによりも怖いからだ。
「そしたら俺は…生きてるお前にまた会えるんだな?」
お前がいなくなったらもう、俺には何も残らない。
「私、ちゃんと生き残って、またちゃんと瑠真くんに会いたいから」
だが梓美は絶対に生き残る。
この約束さえすれば。
「分かった。結婚、するよ」
その嬉しそうに優しく笑った顔を、見られるのが最後になるなんて……
1ミリも考えなかった。
グサッ!
「っっ…く…」
だって梓美は昔からどんなときも、
俺のそばで俺に優しく笑いかけてくれるんだぜ?
「梓美!!!」
梓美の腹に、特殊な弓矢が刺さっている。
おびただしい血がみるみる滴り落ちるのを目にした瞬間、俺の背筋が一気に凍り、呼吸が苦しくなっていた。
「っ……見ないで……瑠真く……」
こいつだけは知っている。
俺は、血を見るのが死ぬほど苦手だということを。
俺があの日のことを、思い出してしまうからだ。
俺の弟・瑠夏は、いつも俺の後ろにくっついて歩く、弱くて人一倍優しい奴だった。
「兄さんは世界一かっこいいよ!」
いつもそう言っていた。
俺とは正反対で秀才な瑠夏は、将来はカタギで成功したいと夢見ている、真面目で優秀な普通の奴だった。
それなのに……
鳳組の派閥ができ、瑠夏派に説得されてから、弟は俺への態度が一気に変わった。
「鳳組の次期組長は僕だ。
頭の悪い兄さんには無理だよ」
俺のように強さだけが求められるヤクザ時代はもう終わったのだと。
今の時代に必要なヤクザは、頭のキレる経済ヤクザなのだと。
俺と瑠夏の関係は、完全に敵になった。
たまに部下たちの内部抗争が勃発するまでとなった。
ある日学校での授業中、俺のスマホが鳴った。
「オイ誰だ!授業中にっ!」
「……俺です。すいません」
「なっ?!お、鳳……ま、マナーモードにしておきなさい」
俺に対しての態度は、教師だってこのザマだ。
みんな腫れ物に触るように俺に接する。
まぁ、そんなの当然のことだろう。
ヤクザの家と少しでも関わりを持ちたくないのは誰だって同じだ。
だが弟の瑠夏は、俺みたいな尖った性格ではないから、その優しくお淑やかな性格故に、学校でだけは仲良くしてくれる奴が少しはいるらしい。
が、それも表面上だけだ。
そんな中でもなぜか梓美だけは、いくら言っても俺たちから離れなかった。
授業が終わってから、俺は留守電を聞いた。
<…わっ、ワカ!!どうか学校が終わっても!絶対に戻らないでくださいっ!梓美お嬢のところで待機してっーーー ドンッ!ドンドンッ!>
電話口のただならぬ雰囲気と銃声を聞き、俺は一目散に自宅の屋敷へと戻った。
その光景に、俺は息することも忘れた。
部下たち全員、1人残らず血まみれで倒れていた。
屋敷中が血だらけ、血の海、真っ赤だった。
「おっ、親父は…っ!」
親父がよく居る部屋を開けると、なんと親父と瑠夏が血まみれで転がっていた。
瑠夏は近頃、学校よりも家のビジネスを手伝い始めていたため、たまたま屋敷にいたようだ。
「親父!!!瑠夏!!!おい!!!」
誰が……!一体誰がこんなことをっ!!
なんなんだよこれっ!!
「っ……に、さん……」
「っ!!瑠夏ぁあ!!」
瑠夏が色の無い目で俺を見つめている。
俺は必死に瑠夏を抱き寄せた。
「にぃ…さ……」
「相手は誰だ!!どこの奴にやられた!言え!」
「だめ、だよ……」
「?!瑠夏っ!しっかりしろっ」
「ふ……僕、本当はっ……」
「もう喋るな!!今救急車をっ」
しかし瑠夏は明らかに、最期の力を振り絞って俺に何かを伝えている。
俺は懸命に耳を近づけた。
「復讐…なんて……だめ、だよ……しちゃ…」
「っ?!」
「争いごと…は…もう…しなぃ、で……」
瑠夏は死ぬ瞬間まで、俺の今後のことを気にしていた。
「僕、ほんと、は……兄さん…が……組長に、相応しぃ…て……思っ…てたよ……僕…は…弱いから……」
「瑠夏……っ」
「今日だって…僕じゃ…なくて…兄さんが…いれば…」
「おいっ、瑠夏待てっ」
「ごめ、ね……兄さん……」
瑠夏は薄らと目を開いたまま息を引き取った。
気がつくと俺は、梓美の家で、梓美に抱き締められていた。
「……っ…梓美ぃっ……」
女に泣いて縋り付くなんて、そんな情けないこと、男が一番しちゃいけないことだ。
それなのに……
「大丈夫だよ、瑠真くん…
ずっと私が隣にいるよ…大丈夫…」
梓美は優しくそう言って、俺を抱きしめてくれた。
もう俺は気付いてる。
復讐のために一から組を築き直しても、エスパーになっても、いくら力をつけても……
梓美の存在がないと、俺は最弱なんだと。




