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日の目を見ざるリズァーラー  作者: MasauOkubo
日の目は見ず、故に日に褪せず
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透いて見えるは己ならざる本懐

 あるはずのない記憶が蘇ってくる奇妙な感覚に首を傾げながらも、ともあれ蓄電池と携行照明の予備を手に入れたハリコは、携行照明を口に咥えつつ家の一階へと帰る。


 これで、今後の行動における不足要因は無くなった。本質が菌類たるリズァーラーには酸素も必要なく、いずこかに隠されているだろう空気携行タンクを探し出す必要もない。


 むしろ、またしても貴重品の隠し場所を探ろうとした際、この家にまつわるありもしない記憶が自分の中から蘇ってくるかもしれない、と考えるだけで気味悪かった。


「……ウ゛ゥ゛ー……。」


 マナコの元へ持って帰るための新鮮な死体も入手でき、移動における障害となり得る暗闇を払う照明も手に入れた。


 自分の目標には着実に近づきつつあり、望んでいた結末を順当に手に入れられそうだというのに、ハリコは胸中がとてつもなく沈み込んでいくような実感を拭い去れずにいた。自分の認識の中で、気が沈む要因など考えもつかなかったのに。


 先ほど閉めかけていた死体袋の元へと戻る。元警備兵であった人間の"マナコ"の肩口に付けられていた携行照明を取り外したときのまま、死体は眠るように目を閉じていた。


「ウ……ァ?」


 あとは搬送のため、中から血液が零れないように死体袋の口をしっかりと閉じるだけである。


 ……が、手が止まった。




 お姉ちゃん?




 ハリコはサッサとこの死体を運ぼうとしか考えていなかったはずなのだが、死体袋を閉じようとする行為に対する強烈な抵抗を感じ、両腕がだらりと下がる。


 堪えがたい悲しみが押し寄せてくる。眠っているようにしか見えない姉の、もはや血色も生気も無く蒼ざめた頬が、先ほど新たに入手した携行照明の強い光で、ありありと照らし出されていた。


「ア、ァ゛……!!」


 うそ……お姉ちゃん?どうして?目を覚まさないの?その血は何?


 もっと、顔をよく見せて……起きてよ、やっと会えたのに。なんで、こんな粗末な袋に、お姉ちゃんを閉じ込めようとしてるの?やめて!こんな汚い袋に詰めて、どこに持っていくの?私とお姉ちゃんは、この家でずっといっしょに暮らすの!


 目を開けてよ、お姉ちゃん、今からだって、仲良くできるよ……。


「……ウォ゛ァ゛ゥ゛ゥー……。」


 自分の喉元からあふれ出た嗚咽の声が、濁りきった唸りであることに気づき、ハリコは我に返る。


 ハリコは、死体袋の口をこじ開け、内部で寝そべっている死体の首元に抱き着き、顔を寄せていた。まるで、愛おしい存在との別れを心底から哀しみ、離れがたく苦しんでいるかのように。


 たしかにリズァーラーたるハリコは、人間の新鮮な死体に栄養源としての価値を見出していたが、今この場で摂取するわけにはいかない。死体が腐敗、養分が劣化してしまう前に、マナコの元へと運んでいかなければならない。


「……ウ゛ン。」


 幾度か首を振り、自分の意思と今後の目的を再確認した後、ハリコは死体袋の口を閉じた。今度は、何も抵抗を感じることなく、自分自身の身体が理解不能な動作を取ることもなく、すんなりと死体袋を閉じることが出来た。


 自分自身が取った奇妙な行動に首を捻りながらも、死体袋を担ごうとするハリコ。女性とはいえ警備兵として鍛えられた体格は重く、幾度か試行錯誤を繰り返した末、ハリコは脇に抱えやすい足の部分を掴んで引きずることにした。


 と、その前に家の出口を開けておく必要がある。誰が侵入してくるわけでもないのにピチリと閉められた玄関扉をハリコは引き開けたが、多少の隙間が出来たあたりでガタンと止まってしまった。


「ウゥ?ウ゛ー。」


 そういえば、この隠れ家に到着した際、ハリコをここに連れてきた元警備兵の"マナコ"も建付けが悪いと愚痴をこぼしていた。


 多少手こずりながらも、開けることが出来ていたのは、この家が彼女の生家であったおかげでもあるのだろう。途中で引っ掛かってしまう引き戸を開けるためには、住み慣れた住民が知っている力加減のコツが必要であった。


 もちろん、そんなコツなど知らないハリコは玄関を前に悪戦苦闘する羽目になった。ギチ、ギチと動かない扉に力をかけるも、ビクともしない。焦れて、全身で体当たりして扉を突破しようと試みたが、小柄なハリコの体重では限度がある。


「……ウア゛ァ゛ァ゛ー……。」


 幾度か全身をぶつけた後、ハリコは溜息代わりの長い呻き声と共にしゃがみ込む。食糧を必要としないリズァーラーとはいえ、栄養分の消耗にも限度がある。


 根気よく扉を蹴破ろうとし続けていれば、いずれ玄関扉は倒れるかもしれないが、新鮮な死体をリズァーラーのマナコの元へ持っていくだけの行動力が残っていなければ元も子もない。


 座り込んだハリコの目線は、当然だが床に近くなった。ちょうど、幼い子供の身長と同じ高さであった。




 下の方に手を掛ければ、開く……。




 その判断は、ハリコの記憶の中からは成し得ないものであった。ずっと排水管の中で暮らし、鉄製や木製のドアにしか触れてこなかったリズァーラーが、引き戸が引っ掛かった時の対処を知るはずもない。


 引き戸の取っ手は、扉の丁度真ん中あたりに取り付けられていたが、当然ながら扉の重量がかかる下部の方が摩擦が増え、扉を滑らせる溝にゴミや埃が溜まるほどに進みづらくなるものである。


 現に、目の前の引き戸は上部だけが僅かに先行し、斜めになった扉自体がつっかえて滑らなくなっている状態であった。


「ウ゛ゥ゛、ウ゛ー……。」


 ハリコは、たった今頭の中に浮かんだ思考の通り、姿勢を低くし、扉の下部に手を掛け、力を込めた。


 少し引っ掛かりはあったが、先ほどまでとは比べようもなく、あっさりと溝の上を滑り、ガラガラと玄関の引き戸は開いた。全く意外には感じなかった、建付けの悪い扉を開く際、このように対処することを自分は知っていて当然だとしか思えなかった。


 謎に思考の中へと浮かび上がってきた発想を不思議がりながらも感謝しつつ、ハリコは改めて死体袋を抱えて引きずりながら家を出る。


「ウ、ウゥ。」


 扉を通り抜けた玄関先で死体袋をいったん置き、ハリコは振り返って扉を閉めにかかった。


 やはり開ける時と同様、立ったままで取っ手を引いても途中で引っ掛かったようになって閉まらない。姿勢を低くし、扉が滑るべき溝に対して垂直を保つように気を付けながら閉めていく……。


「……ウ゛?」


 ハリコは、ハタと動きを止めた。何故、扉を閉める必要などあるのだろう。他に生き残った人間などおらず、この家に泥棒が入ることを心配する必要など無い。


 いや、そもそも、ハリコはマナコが活動再開出来ればそれで良いのだ。自分の目的さえ達すれば、この家に戻ってくることなどない。むしろ、これから向かう道中で携行照明が蓄電量切れを起こすなどのことがあれば、持ち切れなかった予備を取りに戻らねばならない。


 そうなれば、いちいち開け閉めに手間がかかる扉など、開きっぱなしにしておいた方が良いではないか。


「……ウ゛ーン、ウゥ゛ー。」


 自分自身が有しているべき思考を整理している間も、ハリコの身体は勝手に動いていた。


 まるでそうするのが至極当然であると、この本来の身体の持ち主が信じ切っているかのごとく、扉をしっかりと隙間なく閉めていた。施錠する動作まで至らなかったのは……鍵を渡されたことが無かったためであろう。


 あるいは、この上層街の片隅、下町にも当たる居住区画では、扉をわざわざ施錠せずとも不審者が上がりこんでくる恐れなど無かったのかもしれない。




 いってきます。




「ウ゛ァ゛、ウ゛ィ゛ゥ゛ゥ゛。」


 一瞬、自分が今からどこに行くのか、途方に暮れるような感情が浮かんだが、やはり発声に適さないハリコの口元からは、歪んだ骨格の間から漏れ出す唸り声だけが響き、ハリコは自我を取り戻した。


 どこに行くかなど、決まっている。


 リズァーラーとしての姿を有するマナコ、自分と共に幾度も処刑任務に携わってきたパートナーの身体が眠っている場所である。かつてウィトゥス博士の研究施設だった場所に、乾燥剤を浴びて活動停止状態のマナコの身体は寝かせてあるのだ。


「ウゥ゛……ウゥ゛ゥゥ゛ー。」


 いちいち閉めなおす必要など無かったはずの扉から離れ、ハリコは改めて死体袋の足部分を抱え上げ、引きずりながらその場を後にする。


 自分の意識をはっきりさせるため、幾度かハリコは頭を激しくブルブルと振るった。時おり蘇ってくる、ありもしないはずの記憶や、自分が発するはずのない言葉、そして抱くはずのない感情は……思考のさざ波を立てていなければ、水面を透いて見える水底のごとく、勝手に浮かび上がるようであった。


 そのことにハリコは、明確な嫌悪を感じた。リズァーラーとしての自分が、意識の表層を覆う紛い物でしかない、と実感させられるかのようだった。

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