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日の目を見ざるリズァーラー  作者: MasauOkubo
日の目は見ず、故に日に褪せず
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生を顧みたくば、不可避の苦哀を心せよ

 自分に抱き着いていた人間の首筋に、ハリコが牙を食い込ませていく間も、相手からの抵抗は特段無かった。酸素欠乏状態のため、意識は既に朦朧としていたのだろう。


 むろん背後から噛みついているハリコには、相手の表情は見えなかった。牙の先端が首筋深くへと入り込み、頚椎に達してしまえば、もうほとんどハリコは死体を抱きかかえているも同然の状態だった。


「ンウ゛……?」


 ただ一度だけ、この人間……"マナコ"と名乗る彼女は、ハリコに抱き着いて背に回していた腕を、動かした。


 その手を持ち上げ、ハリコの後頭部を掴み……ほとんど露出した頭蓋骨ばかりとなったそれを撫でた後、全身から力が尽きるとともにダラリと腕を垂らした。


 愛撫であるとも思われたその手の感触は、優しげでありつつも、どこかハリコにとっては嫌な感触を湧き起こさせるものであった。


「ウ゛ゥ゛ン゛、ウガァ゛ゥ゛。」


 牙の先で、頚椎を断裂させた感触を確認したのち、ハリコはゆっくりと牙を引き抜く。


 不必要なまでに傷を広げ、直ちに零れだしてくる流血の量を増やしたくなかったためだ。とはいえ、ハリコの大柄な牙では傷つける血管の量も多く、噛みついていた傷口から見る間に溢れてきた血液がボタボタと垂れ始める。


 直ちに死体を処理できない状況でも、処刑対象からの血液の流失を極力抑えられるヤキバがかつて居たことの有難みを、ハリコは今さらながらに痛感していた。


「ウ゛、ウゥ゛、ウゥゥ゛ー。」


 とはいえ、現状においても可能な限り手早く死体を搬送可能な状態にすべきであることに変わりはない。


 ハリコは、自分の腰につけていた、堅く細く縛りあげられた死体袋を広げ、たった今絶命させたばかりの人間、"マナコ"と名乗る元警備兵の身体を中へと収納する。女性の身体とはいえ、鍛え上げられて体格にも優れた肉体は相応の重量があった。


 あの管理局の金庫室で排泄物溜まりに浸かって、ブヨブヨに腐っていた職員たちの死体とは比べ物にならない、マナコに捧げる養分とするには十分すぎるほどの栄養源であった。


「……ウ゛ゥ゛?」


 手を貸してくれる仲間も居ない中、重量を少しでも軽くするため警備兵としての装備品を取り外せる分だけ剥ぎ取り、苦心しつつもどうにか死体袋の中に遺体を押し込んだハリコは、周辺を見回す。


 あとはこれをマナコの元へと運ぶばかりであったのだが、何かが足りない。他に迅速な判断および命令を下せる存在も居なくなった現状、ハリコが明確な目標に向けて次の行動を定めるには少々時間がかかった。


 いつも死体を搬送する際に取っている行動の通り、死体袋の口を閉めかけると同時に周囲が一気に暗闇で包まれたことで、ようやく警備兵が肩口に装着していた携行照明以外に光源が存在しないことに気づく。


「ア゛……。」


 携行照明が固定されている方法が分からなかったハリコは、"マナコ"の肩を揺さぶるように無理矢理もぎ取る。


 とりあえず両手が使えるように、口にそれを咥えたハリコであったが、光は徐々に弱まっていた。この地下都市にハリコが戻ってきてからずっと使用され続けていたそれは、蓄電池の残量も減ってきているのだろう。


 この光が消えてしまえば、完全な暗闇の中で手探りするほか行動のすべが無くなってしまう。


「ウ゛ゥ゛ー、ウ゛ゥゥ……。」


 新しい蓄電池、あるいは予備の携行照明を見つけなければ、ここからマナコの身体が待つ場所まで到達することが困難になってしまう。時間はいくらでもあったが、死体から流失する体液や進行する腐敗を鑑みれば、時間をかけすぎるわけにはいかない。


 予備の蓄電池や空気タンクがこの隠れ家に備蓄されている、との話は警備兵が生きている時に聞いていたため、それを探し出せれば希望を繋ぐことは出来た。


 問題は、そんなにも重要な物資が、どこに隠されているかであったが。


「……ウ゛ー……。」


 管理局本部の建物から引き揚げてきた食糧や飲料水を置いた場所だけは見て覚えていたが、ここに着いてからハリコは一度も予備の蓄電池、空気タンクが保管された場所を目にしていない。


 リズァーラーに対しわざわざ教える必要もない情報を、知らされていないのは当然であった。警備兵だけが照明器具を有し、真っ暗闇の中での行動アドバンテージを保つという意味もあったのだから。


 生き延びるために必須の食糧や水と並んで、重要な物資をどこに彼女は隠したのか……。




 2階の、子ども部屋。




「……ウン。」


 ハリコは、ごく自然に立ち上がり、光が弱まりつつある携行照明を構え、頭の中で響いた言葉に従って歩を進めていた。


 "マナコ"と名乗った人間が、"リコ"と呼ばれていた人間の姉が、特に大切なものを隠すのならば、この家の中でも場所は決まっていた。……初めてここに足を踏み入れたはずのハリコが、当たり前のようにそれを知っていた。


 小柄なハリコの体重でも、キシキシと軋む木目の階段を上がっていく。が、その丁度真ん中のあたりで、ハリコは反射的に脚を引っ込めていた。


「ウ゛、ウゥ゛。」


 危ない、以前もここで痛い目にあった……と、あるはずもない記憶が呼び起こされたハリコは、照明の光を足元に向け、自分が次に踏もうとしていた段の上に一本の細い糸が張られていることに気づく。


 糸は階段の手すりに掛けられて上段の方へと繋がり、最上段には傾けて危うげに固定された椅子の脚に結び付けられている。その糸を踏んでしまっていたら、転がり落ちてきた椅子の直撃を受けていただろう。


 確かに、ハリコはこの隠れ家に来た際、警備兵の姿をした"マナコ"から2階へ上がらぬよう聞かされてはいた。が、この位置、この段に仕掛けがあったことを知っているはずはない。


「ウゥ゛ー?」


 ハリコは小首を傾げ、しかし謎が明かされたところで結果的に何が変わるわけでもなく、そのまま糸の張られた段をまたいで2階へと向かった。




 だって、お姉ちゃんは、私が2階に上がってこないようにしてたんだもの。




 2階は階段脇の短い廊下の先、2か所に扉があるだけであった。片方の扉からは、半開きの中から詰め込まれたガラクタの山が覗いていたが、そちらに用はない。


「ウゥゥ。」


 ハリコは迷うことなく、丁寧に閉めきられていた方の扉を開いた。扉を開けると同時に埃をかぶった人間大のクッションが倒れ掛かってきたが、驚きもしなかった。まったく予想できない出来事であったはずなのだが。


 部屋の中は、小綺麗に片付けられていた。壁面には本棚が並び、引き出しのついたデスクが二つ、揃えて並べられている。片方のデスクの上は、それを机として使う者が居なかったためか、上に様々な書籍が積み上げられ、物置同然の状態となっていた。


 壁面には幼い子供が描いたような絵が貼られていた……黒いペンだけを用いて描かれた色彩に乏しい絵であったが、両親と姉妹、4人家族は笑顔で並んでいた。


「……ウゥ゛、ゥ゛。」


 ハリコの用があったのは、並んでいる勉強用デスクの反対側、二段ベッドの下である。幾度も埃を擦った後のつく床に寝そべり、ベッドの下に押し込まれている箱の類を引っぱり出す。


 手前には参考書や教書などが詰め込まれた箱が並べられていたが、その奥に目的の品は見つかった。書籍の類が収められた箱とは比べようもなく軽い、しかし頑丈な樹脂製の箱の蓋を開ければ、整然とケースに並べられた携行照明及び蓄電池が詰められている。


 いよいよ出力切れを起こしかけていた携行照明を口に咥えたまま、おぼつかない手つきでひとつ取って点灯させたライトは思いもよらぬ眩さで部屋全体を照らした。


「ウァ゛ァ……!ウ゛ゥ……。」


 蓄電池の消費を抑えるため、警備兵は光量を絞って使用していたのだろう。最大出力で点灯した警備用照明は、いままで限られた光の環だけで覗いていた闇を、ことごとく追い払った。


 書棚や積み上げられた書籍ばかりが目立っていたその部屋であったが、敷かれている絨毯や壁紙は存外に明るく可愛らしい、水色や桃色の模様で統一されていた。おそらく勉強に使用されていたのであろう方のデスク周辺は、そんな可愛らしさを覆い隠すように様々な案内文書やスケジュール表がベタベタと貼られていたが。


 ハリコは、一気に明るくなった部屋の中を、しばらくボンヤリと見回していた。予備の照明器具や蓄電池も入手できた今、"マナコ"を名乗っていた人間の死体を、本来の目的である活動再開を望むマナコの元へと持っていく以外にすべきことは無かったはずなのだが。




 懐かしいなぁ……。




 思いもよらぬ寂寥の念が、ハリコの足を動かさせず、何とも立ち去りがたい感情を覚えさせていたのであった。


 何故って、この部屋で私とお姉ちゃんは過ごして、一緒に遊んでいたんだもの。


「……ウ?」


 私が本当に小さかったころ、お姉ちゃんが一番、私のこと可愛がってくれた。父さんと母さんは目が覚めたらすぐお仕事に行っちゃうから、お姉ちゃんが私の面倒見てくれてた。


 あの時は、いっぱい玩具も出して来てくれて、時々灯りがつかなくなって真っ暗になる時も、お姉ちゃんが小さな灯りを取り出してくれて。その灯りの中でお喋りするの、私たちだけのひみつみたいですごくワクワクしたなぁ。


 でも、お姉ちゃんも忙しくなって、お姉ちゃんは大事なお勉強してるから、邪魔しちゃダメって言われて、そんなこと言われても遊びたくって……。


「ウ゛、ウ゛ゥ゛ウ゛、ウ゛ゥ゛ー……?」


 ハリコはぼんやりと意識が遠のきかけたかのような感覚にみまわれ、激しく首を振って意識を取り戻した。


 あるはずのない記憶が、思考の底から湧き出てくる。思考の光が届かぬ暗闇に収まっていた、もはや朽ち切って蕩けかけた記憶の残滓のようなものが。いや、ハリコがリズァーラーとして活動し始めてから、経験したはずのない物事ならば、記憶と呼ぶことも出来ない。


 だが、そんな記憶めいた内容の片鱗のいずれもが、奇妙な実感を伴って蘇ってくる感覚は、ますます不気味であった。

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